9‐6 ソラとソラシエル 3
夕方、ペンスリーの屋敷に戻ってくると、彼に連れられて私は談話室に通された。
談話室は、屋敷全体のシックな内装と真逆で、白と赤を基調としたフェミニンな室内だった。柔らかいソファーに座ると、ペンスリーはメイドに紅茶の準備を頼む。
私の手を包み込んで、ペンスリーは「すまないな」と謝罪した。
「彼らは元来、優しい領民たちだ。だからこそ、お前に驚いただけなのだ」
「気にしねぇよ。いちいち、そんな当たり前のことに傷ついていられるか」
彼の手は、きゅっと力が強まった。ペンスリーは顔を上げない。罪人相手に申し訳なく思う必要は無いだろうに。
(……あぁ、違うのか)
ペンスリーは私の手を撫でて、「愛しき…」と呟く。
自分とよく似た顔、性別が違うだけと言っても納得するような姿は、鑑定する必要もない家族の証。
彼は、私を『罪人』と一度も思っていないのだ。
だからなのか。私の胸にある違和感は。
私はペンスリーの手をそっと避けて、彼に言った。
「あんたが私を受け入れても、領民は私を受け入れない。あんたにとって、私は『失われた娘』なのかもしれないが、他人にとって私は『自分の領主を殺した女』だ。それはどう頑張っても覆らない」
ペンスリー一人の想いだけで、何とかなるわけではない。それに、領主を騙している女に見える以上は、ここで暮らすには苦労が付きまとう。
それに、私自身が困る。嫌われるのはいつもの事で、それが普通だ。でも、……家族のいる生活は違う。今まで一人で生きてきた。仕事も、家事も、全部一人だ。
ミゼラたちとの生活も、彼らが他人で、契約での仲だから苦労はしなかった。
でも、いきなり現れた父親と、何を話せばいい。私には、それが出来ない。
ペンスリーは私の髪を優しく撫でて、頬に触れる。
彼は、満月のような目で私を見つめる。彼の瞳に移る私は、不安そうな顔をしていた。
「誰が何と言おうとも、お前は吾輩の娘で、我が妻の生き形見だ。罪があろうが、何だろうが、それは生きていること以上に重要なことか? 再び会えた喜びよりも、娘が悪人であることを嘆けというのか。
吾輩は、お前の全てを受け入れよう。その罪が首枷になるのなら、吾輩がそれを退けよう。今後あらゆるものが、お前を傷つけようとするのなら、吾輩の全てをもってお前を守ることを約束する。吾輩が、お前の盾となろう」
ペンスリーはそう言って、私を自分の胸に閉じ込める。もう手放したくないという思いが、痛いほど伝わってきた。
でも、これを受け入れていいのだろうか。
メイドが紅茶の用意をして談話室に戻ってくる。テーブルに乗りきらないくらいにケーキやその他スイーツを並べて、ペンスリーは「好きに食べ給え」と紅茶を注ぐ。
私は、温かい紅茶を受け取った。……せっかくのスイーツは、味がしなかった。
***
夕食も済ませ、あとは寝るだけの時間。
明日にはミゼラの家に帰るのに、私の心はこんなにも重い。
今日も眠れそうにない。でも、朝まですることもない。
「最悪だ」
……どうせなら、少し外に出よう。
夜の空気を吸って、気持ちを切り替えたい。
私はストールを羽織ると、こっそり廊下に出た。
音を立てずに歩いていると、海風が強く吹き付ける。冷たい空気が肺に刺さって、息が詰まりそうだ。
黒い海は波さえ見えず、さざ波の音だけが聞こえてくる。唯一見える水平線が、星空を遮って世界を半分にしたみたいだ。
私は気が付いたら、窓に手をかけていた。風を浴びるように、身を乗り出す。
海風が私の髪をなびかせて、頬を包む。
呼ばれているような気さえして、私は手を伸ばした。
……バカだった。私を呼ぶ人なんて、この世のどこにもいないのに。
「ちょっと! 何やってるのよ!」
急にミゼラの声がして、私は廊下に引き戻された。
私が見上げると、すっぴんのミゼラの焦った顔が私を見ていた。
私がきょとんとしていると、ミゼラはトリスを呼んで、自分の部屋に私を連れて行く。
トリスは温かいココアを用意して、ブランケットをかけてくれた。しかし、私はブランケットを返す。
「ストールがあるから大丈夫だ」
「ストール? 何もかかってないぞ」
私はこの時、初めてストールを失くしたことに気が付いた。
トリスは探してくると言って、部屋を出て行った。
ミゼラはスキンケアの途中だったのか、ドレッサーに座ると、並べられた化粧品を顔に塗りたくっていく。私が与えられたものより数が多い。もしかして、最初に持たされたのはかなり手加減された量だったのか?
渡されたココアを飲みながら、私はミゼラの自分磨きのストイックさにドン引きする。ミゼラは鏡越しに、私を覗いていた。
「何かあったのね」
「何もありませんよ」
「その割には酷い顔してるわ」
「気のせいです」
「嘘が下手ね」
ミゼラに見透かされて、私は適当に笑った。しかし、それで逃がしてくれる彼ではない。スキンケアが終わると、ミゼラは私の隣に座った。
私の顔を覗き込む彼は、相変わらず綺麗な顔をしている。それがどうしてか、安心するのだ。
ミゼラは一息つくと、「今日だけよ」と私と同じ飲み物をカップに注ぐ。
「いつもはこんな時間に甘いものなんて飲まないの。でも、今日だけは特別」
「ずっと規制していたら気が滅入りますものね。息抜きも必要でしょう」
「えぇ、そうね。だから、あなたも今日は口調を直さなくていいわ。……汚い物言いは美しくないけれど、それじゃ本音は話せないわ」
ミゼラは私にそっと肩をつけると、ココアを飲んで微笑む。
「今だけ、アタシの偽装婚約者じゃなくて、アタシの良き友人として話したいわ。ソラ・アボミナティオの言葉で、話がしたいの」
ミゼラの言葉が、胸にじんわりと染みわたっていく。息が詰まりそうだったのに、肩から伝わる彼の温度に気持ちが緩んでいった。
小さなオルゴールを開けた時のように、私の口から言葉があふれてくる。
「……私はマル・チロ伯爵の娘にはなれねぇ。私は農民で、汚い殺人犯だ。今さら家族ができて、今さら貴族でしたなんて言われたって、私の仄暗い過去を切り離せるわけじゃねぇってのに。……マル・チロ伯爵は私を娘として迎え入れようとしてる」
彼の気持ちを蔑ろにしたいわけではない。けれど、私が彼の家族に戻ることで、彼自身の経歴や信頼に傷をつけることになる。
私自身、今さら現れた家族と生活なんてできないし、父親との接し方も分からない。
どうしたらいいかも、何が最善かもわからない。
気持ちがごちゃごちゃしていて、自分がどうしたいのかもわからないのだ。
私は思ったことをそのままミゼラに吐露する。ミゼラは話を最後まで聞いて、うんうんと頷いていた。
私があらかた話し終えると、ミゼラは一言、「立派ね」と言った。
話を聞いて、何が立派なのか。私が彼を見上げると、ミゼラは肩眉を上げた。
「あら、自分で言っていて気が付いてないのね? あなた、自分の心配より、マル・チロ伯爵の心配をしていたのよ」
ミゼラはそう言って、私の話を客観的にまとめる。
私の話は、ミゼラが聞いた限りでは、『家族がいたことは嬉しいが、自分の経歴がペンスリーのあらゆる部分に泥を塗る。だから彼の側に居ることは、彼にとってマイナスになる』という事だった。
自分で話していて、そんな感じはしていなかった。けれど、確かにそう聞こえる。
ミゼラは私の肩を抱くと、「大丈夫よ」と私を励ましてくれた。
「これは、アタシからどうこう言える問題じゃないわ。あなたたち家族の問題なんだもの。でも、アタシからひとつ言えるのは、あなたはいつだって、自分が一番いいと思った行動が出来ること。それが、他者から見て正解かなんて関係ないの。あなたが出した決断は、いつだって悪い方向に動かなかった。……それを信じてもいいんじゃないかしら?」
私は「そうか」と零した。
霧がかった頭の中がすっきりしてくると、自然と涙がこぼれてくる。
重たかった荷物が軽くなって、その安心感から、私はミゼラの前でぼろぼろと泣いた。
ミゼラは何も言わずに私を抱きしめる。彼の大きな手は、腕は、胸は、何よりも温かかった。




