2-4 暗殺者を覚えよう
ミゼラにもらったケア用品を抱え、私は一度、部屋に戻る。
スキンケアだけなのに、ボトルの一つ一つが大きくて、ひとりで持つにはこぼれ落ちてしまう。
ゴトン、ボトッ。
一歩歩けば、腕の隙間からどれかが落ちる。
これは乳液だったか? いや、美容液って書いてある。
あぁ、今度は化粧水が落ちた。違う、これはクレンジングだ。
「あぁ~~くそっ! 多すぎんだろうが。こんなに要らねぇよ」
つい悪態をついてしまう。
スカートをたくし上げて、風呂敷のようにして包んで持ったらダメだろうか。
(パンツが見えなきゃいいだろ)
重いし、多いし、これは仕方ない。
ケア用品を片手にまとめる。その際に何本かボトルが落ちる。
それを、拾う誰かがいた。
「おい、落としたぞ」
「げぇ」
まさか、それがトリスだとは思わなかった。トリスは、スカートの裾を持つ私に、嫌悪の視線を向ける。
「お前、まさかスカートに包む気だったか?」
「そうしなきゃ持てねぇもん。いいだろ」
「良くねぇよ。仮にも淑女だろ。仮だが」
「うるせぇな。エセ紳士がほざくなよ」
私が構わずスカートに包もうとすると、トリスはスカートを掴む手を解き、ボトルを代わりに持ってくれた。
「部屋に持っていくんだろ」
そう言って、私を置いて、さっさと廊下を歩いていく。
私はトリスの優しさにポカンとして、遅れて彼について行った。
***
私の部屋で、トリスはドレッサーにケア用品を並べる。
私でもわかるように、使う順番に並べて、ボトルの正面を向けて。
「夜用は、洗面所に置いておくぞ。入浴後に使うから、そっちの方が使いやすいだろ」
「ありがと。お前、私に気遣いとかできたんだな」
「俺は、お前が感謝できることにびっくりだよ」
「殺すぞ」
「やってみろ。牢獄に戻してやる」
軽いケンカを挟んで、トリスは私に分厚い資料を渡す。
今日の勉強の内容だろうか。
国の基礎知識ならもう覚えた。なら、次は周辺の国に関することか。
白い表紙をめくって、私は目を見開く。
トリスは後ろに手を組んで、私の前に立つ。
「来週、婚約発表パーティーがあると聞いただろう。お前の初仕事だ」
いつもより低くて、いつも以上に強い口調。それが、私が受けたのは生ぬるい仕事じゃないと、より明確に伝えてくる。
「暗殺者の顔と奴らが得意とする暗殺方法、その他詳細情報。この国と近隣の国の暗殺者全員のリストだ。一字一句、人相も全て覚えろ」
老若男女構わず、並んだ暗殺者の顔ぶれは、一夕一朝で覚えらるようなものではない。
これを全部覚えるなら、半月……いや、一ヶ月は必要だ。それを、一週間で?
「無茶を言ってくれる」
「それが仕事だ。俺の仕事でもあり、お前の仕事だ。覚えろ。できないとは言わせん。やれ」
「はっ。こんなに命を狙われる婚約者様って、いったい何をやらかしたんだ」
私がからかうと、トリスは暗い顔をする。
唇を噛んで、耐え忍ぶ彼は、村で苦しんだ自分に似ている。
「……ミゼラ様は、何もしていない」
そう絞り出す彼に、私は「あっそう」と適当に返事をした。
これを覚えて、ミゼラを守り、無事に家に帰るだけ。言われた礼節を守って、適当に愛想を振りまいて、淑女を演じるだけ。
たった一晩。たった数時間。
それだけで、大金が貰えるのなら、悪い話では無い。自分にとって美味しい話だったから、契約したのだ。
「分かった、一週間で覚えるんだな。やるよ。契約分は、きちんと仕事するさ」
「意外だな。深入りするのかと」
「どうせ、いつか分かんだろ。今じゃなくていい。必要な時に、必要なものがありゃ結構だ」
「そうか。じゃあ、当日は頼むぞ」
「あぁ、ちょっと待て」
トリスが部屋を出る前に、私は彼に確認した。
「これは、殺していいか?」
私は、リストを指さした。トリスは驚いたような顔で、私を見ていた。
何がおかしいのだろうか。私が雇われたのは、貴族社会に噛みつけて、ミゼラを守れる役回りにあるからだ。
必要があれば殺す。そのために、彼は人殺しを雇ったのだろうに。
狩猟は得意だ。人を殺したあとでは、罪悪感も薄い。それを見越して雇ったはず。
「本気で言ってるのか」
トリスの質問に、私がびっくりしてしまう。
「ミゼラを守るのが仕事なんだろ。安心しろよ。最初の殺人じゃねぇわ」
トリスは深呼吸をして、胸を軽く叩く。もしかして、今まで峰打ちで返してきたクチか? 完全にお片づけする気でいた。彼を見る限り、殺すのはダメそうだ。
「──必要があれば、いい」
トリスの重い返事に、私は頷く。
トリスはフラフラと、危ない足取りで部屋を出ていく。
私は、リストをじっくりと読み込んだ。
暗殺者の人相と、得意な戦法。とりあえず、それか分かればあとは興味が無い。
ひとりひとり、自分の敵だと言い聞かせて、頭に叩き込んでいく。
殺した領主を思い浮かべると、すんなり覚えられた。憎い顔が、写真の彼らに上書きされていく。
彼らが、私が殺すべき敵だと思うと、殺し損ねた領主だと思うと、人と認識できなくなってくる。
豚とか、鶏とか。いいや、家畜じゃない。
キジか、うさぎか。いいや、狩猟対象でもない。
(……化け物の、それか)
憎たらしい、憎たらしい。
恨めしい、恨めしい。
──殺してやりたい。
そうすれば……──
「私は自由だ」
とうの昔から無い自由を、目の前にぶら下げる。手に入らないと分かっていても、自分のために、やらなくては。
まだ朝なのに、私の気持ちは真っ暗だ。
晴れた空が広がる部屋の窓を背に、私は暗殺者のリストをじっと見つめる。
仕事だ。ミゼラの護衛が、本来の仕事だ。でもそれとは別に、どうしようも無い衝動が湧き上がる。
早く当日にならないだろうか。この感情の揺れが、言い表せないほど、心地良い。