11‐6 ゆっくり考えようね
アグラヴァのカウンセリングから二日。
すぐに効果が出ることは期待しないで、と彼女に言われていたが、どうにも気持ちが急いでしまう。
心とはいえ『病気』という部分に引っかかっているのだろうか。
病気は長引くと大きな支障をきたす。そうならないようにしなくては、と思っているのも原因だろう。
(気持ちに折り合いをつけるべきか)
いつも通りの悪夢で起きて、いつも通りの朝食を済ませる。
今日はどうしようか、勉強でもして、たまには絵でも描いてみようか。やったことのないことをして、趣味を増やすのもいい。
どうせ、ここにいたって同じ行動パターンを繰り返すだけ。
だって、全部仕事なんだもん。
部屋に戻ろうとすると、玄関ホールでペンスリーを見つけた。
「マル・チロ伯爵」
私の呟きを拾って、彼は私を見つける。
私はお辞儀をするが、ペンスリーは私の髪にキスを落とす。
「元気にしていたか? 我が娘」
ペンスリーに心配かけまいと、私は笑顔を繕うが彼は見透かしてしまう。
「……眠れていないようだな」
目の下のクマをなぞって、ペンスリーは悲しそうな表情になる。
私の瞳を見つめる彼は、いつかの自分を重ねているのだろうか。
ペンスリーは「予定はあるか」と尋ねてきた。私は特に、と答えて部屋に戻ろうとした。
「……待って。ミゼラ様に用があって来たのではないんですか?」
ペンスリーは社交嫌いだ。
それでいて屋敷から出てこないと聞いている。それなのに、わざわざミゼラ邸まで出向いて私に話かけた。
それより、ミゼラが一向にペンスリーを迎える様子が無い。
私は頭をフル回転させて、鼻で笑った。
ペンスリーの方を見ると、ペンスリーはなぜか嬉しそうに笑っている。
「分かりました。ミゼラ様に頼まれたのですね」
「さすがの頭の良さだ。いずれ良い跡継ぎになれる」
「悪夢の話、しなければ良かった。心配無用です。これくらい、自力で解決できますので。マル・チロ伯爵のお手を煩わせるまでに至りませんから」
何の気遣いだというのか。
これでどうにかなるのなら、私だってそうしていた。
私はペンスリーから逃れようとするが、ペンスリーも私から離れる気はない。私の前に立ちはだかると、腕を掴んで「少しだけ時間を」と懇願する。
私は「結構です」と、ペンスリーを振り払ったが、彼の方が上手だった。
ペンスリーはポケットから一枚の写真を取り出した。
それは、彼の家で見せてもらった私が生まれた時の家族写真だ。
「我が妻の形見たる最愛の娘は、父の願いも聞いてくれないのかね?」
――悔しい。
泣き落としは私に効く。
同情心を煽るやり方は嫌いだが、ついつい乗ってしまう私もちょろいものだ。
弱い姿を見せたら助けたくなるでしょ? なんて下心も透けて見えるのが嫌。
ペンスリーはにやりと笑って写真を見せてくるが、本気で私を動かそうとしているのか? ……いいや、これは『こう言ったら私はどうするか』というのを考えた上での行動だ。
ここを回避したところで、彼の頭の中には他にもパターンがある。それら全てを回避してもいいが、きっと私が折れるまで続けてくる。
私は諦めて、「今日だけなら」と了承した。
ペンスリーは上機嫌で私の肩を抱いて外に向かう。
「聞き分けの良いことだ。一体誰に似たんだろうな」
「頭の構造はあなた譲りですよ」
「その上で最適な結果を選ぶのはアティーナだろう」
ペンスリーに連れられて、私は外へと出向く。
彼がミゼラに頼まれて何をするかまでは、想像していなかった。
***
連れてこられたのはキャンプ場。
わざわざ貸し切りにしたのか、と思うくらい人がいなかった。
それもそうだ。この寒い時期にキャンプをする人なんていない。閑散期のキャンプ場はかなり広々としていて、周りに気を遣う必要もない。
「最っ高じゃない⁉」
キャンプに必要な道具は全てペンスリーが管理人から借りてきてくれた。
私は彼が驚く手際でテントを張ると、すぐに火を起こして、簡易的な竈を作って川の水を汲んだヤカンを置いた。
その間に食料を調達しようと長い枝と蔓を見つけて竿を作る。
土の中で眠っていたミミズを掘り起こして餌にして、川に垂らして魚を待つ。
テントを張って、焚火の準備をして、食料の調達。
今までしてこなかった一日の過ごし方に、私は生き生きとする。
こんなことが出来る場所があったなんて。休みの日とか、たまに来よう。
自然の中で過ごせるなんて快適な日がある幸せを知らないなんて、なんてもったいない!
袖をまくって魚を釣り上げる私を眺めて、ペンスリーがテントの前であつあつのコーヒーを飲んでいた。
寒いだろうか。私は慣れているが、ペンスリーは貴族だ。極限の生活とか、したことなさそうだ。
「寒かったらテントに入って温まっていて大丈夫ですよ」
「ありがとう。吾輩は体温が低いから、このくらいの気温は普通に感じる。故に熱いものを飲まないとメイドが心配するから、その癖がついているだけだ」
芝生に霜が残るくらい寒いのに、これが普通とは。
私は指先が少し赤くなっているのに、ペンスリーの顔色も指先も全く変化が無い。
彼ほどの低体温なら、冬に震えて眠る必要が無くて楽だっただろうに。
私は魚を待ちながら「いいなぁ」なんて思ってしまう。
竿先が大きくしなり、私は竿を引いた。
手首から薬指くらいまでの魚が釣れて、私はまな板に魚を置く。
てきぱきと魚をさばき、ヤカンを除けてフライパンを火にかけた。
撒き拾いの際に採集したハーブを一緒に焼いて、程よく焼けたら皿に盛る。
少々臭いはあるが、懐かしい料理に思わずにやけてしまう。
「ん~~~! 美味いなぁ」
「こういった料理もあるのか。参考になる」
食べ慣れないペンスリーを横目に、私はすぐに完食してペンスリーが持ってきたコーヒーを淹れてテントに凭れて座る。
「あ~楽しい」
「それなら良かった」
ペンスリーは首を傾げたまま魚を完食すると、フライパンに事前に買ってきたベーコンと卵を入れて焼き始める。
これだから庶民初心者は。自分で捕まえて自分で作るのが楽しいんじゃないか。
私は地中にいるミミズを探し当てて、もう一度魚を釣る。
ペンスリーは生き生きと過ごす私の背中に零した。
「……国を、離れてもいいのではないか」




