2-2 見た目の大事さとは
「ナイフは、外側からって言ったわよね」
楽しいはずの夕食にも、ミゼラとトリスによる教育が続く。
テーブルマナーを教えるために、わざわざ用意されたコース料理を前に、私はナイフを取ることも出来ないでいた。
「フォークが大きいんだ」
「当たり前でしょ。サラダ用なんだもの。それはデザート用よ」
「デザート!? デザートにも、こんな大きな
フォーク使うのか?」
農民が使う通常サイズのフォークが、デザート用?
貴族はそんなにおおきな甘味を食べるのか?
(贅沢な暮らしだな)
下級国民がどんな暮らしをしているかも知らないで、豪華な食事に、お綺麗なお召し物を着て、本当に良いご身分だこと。
心の中で皮肉を吐き捨てていると、ミゼラが咳払いをする。
察しろ、といった態度が嫌いなので、わざと無視をすれば、ミゼラはため息混じりに口を開く。
「アタシ、最初に教えたはずよ。言葉遣いは」
「普段から気を使うこと。……えぇ、きちんと覚えています」
ミゼラの教育が始まった時、彼は一番最初に、私に言葉遣いの矯正をした。
丁寧語はもちろん、謙譲語や尊敬語の違いも叩き込んだ。
ミゼラと話す時は、多少崩してもいいと言われたが、定着するまではできるだけ敬語で話せと言われていたのだ。
すっかり忘れていた。
「ミゼラさん、言葉遣いなんて誰も気に留めないのではないですか?」
私はサラダをぽろぽろ落としながら、ミゼラに文句を言った。
ミゼラは「そんな事ないわ」と、私の文句を両断する。
「あなた、人が一番に目にするのって、どこかわかるかしら?」
人が最初に?
初対面で見るところなんてあるか。
利用できるか、できないか。その一点くらいだろうに。
「知りません」
「顔よ」
「うーん、端的」
確かに、最初に顔を見るが、それが何を表すと?
ミゼラは綺麗にサラダを食べ終えると、私が食べ終わるのを待つ。私が苦戦している間に、話を続けた。
「人は、第一印象で八割決まるの。その時見た目が整っていないと、汚い印象を持たれてしまうわ」
化粧がお粗末だったり、その場に相応しくない服装だったり、不快感を与える要素は沢山ある。
それだけでは無い。次に見られるのは服装だ。手を抜いた格好で人前に出ると、それが最後まで相手の印象として根付いてしまう。
身なりとは、相手に不快感を与えないだけでなく、自分の印象を良く見せるためにも重要なのだ。
「よく聞くけれどね。『人は中身が重要だ』って。理屈は分かるし、アタシもそう思うわ。けれど、見た目と中身の不一致はとっても醜いものよ」
「そうですね。顔が良くてもマナーが悪い人は沢山いますし、その逆も然り」
「ボロボロのリボンを巻いた、ホコリだらけの歪な箱に、とびきり美味しいケーキがあるって言われて信じられる?」
「だっはっは! 言えてるわ! あったとしても食えねーよってな!」
「口が悪いわよ」
ミゼラに窘められて、私は咳払いをする。
ミゼラが美しい所作で食事を進めている中、私はスプーンも上手く扱えない。
ミゼラはスープをとっくに飲み終えていて、私がテーブルクロスを汚しながらスープを飲む様を、じっと見つめていた。
それが恥ずかしくて、私は一度、手を止めた。
「私を待たなくてもいいんですよ。次の料理を持ってきてもらいましょうか」
「いいえ、結構よ。で、これがあなたに覚えてほしいこと」
──自分が相手に合わせること?
そんなこと、覚えてなんになる。
私の怪訝な顔に、ミゼラはなぜか、クスッと笑った。
(こいつは、笑いのツボが変な位置にあるのか?)
そんな失礼なことを考えていると、ミゼラは「違うわよ」と言った。
「マナーよ。というか、礼儀、の方が正しいかしら」
ミゼラが少し考える素振りを見せた。マナーだろうが礼儀だろうが、私には一緒のに思えるのだが。
ようやくスープを飲み終えた私に、トリスが説明した。
ミゼラはマナーと礼儀を使い分けている、と。
どちらも大体は同じ意味だ。言い方が違うだけ。でも、マナーが人が当然に身につけるべき作法なら、礼儀は意識して気をつけるべき作法なのだと。
「親しい人には挨拶をする、飲み物を残さない、使った本は本棚に……これが、できて当然の作法だろう? これがマナーだ。
礼儀は、嫌いな相手だろうときちんと挨拶をする、飲み食いした場所は綺麗に片付けておく、本は本棚の、元の位置に戻す、とか、マナーを守った上で、さらに気をつけるものだ」
「基本と、プラスワンの関係か」
「そうだ。お前にはプラスワンも出来てほしいという、ミゼラ様のお考えだ」
なるほど、なら、今ミゼラが私の食事が終わるのを待つのも、礼儀というものか。
でも、それが、先ほどの見た目の話にどう繋がるのやら。
『見た目と中身の不一致は、とっても醜いものよ』
彼の台詞が脳裏をよぎる。私は「まさか」と口にする。ミゼラの口角が上がった。そのまさかのようだ。
「あなたには、美しくいてほしいのよ。見た目も、中身もね」
ウインクまでするミゼラには、背筋が凍った。
覚えるべきは、最低限のマナーでは無い。最上級の礼儀作法──それが、ミゼラが私に求めているものだ。
一介の農民──それも、辺ぴな所の、大罪人。そんな女に、そんな大層なものを叩き込むと言うのか。
(とんでもねぇ奴に捕まっちまったな)
私は自分の人生の不運を呪いながら、運ばれてきたパスタに、また苦戦するのだった。