2-3 スキンケアを覚えよう
朝一番に浴びるシャワーは格別だ。
体も、気持ちも、引き締まる気がする。
白い肌を伝う水の、緩やかな熱は、私がそこにいることの証明で、今生きていることを責め立てる。
(考えすぎは良くないな)
白くて大きな窓を見上げれば、青い空を白い鳥が飛んでいく。大空を飛び交う鳥の、なんと自由なことか。
自由がない生活に苦しみ喘ぎ、領主を殺し、死刑を免れたのに。
たどり着いた運命は、貴族の生き人形。
金を貰えるだけ、衣食住が充実しているだけありがたいが。
(自由では、ないなぁ)
──選択肢が無いとはいえ、自分で選んだ。
なら、受け入れるしかないのだろうか。
***
シャワーを浴びて、着替えた私を、ミゼラが待ち構えていた。案内された部屋のテーブルには、スキンケア用品が一式。ミゼラは私を椅子に座らせた。
「今日からあなたには、スキンケアを覚えてもらうわ」
「スキンケア?」
「そうよ。今まで顔を洗った後、何もつけずに放ったらかしてたでしょう」
「必要ないでしょう。清潔に保たれていれば、それで十分かと」
「いいえ、全然ダメ。顔の肌は繊細よ。ストレス・ダメージ・ホルモンバランスの乱れ……ちょっとした事でも、すぐにトラブルの原因になる。
それに、洗いっぱなしの保水も保湿もしてない肌は、トラブルをより悪化させやすいの」
へぇ、それで?
そう言いたい気持ちはあるが、今は我慢する。ミゼラは、私の髪をブラシで整えて、ケアしやすいように柔らかく束ねた。
「来週、婚約発表パーティーを開くわ。あなたの初仕事よ。それまでに、きちんとケアをしてもらわないと、メイクに響いちゃうわ」
「別に、私は構いませんよ」
「アタシがメイクするのよ。ニキビだらけの汚い顔に、触らせないでちょうだい」
ミゼラは私の顔を覗き込むと、スプレータイプの化粧水を吹きかけた。
「まずは、拭き取り化粧水。洗顔の後でも、タオルの繊維や、落としきれなかった汚れが残ってるの。それを、これで落とすわ。ニキビを防ぐことも出来るのよ」
ミゼラは、びっしょりと濡れた私の顔を、コットンで綺麗に拭いていく。
「次に化粧水。肌に水分を与えて、キメを細やかにするわ。朝の化粧水には、ホコリや花粉から、肌を守る役割もあるの」
化粧水は手のひらに直接とっている。
指の腹で優しく、桃に触れるような力加減で、私の顔に塗り込んでいく。
「次は美容液を。シミやくすみは紫外線によって作られるの。朝に塗ると、シミやくすみを溜め込むことなく、肌に栄養を与えられるわ。
ものによっては朝と夜に使うもの、夜だけ使うものがあるから、そこは注意してね」
少し粘り気のある美容液を、顔に塗られていく。目の周りや、口の周りには念入りに塗りこまれ、ミゼラの暖かい手で包み込まれると、肌に浸透していくような感じがあった。
「次に乳液。保湿成分で、肌の水分を閉じ込めるわ。乳液があるかないかで、乾燥具合はかなり変わるわよ。ベタつくのが気になるなら、量の調節が必要ね」
ミゼラは説明しながら、びっくりするほど手際よく、スキンケアを進めていく。
乳液を塗り終えて、ようやく終わりかと思えば、今度は日焼け止めが出てきた。
「最後に日焼け止め。一番の敵の、紫外線を防ぐ、アタシ的には最強のアイテムよ。日焼け止めは効果の強弱があって、その日の予定に合わせて、強さを変えてちょうだい」
ミゼラは塗り残しがないように、丁寧に日焼け止めを塗り込んでいく。その際に、強さによって異なる用途も教えてくれた。
弱──屋内を含めた日常生活全般。
中──屋外での活動、レジャーやスポーツなど。
強──夏などの炎天下、海、プール等、紫外線が特に強い場所。
日焼け止めなんて、塗ったことのない農民には、違いがよく分からなかった。
「どう? 覚えたかしら?」
ミゼラはケアを終えて、満足そうに微笑んでいる。けれど、私はケアの順番も、ミゼラの説明も、ほとんど頭に入っていなかった。
「全然、覚えられません。最初からゆっくり、お願いできます?」
顔をいじくられ、なんかよく分からない説明を聞き、それを一回で覚えた? なんて。
(頭湧いてんじゃねぇの?)
覚えられたら苦労しない。出来るやつがいたら、拍手してもいい。
ミゼラは呆れたため息をついて、ケアの方法をまとめたメモを、テーブルに置いた。
それがあるなら、最初から出せ。……とは、言えなかった。メモを受け取り、内容に目を通す。
「言うと思ってたわ。用意して正解ね」
「嫌味で返してやりたいところですが、我慢して差し上げましょう。……これ、朝と夜とで、スキンケアが違いませんか?」
私はメモを指で叩く。
大幅に違うわけではないのだが、夜のスキンケアは、クレンジングと顔パックが追加されている。
夜に日焼け止めの必要が無いのは分かるが、クレンジングなんて要らうのか?
「化粧って、石鹸で落ちるんじゃないんですか」
「信っじられない!」
「え?」
ミゼラが声を荒らげた。
ドン引きした様子に、私は(初めて見た)と呑気に考える。
「日焼け止めは、石鹸で落ちるタイプがあるけれど、メイクは基本、石鹸で落ちないわ」
「へぇ~」
「メイクっていうのは、簡単に崩れないようになっているの。擦ったり、水をかけたりすれば、多少は落ちるわ。でも、完全に落ちることはない。だから、メイクを落とすために、専用のケア用品があるわけ」
なるほど。石鹸で強めに擦ればいいってものでもないのか。
ミゼラは、頭を抱えている。たかがスキンケアで、こんなに落ち込むものなのか。顔に命をかけてる奴は違うな。
「顔のケアとか、したことないの?」
「ケアもクソも、メイクなんてしたことありませんよ」
生きていくのに必死。
食べていくことに命をかけていた。
メイク? スキンケア?
そんなことして、腹が満たされるものか。
生きるために命を奪い、食べていくための手を汚した。
顔なんて、見た目なんて、一番最後に回される。明日が無い者が、自分磨きなんてするものか。
ミゼラはきっと、恵まれた環境しか知らない。生まれた時からお金に困らず、食に困らず、幸せに生きてきたのだ。
(そうでなければ、そんな疑問なんて、出てこないよな)
思っても、口に出さない。出したら自分が楽になる。でも、それ以上に惨めになる。
「私のことは調べたのでしょう? クソ田舎の、疎まれた村娘が、そんな大層なことをして生活できますか」
あえて、遠回りに。
あえて、察せそうな言い方で。
彼の疑問を解決させる。お互いに傷つけない方法は、これしかない。ミゼラは「そうよね」と、申し訳なさそうに目を伏せた。
「貴族のフリさせてるんだもの。察しが悪くて、ごめんなさいね。今日から覚えてちょうだい。分からなかったら、いくらでも教えるわ」
「お気遣い、痛み入ります」
生半可な優しさが痛い。
腫れ物に触るような気遣いが憎たらしい。
歯を食いしばって耐える。彼の優しさは、私には業腹だ。いつか、かつての領主のように、殺してしまうかもしれない。
「ひとまず、スキンケアはこれを使ってちょうだい。肌が荒れたり、トラブルが増えたら別のものに変えるわ。あなたにはきっと分からないから、アタシが確認する。当日まで、怠らないでね」
ミゼラは私の肩に手を置いて、軽くさすった。私は笑顔で彼に返事をする。鏡に映る自分は、上手とは言えない笑顔をしていた。