9‐2 辺境爵サーペンス
巳の血族、サーペンス伯爵の屋敷に着いたのは夜の7時くらいだった。
昨日の日暮れに家を出て、今日の夜に着くなんて彼の屋敷はこんなにも遠いのか。
しかも、屋敷の裏は海に面していて、建っている場所なんてほぼ崖だ。こんな所に家を建てるなんて、とんでもない変わり者に違いない。
私たちは馬車を降りて、屋敷の門の前に立つ。
ミゼラが呼び鈴を鳴らそうとする前に、メイドが門を開けてくれた。
「お待ちしておりました」
メイドは私たちの荷物を持ち、屋敷に案内してくれる。
夜であることを除いても屋敷の中は真っ暗で、壁には蠟燭があるがほとんど役に立っていない。最北端の地で石造りの屋敷はあまりにも寒い。要塞の役割も果たしているせいか、廊下には窓がなく、海風が容赦なく入り込んでくる。
蝋燭の、風に揺らめくオレンジ色の光が床に反射して、床に反射していた。
絵画が飾られているくらいで、その他の装飾品もない。質素倹約な家の造りは、あまりにも無機質で、不気味さもある。
「かつて、この屋敷も様々な調度品を飾っておりました。ですが、奥様が亡くなられた後、伯爵様が壊してしまいました」
「随分荒れてらっしゃったのですね」
「それくらい、ショックな出来事でしたので」
メイドに案内されたのは、ダイニングだった。
てっきり談話室に通されると思っていた。私は驚くが、ミゼラは特にその様子はない。
ダイニングのドアが開くと、蝋燭で飾ったテーブルに海鮮や肉、果物など体力の回復によさげな食事が用意されていた。
一番奥の席に座っていた、真っ黒な男。
服装の事だけでない。髪も、爪も、真っ黒だ。髪は胸くらいの長さで手入れもされていない。髭も長く伸びていて、顔半分が隠れている。良く見えない顔から、瞳だけが月のように黄色く輝いている。
男はゆっくりと立ち上がり、私たちの前に進んできた。
遠くで見ている分にはミゼラと同じくらいの身長に思っていた。しかし、近くに来ると、彼は首が痛くなるほど身長が高くて、まるでウンディエゴだ。
二メートル、きっと超えている。男は、ミゼラに握手を求めた。
「……ここまでの長旅、ご苦労である。辺境への旅路はさぞ辛かろう。疲労回復に良いとされる食事を用意した。執事の分もある。まず食べ給え」
「手厚い労い感謝します。サーペンス伯爵」
「今は、十二血族の異名は不要。ペンスリー・マル・チロと」
彼が、サーペンス伯爵か。地を這うような声だ。
ミゼラとの挨拶が済むと、ペンスリーは私の方を見た。
私が挨拶をしようとすると、彼は目と鼻の先まで顔をずぃっと近づけた。
満月の様な瞳が、私をじっと見つめている。
蛇に睨まれているようで、息も出来なかった。
ペンスリーは長々と私の顔を見つめると、優しく頬に触れる。
やわやわと頬を揉む手は、冷たいけれど慈しみが込められている。
名乗らせてももらえないまま、ペンスリーにされるがままで時間だけが過ぎていく。ペンスリーは丹念に私を確かめると、柔らかく微笑んだ。
「帰ってきたか。ソラシエル」
ペンスリーは私をそう呼んだ。私は、それを聞いてショックを受けた。
……聞き間違いか? そうであってくれ。
「マル・チロ様、私の名前はソラ・アボミナティオです。ソラシエルではありません。人違いではありませんか」
彼の言葉を否定したくて、私はそう口走った。しかし、ペンスリーは訂正しない。
私を娘だと言い張る。私は「どこを見て、そう思われましたか」と彼に尋ねた。
「髪の色は、吾輩と同じ。瞳の色は、アティーナと同じ。吾輩の娘は、二十年前に攫われたのだ。身代金を払っても帰ってこなかった」
そう語るペンスリーは、とても悲しそうに肩を落とす。
それ以上は聞けなかった。
ペンスリーは私たちを席に座らせる。
ミゼラはペンスリーと一席分空けて座る。私が彼の隣に座ろうとするが、ペンスリーに手を引かれ、彼の隣に座ることになった。
私はミゼラに目線で指示を求めるが、ミゼラは知らないフリをする。助けてほしい時に助けてくれないなんて、これでも婚約者かよ。
あえてペンスリーを見ないようにしながら、私は料理を皿に盛る。
好きなものを載せているだけで、ペンスリーは微笑ましく見つめていた。
「ローストビーフ、トマトスープ、フィッシュフライ、どれもアティーナの好物だ。ソラシエルは、アティーナに似たのだな」
――今まで食べたことなかったからです。
「ぶどうジュースは好きかね。パンもお代わりを用意しよう。食べられるものはあるかね。足りるかね」
――まだ皿に盛ったばかりです。
「イカ墨のパスタも、タコのカルパッチョもある。用意させよう」
意外とおしゃべりなんだな。
私はちらっとミゼラの方を見ると、ミゼラがぽかんとしていて、珍しくフォークに刺したチキンをぽろっと落とした。
ミゼラの反応を見る限り、ペンスリーは普段は喋らないらしい。
そうれもそうか、ここから出てこないと言っていた。会話も無いだろう。
しかし、ペンスリーは積極的に私に話しかけてくる。それどころか、胃がパンパンになるまで食べさせてこようとする。
太った頃合いに殺されるんじゃないかとさえ錯覚する。
「ソラシエル」
ペンスリーは何度も私をそう呼んだ。
その度に、居心地の悪さを感じる。私は彼の娘じゃない。
それでも、彼は私をそう呼んだ。
どうしたらいいのだろうか。どうすれば。
彼は、私を手放してくれるのだ。
(それなのに、知らない記憶がある)
こんなにも知らない場所で、初めて会った人と話している。
それなのに、なぜ懐かしいのか。……なぜ、安心するのか。




