11‐5 治療開始
アグラヴァ邸で、私はカウンセリングを受けることにした。
アグラヴァ邸にあるカウンセリングルームは、白を基調にした清潔感のある部屋で観葉植物が飾られている。
ほんのりいい香りが漂っていた。アロマだろうか。何の香りだろう。
「……ジャスミン?」
「そうだよ。リラックス効果のあるものをランダムで選んでいるんだ。カウンセリングを受ける人に合わせることもある。変えようか?」
「いいえ、これで大丈夫です」
アグラヴァは私をソファーに案内した。
足を伸ばして座れるゆったりとしたデザインが、ちょっと不思議だ。
低反発なクッションを使っているのか、座り心地も抜群に良い。この椅子に座ってアロマを嗅いでいるだけで眠ってしまいそうだ。
私の座っているソファーとは別に、アグラヴァは一人がけのソファーに座る。
カウンセリングが始まると、アグラヴァは「最初に」と私に確認をする。
「悪夢の原因を探っていくために、事件の事聞いてもいいかな? あたしは犯罪心理学の研究で警察局に行くことも多かったから、事件の概要は知ってるけどカウンセリングのためにちゃんと聞きたいんだ」
聞かれて困ることでもないから、私は事件の時のことを詳細に語る。
アグラヴァは知っている部分と知らない部分をすり合わせながら、話を聞いていた。
途中、幾つか質問されたが、何も悩むことなく答えられた。
色々聞かれたが、アグラヴァは踏み込んだ質問をしてこない。
何かをメモしながら、アグラヴァは心理を読み解こうとしているが、これで何か結果が出るのだろうか。
私は疑問に思いながら質問に答えていく。
「領主の事は嫌いだった?」
「大嫌いですよ。農民の生活も考えない重税。権力を振りかざして若い女をとっかえひっかえ。金策に困ったら若い男を労働力として『貸す』なんて名目で売却。むしろ、好きなところがあるなら教えて欲しいです」
「……医療機関はあたしの管轄だから記録を確認もしたけど、褒められるところはなかったね。領主の息子のカウンセリングで、あたしなりに分析したけど」
「その領主の妻も嫌いでしたよ。金遣いが荒くて、領主に襲われた女たちを見ない振り。無茶な金策も……私への嫌がらせのような重課税も、あの女が指示したことですし」
「それは、確たる証拠があるの?」
「彼女は記録魔でした。日記に全部書いてありましたよ。フィリアに提出しています。殺したとて、私は冷静だったようです。必要な記録や資料は、全部回収していました」
「それは、死刑になるのが怖かったから?」
「……いいえ、きっと。理不尽に糾弾されるのが嫌だった」
彼らの息子は、あることないことを吹聴するような人間だったから。
彼のせいで死刑になりかけていたし。それも考えていたのだろう。どちらの味方にもならない、誰かが正しく裁いてくれると信じて。
「……後悔していません。そうしないと、私がきっと死んでいた」
「そうだね」
「いつも、自分が正解だと思う方に進んできた」
「フィリアから聞いてる。君は聴取にも検証にも素直に応じていたって」
「それが正解だったんです。自分の中で、それが一番良いって知ってた」
リラックスしているせいか、かなり口が軽くなっている。
言うつもりのなかったことまで口走っているのだから、私も気が抜けすぎている。良くないと思いつつも、抗い難い気持ち良さに目が閉じる。
「『──英雄とは、何を成し遂げるかでは無い。
────何を殺すかである』」
昔、偉い人はそう言った。
誰だったかは覚えていない。金ピカの輪っかを頭に乗せた、阿呆だった気がする。
それを真に受けた私はもっと阿呆だ。
ただ一度の、たった一度の奇跡を信じて、反旗を翻す大博打を打った。
人の道を外れる、大きな賭けをしたのに。
村を苦しめ、私を苦しめた領主を殺したのに、楽にも幸せにもならない。
誰かに喜ばれることも、褒められることもなかった。
己を奈落の底に落として、いつ来るかも分からない死を、ただじっと待つだけ。
そこから救われた一度きりの奇跡が、あまりにも眩しくて。
夢にすら思わなかった出来事が、あまりにも愛おしくて。
煌々と輝く未来に落ちる大きな影に、こんなに足を取られるなんて思っていなかった。
これが罪。
これが罰。
受け入れるべきものを、拒絶しているのかも。
だから、私は受け入れるまで悪夢を見続けるのかも。
「……後悔していません。あれが私が生きる道。それしかなかったからそうした。そこに後悔なんて微塵もない。でも、えぇ。口ではそう言っておきながら、私は悔やんでいるのかも。だから、自分を責め続けるために、あの夢を見る。それが私の罪なのだと」
本当にそうするべきだったのか。
そうなる前に、何かできたのではないのか。
微塵も考えていない振りをしていたのかもしれない。心の奥底で、悩んでいたのかもしれない。
それが、本当に最善だったのか。
――本当に、正しかったのか。
幸せなんかじゃない。繰り返す夢は、あの時の解放感を、高揚を、私に刷り込ませるものじゃなかった。
でも気になるのは、そこじゃない。
幾度となく続く夢に現れた異端なもの。それが、私に尋ねてくる。
今のアグラヴァと同じことを。
「本当にそれでいいの?」
その言葉の真意を、今だ掴めずにいる。




