10‐6 商人として
船に帰ってから、ブルームの様子がおかしい。
夕飯もそこそこに、船長室の椅子に深く凭れて腕を組んで動かない。
机に置かれたヒノモトの地図と、何かのリスト。
それをじっと見つめて足をプラプラとさせてみたかと思えば、ため息をついて天井を仰ぐ。
一度席を立ったかと思うと、部屋をぐるぐると歩き回ってまた席に着く。
それをずっと繰り返していた。
――船員の相談があったから様子を見に来たが、これはたしかに変な行動だ。
私は窓からブルームの様子を見ていたが、かれこれ十分は同じことを繰り返していた。
声をかけたいが、なんと声をかけたらいいか分からない。
「どうしましょう?」
「どうしましょうと言われても。私にはどうしようもないです」
ブルームは必要だったら呼ぶ。今は存分に考えさせておこう。
とりあえず解散して、それぞれ過ごしていようと窓から離れた瞬間。
「ソラ、お前さんは残っちくれ」
ブルームからの指名が入り、私を残して船員は解散した。
私がそっと去ろうとしても、ブルームに呼び止められる。私は諦めて船長室に入った。
店のがちゃがちゃした雰囲気と違って、船長室はすっきりしていた。
オレンジの光で照らした部屋は、ブルームの神妙な顔で重苦しい空気を放っていた。
ブルームがリストを渡してきた。
そこには組織名が書かれていて、どれも見覚えがない。
私の反応を見て、彼はもう一つのリストを渡してきた。
やはり見覚えがない。……いや、数人は知っている。ミゼラの刺客リストに載っていた。大体殺したと思っていたが、まだ残っていたか。
「この方と、この方、あとこの辺。彼らは知っています。このリストはなんですか?」
私が尋ねると、ブルームが椅子に座って答えた。
「イーグリンドで確認している国内の麻薬組織たい」
……ははぁ。じゃあこれは、組織と構成員か。
国内の組織は少ないが、構成員は多いな。元々あるものに所属した方が手っ取り早いのは分かる。
「どう思う?」
ブルームが尋ねた。私に麻薬取引の前科はないから、確かなことは言えない。でも率直に言った。
「新たな流通経路の確保や顧客開拓を考えたら、組織数に対して構成員の数は妥当かと。でも、ヒノモトが規制するには少々組織数が少ない気がします。少ない組織は利益を大きく得ることが出来るかもしれませんが、検挙されては一気に没落する可能性もあります。
それに、これだけだったら規制するまでの麻薬の流通は難しいし、イーグリンドのみ貿易禁止になるはず。他国も含まれているのなら、他国の組織も共謀してヒノモトに密輸した可能性があります」
私の意見に、ブルームも「んだなぁ」と同意する。彼は腕を組んで天井を仰ぐと、またため息をついた。
「国内の流通は、わいの監視下にあるけん、いつでも止められるけっぢょも、国外はわいの目が届かん」
「ブルーム様が、流通の支配を?」
「……わいも、貴族でないにしても十二血族じゃ。それに、同じ商人として粗悪品の出回りは防止しんと。転売しかり、パッケージ詐欺しかり、薬物しかり……正規品の販売をせんで商人を名乗らせるわけにいかんがろ」
ブルームの商人魂に、私は感心する。
彼は誇りを持って商売を営んでいる。楽だから、儲けられるからなんて生半可な気持ちの輩は嫌いなのだ。
私は「そうですね」と、もう一度リストに目を落とした。
ブルームが悪質な商売人を見逃すとは思えないが、調べた組織で全部かは分からない。それに、どうせだったら国外の組織も知りたい。
ヒノモトで巡回して探してもいいが、時間がかかりすぎる。
リュウマがいるとはいえ、協力してもらえるかもわからないし。
協力してくれる人が欲しい。
国内外に目を光らせていて、裏組織を把握しきるだけの腕を持ち、かつ犯罪行為を許さないような、そんな誰か。
――……私には一人しか思い浮かばなかった。
「ブルーム様、イーグリンドに電話をかけることは出来ます?」
「出来るども、誰にかけるや?」
「……昔馴染みに」
***
電話の向こうで、フィリアがため息をついていた。
私は呆れ笑いをしながら「よぉ」なんて言う。彼女はもう一度、深いため息をついた。
『ブルーム殿から電話がかかってきたと、父上に聞いたんだがな』
「こうでもしないと、お前に出てもらえないと思ったんだよ」
『時間を考えて電話しろ。何時だと思ってる』
「時差に関しちゃ申し訳ねぇと思ってるぜ?」
電話越しにフィリアの欠伸が聞こえてきた。
めんどくさそうな雰囲気を隠さずに、フィリアは会話を続ける。
『貴殿から電話なんて珍しい。どうした、何をした? 自首なら最寄りの警察署に行ってくれ』
「ちげぇわい。頼みたいことがあるんだって」
『貴殿の頼み事なんて碌なことがなさそうだ。帰ってくれ。私は関わりたくない』
「ヒノモト国での麻薬流通の件」
『知ってる』
フィリアに話を切り出すと、フィリアの気怠そうな声が一瞬で変わる。
フィリアに事情を説明しなくても、彼女ならわかっていると思っていた。
『それが何だ。まさか、貴殿が犯人なんて言うまいな』
「言わねぇよ。あのさ、イーグリンドも含めて、麻薬を扱う組織ってどこか知ってっか?」
『……長いけどいいか?』
「いい、いい。ちゃんとメモすっから」
私はその時は何も考えていなかった。
フィリアは国別に麻薬組織の名前を挙げていった。
私はそれをメモしていたが、まさか彼女が国内外の全ての裏組織を覚えているなんて思っていなかった。
最初こそ、すらすらとメモを取れていた手も、段々指も手首も痛くなって、見かねたブルームが代わってメモを取り始める。
ブルームが疲れたら、私が。私が疲れたら、ブルームが……と交代でメモを取っているうちに、床一面が裏組織のリストでいっぱいになってしまった。
ようやくメモを終えると、フィリアが『長いと言ったぞ』と呆れていた。
「全部って思ってなかったんだよ」
『全部出した方が良いだろ。想定外の組織出てきたら、困るのは貴殿らだ』
「それもそうか。……で、その頭もうちょっと拝借したいんだけど」
『組織の選別か? それ以上は協力しないぞ』
「それでいいから」
私はフィリアと話しながら組織を絞っていく。
船を使える組織はどこか。隠すのが上手いのは、交渉上手な組織は。
フィリアのアドバイスも得て、組織を床一面から一枚分に絞ることが出来た。
これだけ絞れたら、あとはこちらで何とか出来る。
「ありがとな。助かった」
『……ん? あぁ、構わない』
うとうとしているフィリアが返事をする。そろそろ彼女を寝かせてあげないと、明日の検挙率が下がってしまう。
私が電話を切ろうとすると、フィリアが言った。
『国外のトラブルは、私の担当外だぞ』
――知ってる。
ついに寝ぼけておかしなことを言い始めたか?
私が「そうだろうな」と言うと、フィリアが笑っていた。
『聡い貴殿が分からないはずがないだろう。国外のトラブルは、私の担当外だ』
「──……あぁ、ふふ。そう言う事」
私は彼女が言わんとすることを察して、電話を切った。
ブルームも絞り切った組織のリストを目に焼き付けている。
私は背伸びをした。明日は忙しい。
まずはリュウマに、協力の申し出からだ。




