11‐8 ソラシエルの遺言
キャンプの後、ソラをミゼラ邸に送り届けたペンスリーをミゼラが出迎えた。
ペンスリーは馬車で眠っているソラを抱え、ミゼラの交代をやんわりと断って部屋まで送り届ける。
ベッドに寝かせたソラにそっと布団をかけて、静かに部屋を出る。
「ソラの様子はどうでしたか」
ミゼラに尋ねられて、ペンスリーは目を逸らした。
「……ソラシエルは、見ないフリをしていただけで彼女なりの答えを持っていた」
ペンスリーの少ない言葉から起きた事柄を想像し、ミゼラは抽象的な状況を思い描く。それが正解かは分からなくても、ソラが自分でどうするか決めたら、それをサポートする準備は出来ている。
「そうでしたか」
ミゼラが返す言葉はこれで十分。しかし、ペンスリーはそれを鼻で笑った。
ミゼラは彼の意図が分からない。聞き返すのも失礼かと思い、あえて聞こえないふりをする。
ペンスリーはミゼラを見下ろすと、「お前はそんなに愚かだったか?」と挑発した。
「どういう意味です?」
「そのままの意味だ。お前はもっと賢いと思っていた」
「急に罵倒なさる方よりは賢いと自負しております」
「その愚か者にコケにされてもか」
ペンスリーはくつくつと笑って、ミゼラに向き直る。
表情が消えた顔で見下ろされると、迫力があって恐ろしい。
蛇が睨み下ろすように、ペンスリーはミゼラをじっと見つめる。一瞬の目の動きも許さないくらいに。
「お前はソラシエルと半年も過ごして、何も育んでいなかったのか」
ペンスリーはミゼラの胸を突いて、彼に詰め寄る。
指の一突きが重く、ミゼラは突かれるたびに後ろに下がった。
「トリスティスとは良き関係を結ぶことが出来て、ソラシエルとは契約的な距離感を保っている。それはどういうことか、分からぬお前ではあるまい」
ミゼラは痛い所を突かれて目を逸らした。ペンスリーは背筋を伸ばすと、ミゼラを置いて玄関に向かう。
「あの子は吾輩に似て聡い。お前の空気を読んで、どう動けばいいかくらい一目で判断できる。その点、お前はどうだね? あの子を一目で理解できるのかね」
ペンスリーに指摘されて、ミゼラは口を閉ざした。
ミゼラはソラを自分を守るための傭兵として見ているし、ソラは雇用主としてミゼラを見ている。それ以上でも、それ以下でもない。
「あと二日は街に滞在している。場所は分かるな」
「はい。何かありましたら、ご連絡いたします」
「ソラシエルにも伝えておけ。いつでも遊びに来いと」
「はい」
「必ずだぞ」
ミゼラはペンスリーを見送った。
彼の子煩悩は相変わらずか。ソラに一回怒られたと聞いたのだが。
ミゼラは背伸びをして仕事に戻った。
「……仕方ないじゃない」
ミゼラはソラの部屋のある方の廊下をじっと見つめる。
けれど、すぐに目を離した。
***
(……あぁ、また)
燃える屋敷と、いつもの首。
ワインを片手に、それを眺める。
いつも通りの夢が、私の心に重くのしかかる。
これが罪だ。これが罰だ。
ずっと、私に囁き続ける。
私はワインのボトルを傾けた。
『本当にそれでいいの?』
ボトルが口につく直前、ソラシエルが私に言った。
私はため息をついて、彼女に言った。
「……良くねぇよ」
何でこのままで良いって思ったと思ってんだよ。
これが、私がしたこと。償うこと。
仕方なかったで済ませていけないことだから。
「これが罪だ。これが罰だ」
そうしなくちゃいけない。そうあらなくてはいけない。
「──英雄とは、何を成し遂げるかでは無い。
────何を殺すかである」
私が信じた言葉。
馬鹿が唱えた言葉を馬鹿正直に信じて実行した馬鹿。
笑ってくれよ。いっそのこと。
そっちの方が気持ちが楽になる。
『……あなたは、償ったじゃない』
ソラシエルが言った。消え入るような声で言った。
私が? 償った?
馬鹿馬鹿しい!
ミゼラの金で外に出て、フィリアに連れ戻されて十二血族の署名で外に出た。
私は刑期を全うしていない。
私は自分の罪を雪ぐ機会を得られていないのに。
『あなたは婚約者の命を救ったわ』
――それは契約していたからだ。
『あなたは町の飢饉の原因を当てたわ』
――それは、たまたま知っていることだったから。
『あなたは一人の少女を救ったわ』
――騙されて売られたなんて、誰だって許せないだろう。
『令嬢の政略結婚は? 外交帰りの襲撃は? 退屈な騎士の戦いも、怯えた警察の擁護も、本当にあなたの功績にならないの?』
――私ひとりじゃない。
何時だってミゼラが側に居て、誰かが手を貸してくれた。
私ひとりじゃない。それは功績にならない。
『でも、あなたが素敵な人だから、助けてあげようと思ってくれたのよ。それはどんな偉業よりもすごいことだわ』
そんなことで、私の罪は帳消しになるのか。
『自分が変えた人々の数より、殺した二人の方がそんなに重いの?』
――命は、《もう一度》がないんだぞ。
『あなたの人生だってもう一度はないわ』
ソラシエルが私の手を握った。いつの間にか、景色が変わっている。
ペンスリーの屋敷のようにも見える。
誰の部屋だ。いいや、彼女の部屋だ。
年相応のお洒落な部屋に、ソラシエルが立っている。
とてもよく似合う。私よりも、彼女に相応しい部屋だ。
『ここは、あなたが暮らすはずだった。今はもう、使われることも無い』
「そうだな。だからあんたがここに居てくれよ」
『私もいずれ消えるのよ』
ソラシエルが言った。
私の手を握る力が強くなった。
『何を殺したかがあなたの重荷になるのなら、何を成したかがあなたを自由にする。殺したことが怖いなら、誰かを助けて生きてちょうだい』
ソラシエルの目から涙が零れた。
『自分を殺して生きないで。ソラ・アボミナティオ』
ソラの手を、私は包み返した。
「……わかったよ。ソラシエル・マル・チロ」
私は彼女に額を寄せた。
ほんの少しの温もりを感じて、目を開けたらあの夢に戻っていた。
私は顔に感じる熱と風に目を閉じる。
――馬鹿だったんだなぁ、私。
これが楽しかったなんて。
これを飽きたなんて。
これが、苦しいなんて。
これから変わればいい。
いつまでも囚われて、勝手に苦しくなってるんだもの。
燃え盛る屋敷。怯え切った領主たちの首。遠く聞こえるサイレン。全てが私をここに留まらせる要因にもならない。
私は、この日初めて持っていたワインの中身を、全てその場に捨てた。




