9‐5 ソラとソラシエル 2
馬車の中から見るペンスリーの領地は、昨日までの彼の姿とうってかわって、綺麗に整えられている。
娘を失くし、妻を亡くし、荒んだ生活をしても民の生活は富んでいるべき。そんな考えがよく表れている。
整えられた農地に、首都ほどではないにしても繫栄した町。彼の姿や屋敷の雰囲気とは全く異なる長閑な領地は、ペンスリーの自慢だ。
広大な果樹園に着くと、馬車が停まる。馬車を降りると、果樹園で育てているのがリンゴだと知った。ペンスリーは近くの木まで私を連れて行く。
「もうじきリンゴが食べ頃だな。吾輩の領地で育てているリンゴは、イーグリンドに流通している約8割を生産している。もちろん、輸出用のリンゴも作っているがね」
「良いリンゴだな。贈答品にもってこいだ。これなら一つ、500パウはくだらない」
私はわざと汚い言葉で彼と会話をする。しかし、ペンスリーにはこのこの無礼が通用しないのか、嬉しそうに笑っていた。
「見る目があるな。そうとも、吾輩の領地のリンゴは贈答用が多い。国内外でも人気があるのだ。農民としての暮らしが活きているのだな」
もしかして、今、好感度上がった?
馬車に戻ると、ペンスリーは町に向かった。
広場にそびえる時計台を囲むように、家や店が建てられている。
道は真っ直ぐに整備されていて、蜘蛛の巣のような構造をしていた。
ペンスリーの馬車が町に入ると、領民は皆馬車に頭を垂れる。
敬われているペンスリーを見ると、とても良い領主なのだと実感した。
「慕われてるんだな」
「お前が住んでいた所の領主とは違ってかね?」
「なんだ、バレてんのか」
「言いたいことは分かっている。無論、どうしてそのような態度を取るのかもな」
ペンスリーは全て見抜いていて、私の態度を不問にしている。
化け物みたいな観察眼と推理能力だ。それでいて執念深くて粘り強い? ……ペンスリーを敵に回した国外勢力が哀れだ。どうやって勝てというのか。
(秋の決闘、ペンスリーが出てたらロイが喜んだと思うんだよなぁ)
彼の観察眼なら、ロイと互角の勝負になっただろうに。
国の防衛は、攻めるのと同じくらい大変かもしれないが、一日くらいなら問題ないだろう。
馬車が広場に停まると、住民が集まってきた。
ペンスリーは馬車を降りると、住民に娘が見つかった旨を話す。喜びの声が聞こえてきて、ペンスリーが私を馬車から降ろした。
彼のエスコートで馬車から出ると、住民の表情が変わる。祝福モードから一転、ひきつった表情の彼らに、私は顔を見られない。
拍手も止んで、聞こえてくるのは悲鳴だった。
「領主殺しの罪人だ!」
誰かが叫んだ言葉が、鮮明に聞こえてきた。
ペンスリーを慕っている領民には、私は恐ろしい殺人犯だ。それが、娘を名乗って現れた。それからどうなるかなんて、火を見るよりも明らかだ。
「出ていけ殺人鬼!」
「自分のとこの領主だけじゃ足りないって言うの⁉」
「牢屋から出てくんなよ!」
さっきまでの喜びの声は、最初からなかったように浴びる罵声。
いいや、私がしたことだ。全て事実だ。これを否定することは出来ないし、受け止めなければいけない声だ。
誰かが私に石を投げた。
手のひらに収まるくらいの大きさだ。
(──避けられる)
避けられる距離だ。スピードも遅い。
けれど、私は避けなかった。
当てられて当然だ。私は、人を殺した。
……安心する。
私は貴族に向いてない。
農民上がりの殺人犯で、こんなきらびやかな格好も、世界も、相応しくないのだと、誰かに認めてもらえている。私もそうだって、思える。
それなのに、石は私に当たらなかった。
顔に当たる直前、ペンスリーがとんでもない反射神経で石を掴んだ。
ペンスリーが石を掴んだ途端、罵声がぱったりと止んだ。
何が起きた。私はペンスリーを見上げる。
ペンスリーは般若のような形相だった。額の血管が浮いて、今にも破裂してしまいそうだ。目も、獲物を見据えた蛇のように鋭くて、指の先が動くことも許さない。
体から発する圧が強い。体格のせいではない。彼の感情が、彼の性格が、彼の心が、領民たちに怒っている。
「吾輩の娘を罵るか」
静かに発せられた言葉が、大岩のように重い。
「吾輩の、娘との再会を拒むか」
嘆く声が、領民たちの首に巻きつく。
「最愛を奪われ、待ち続けた妻さえ失い、それでも希望を持ち続けた吾輩の娘を、お前たちは罵るのか」
語りかけるように話すペンスリーは、ちょっと動いただけで人を殺しそうな勢いだ。話し合える雰囲気を出しているのに、彼がかけている圧力は、断頭台に立たせているのと等しい。
「領主を殺した? 些末なことに囚われて、人を罵るのか。ソラシエルは人を殺した。奴隷同然の扱いを受け、尊厳さえ奪われそうな窮地から脱するためだ。それを結果だけ見て、お前たちは非難する気か? 追い詰められた状況下、人は何をするのかわからぬ生き物だ。お前たちはそうしないと心から言えるか」
(──あぁ)
私は、私を庇ってくれるペンスリーを、ようやく真っ直ぐ見られた。
私は、彼が娘が帰ってきて浮かれているだけだと思っていた。けれど、彼は、私の罪も受け入れたうえで、娘として迎え入れようと思っているのだ。
それなのに、私は彼を『自分が罪人だから』という理由で遠ざけた。
私はいったい、何を見ていたのだ。
「我、『サーペンス』の名において」
ペンスリーがそう発するのを聞いて、私はとっさに体が動いた。
領民たちを庇うように腕を広げ、ペンスリーの前に立ちはだかる。
「……それはいけない」
ペンスリーが何を命じようとしたか、私にはわからない。それでも、これは言わせてはいけなかった。
「命令で、従えることはできるだろう。でも、根本的な解決にならない。あんたにとって私は愛しい娘だろうけど、彼らにとっては恐ろしい人殺しだ。見えるものだけが真実じゃない。それを知るには、時間が必要だ。よく考える必要があるんだ。……お互いに。そうだろう?」
ペンスリーは私の言葉に耳を傾け、目を閉じて考える。
説得できるとは思っていない。けれど、この命令で領民との間に亀裂が入るのは良くない。それは、それだけはやめてほしい。
「……よかろう。娘の頼みだ。今日のところは見逃そう」
ペンスリーは私を馬車に避難させると、領民を一瞥する。
「今一度、考えることだ。今の彼女の姿を見て、本当に我が娘が悪人かどうかを」
そう言い残して、ペンスリーも馬車に乗った。広場を去ると、ペンスリーは私を慰めるように抱きしめる。私は片手だけ、彼を抱き返す。
ペンスリーは「大丈夫だ」と言うが、それは私に向けられている感じがしない。
私は「大丈夫」と返した。
これは、私に向けた言葉だ。




