9‐3 知られざる出生
夕食も終わり、用意してもらった部屋にそれぞれ向かう。
ミゼラは、ここにいる間は襲撃を気にしなくていいのか、トリスと離れた部屋でも要望を出さなかった。
メイドたちがミゼラとトリスを案内するから、私もメイドを待ったが、誰も来ない。ついにペンスリーと二人きりになると、冷や汗が止まらなかった。
(気まずい)
どうしろというのだ。
このデカい男と一緒にいて、私に会話なんて出来るものか。ミゼラは助けてくれないし、トリスも相手が貴族だと出しゃばることが出来ない。
二人になると、ペンスリーは私の手を自分の腕に乗せる。そのままエスコートして、私と廊下に出た。
ミゼラたちとは道が違う。彼らは左に曲がっていったのに、私だけ右に出た。
これは、何か試されているのか。いや、私をミゼラたちから遠ざける目的か?
そんなことを考えていると、ペンスリーは低いけれど、穏やかな声で話しかけた。
「こうして、娘と過ごせるなんて夢のようだ」
私は地獄のようですが。
そう言ってやりたい。
ペンスリーは私の手を包むように手を重ね、慈しむ眼差しをこちらに向けている。
「ちゃんと用意していた。お前の部屋を。……ずっと、ずっと」
案内されたのは、木製のドアの部屋だ。
銀の装飾が施されたドアを開けると、ベッドやテーブル、本棚やクローゼットなどの家具が揃っている。そのどれもが年季の入った品々で、とても丁寧に手入れされていた。
本棚には、絵本から最近流行の小説まで揃っており、歴史書や勉強用の本までぎっしりと詰まっていた。
クローゼットには、子供用のドレスや真新しいドレス、妻の形見であろうドレスも入っている。
「全て、お前のものである」
ペンスリーは私の部屋だと、私を先に入れた。私は部屋の中にあるものを見て、思わず泣いてしまった。
端っこに片付けてある積み木や人形、使うことなく降ろされたモビール。どれも古いものなのに、今日まで大事に磨かれている。
彼は私を待っていた。
彼は私が帰ってくると信じていた。
今日帰ってくる。今日でなくとも、明日帰ってくる。
きっと、きっと自分たちの元へ。
「……二十年も、待っていらっしゃったのですね」
私の涙を拭って、ペンスリーは「そうだ」と答えた。
ペンスリーは一枚の写真を見せた。とても古い写真だ。母に抱かれた一人の赤子。確かに黒い髪と赤い瞳を持っている。
赤子はきょとんとした顔で、こちらを向いていた。
ペンスリーとその妻は、穏やかな顔で微笑んでいた。その姿に、胸が詰まってしまう。
「アティーナは四年前に旅立った。お前の帰りをずっと、待っていた。やっと、アティーナに報告できる。娘が帰ってきたと」
私には、もしかしたら。
ここで暮らして、優しい両親に見守られて、健やかに暮らす世界があったのかもしれない。そうしたら、農民として生きることも、虐げられることも、領主を殺して監獄行きになることもなかったのかもしれない。
写真に落ちる私の涙は、ほんのり温かい。
もしかしたらに、期待している自分がいる。
けれど、これに縋るわけにいかない。
「釈放の嘆願書にマル・チロ様の署名がありました。ならば、私の罪はもうご存じでしょう」
私は尋ねた。
私が十二血族に影響を及ぼしてないかを確認するために、フィリアは必ず来ただろう。そして、彼女は私の写真を持っている。それを見せたに違いない。
ペンスリーは「無論」と答える。
「写真を見た時、一目でわかった。吾輩の娘だと。調べたとも。今までの事も、ミゼラビリスの元で、何をしているかも」
ペンスリーは知っていて署名をした。
彼はメイドにある記録を持ってこさせる。それは、私に関する調査書だった。
私は誕生日も確認し、私が誘拐された時期と私が村に保護された時期も確認する。ほぼ一致していた。
私を誘拐したのは、国内で人身売買をしてる組織だった。身代金で組織の運営費を確保するも、私をマル・チロ夫妻に返すことなく、人手不足を嘆いていた村に売った。
しかし、その村は私の見た目を忌み嫌い、あのような仕打ちをしたという。
そこから先は、私の記憶と同じ。されたことも、したことも詳細に記録されている。
それを知ったうえで、ペンスリーは私を娘だと言った。
人を殺した女など、見捨てれば良かったのに。
「……──ならば、なおさら人違いです」
ここまで証拠を出され、悪あがきにも近い所業をする。
調査書を返し、彼に向き直った。
「私は、ソラシエル・マル・チロではありません。ソラ・アボミナティオです」
知ってしまった。自分の出生。
知ってしまった。自分にあるかもしれなかった道。
知りたくなかった。私にあった世界線。
ここで生きていく道をペンスリーは提示してくれている。
それを、自分の手で閉じないといけない。
だから、私はありのままを、彼に見せないといけない。
「……やめろよな、殺人鬼を娘と呼ぶとか正気の沙汰じゃねぇ。私は確かにあんたの娘だったかもしれねぇ。でも、もう他人だ」
引き返せない。
引き返せるだけの場所にいない。
血に染まっている。私の手は汚い血で染まっている。
それ以上近づかないでくれ。
それ以上私に手を伸ばさないでくれ。
その手を掴めるほど、私はきれいじゃない。
人を殺した。
人を殺した。
ミゼラと契約して、今もこの手を汚している。
ペンスリーは無表情だ。
私は彼を拒まなくてはいけない。そうしないと、お互いのためにならない。
「こんなもんを、家族だというなよ。十二血族の名が廃る」
「……お前が、サーペンスの名を継ぐのにか」
「さっさと切り捨てて、別の誰かに爵位を譲れよ。私に何ができるってんだ」
分かってる、自分がここに相応しくないことに。
気づいている、自分の中の期待に。
相反する気持ちが、胸の中で渦巻いて吐きそうだ。
こんな思いをするくらいなら、ミゼラに誘われた時に断ればよかった。
《私に家族? いるわけないですよ。クソみたいな田舎の農村で暮らしてて、今更ひょっこり出てくるわけないでしょ》
そう言えば、彼の言葉に期待しなくて良かったのに。
ペンスリーは私の髪を優しく撫でると、「今日は休み給え」と額にキスを落とす。
幼い子供を寝かしつけるように頬に触れて、彼は自分の部屋に戻っていった。
私はベッドに腰かける。部屋にあるもの全て、見たことがないのに懐かしい。
この気持ちを大事にしたい。それでも、これを受け入れてはいけない。
「眠ろう」
私はようやく、寝転んだ。
高く昇った月を見つめて、私は息をつく。
……眠れるだろうか。今日は、人生の今までで一番、恐ろしく長い。




