9-1 知りたい
ミゼラの家に帰ってきてから、私はずっと書類の名前をじっと見つめていた。
タウラやブルームなど、見知った彼らの名前に混じってある、『巳』の血族の名前。
知らない名前の人が、私の親を名乗っている。
「いるもんかよ、私に父親なんて」
『巳』の血族──サーペンス伯爵。
北の辺境に住み、国の防衛を司る血族。ロイが国の剣ならば、サーペンス伯爵は国の盾だ。
国の防衛に徹しているため、常に国外の動きに目を光らせている……と聞く。
そんな男が私の父親? そんなわけあるか。
そう思っていても、どうにも引っかかる。
もう三日も経つのに、私の頭は霧がかかったように不明瞭だ。
黄昏の部屋、肌寒い空気に包まれて、私がベッドに寝転がる。その直後にエリーゼが私を呼びに来た。寝転がっている私を見て、申し訳なさそうに目を逸らした。
「お姉様、ミゼラビリス様がお呼びですわ。……お休みであれば、時間を置くように言っておきますが」
「いいや、今行く」
私が起き上がると、エリーゼは私の後ろをついてくる。
不安そうな彼女に、私はフラン語で話しかけた。
『何が不安だ?』
エリーゼは胸の前で手を組んで、唇を震わせる。
『帰ってきてから、お姉様はずっと悩んでいるでしょう? 私にはそれが心配で、不安なのです』
また、いなくなると思っているのだろうか。
私は不安に震える彼女の肩を抱いて、『心配ない』と励ました。
エリーゼは私の服をきゅっと掴んでしがみつく。
***
呼ばれたのは、ミゼラが普段近寄らせない彼の書斎だった。
ミゼラは手を組んで、私を迎え入れる。
会話をしなくても、何を言いたいかはお互いに分かる。だから、ミゼラは私に言った。
「会いに行ってみない? サーペンス伯爵に」
その提案を、断る理由もない。
私が二つ返事で了承すると、ミゼラはトリスに指示を出す。
私も荷物の準備をしようと思ったが、ミゼラはそれを止めた。
「あんたはそのまま、何も持たなくていいわ」
一泊分のカバンを渡されて、私はそのままミゼラに連れられて馬車に乗る。
もうじき夜になるのに、いいのだろうか。夕食の準備だってあっただろうに。
しかし、ミゼラは何も言わない。トリスも、ミゼラを止める素振りを見せなかった。
深夜まで走った馬車は、道中の小さな宿屋に停まる。
小さな部屋を二つ借りて、ミゼラは私に一人部屋を譲った。
「ミゼラ様が使うべきです」
「アタシに女性と一部屋使えって? 冗談はよして。そんな男じゃないのよ」
「ですが、侯爵に使用人と相部屋は」
「トリスが一緒の方が安心だわ」
ミゼラは私を部屋に押し込むと、トリスと隣の部屋に入っていった。
私は窓から周辺を警戒し、怪しい人物がいないかを確認する。
「念のため、クロスボウを」
鞄を開けるが、化粧品一式と最低限の着替えしか入っておらず、武器になりそうなものは一つも無い。私は呆然とする。
……素手? 久しぶりの? ちょっと自信ないかも。
でも、出来なくはないか。
一人で勝手に納得し、椅子に座って、仮眠を取る。
明け方までに何度か目が覚めたが、隣からは穏やかな寝息が聞こえてくる。
朝になったら仕事は終わり。着替えをして、トリスが呼びに来るまでに化粧を済ませる。
随分と慣れてしまった。今まで無縁だったケアも、化粧も。もう、ミゼラに怒られずに済ませられる。
化粧が終わったタイミングでトリスが呼びに来た。ミゼラも一緒にいて、朝食を食べに行く。
ぱさぱさのパンと冷えた豆のスープを飲んで、早々に出発した。
食事の間、一言も話さない二人に私は不気味さを感じた。しかし、それを指摘することも出来ない雰囲気に、私は味気ない食事で言葉を飲み込む。
昼近くなった頃に、ミゼラがようやく口を開いた。
「アタシも驚いているの」
ミゼラの声はとても静かだった。彼は私の方を見ない。かといって、見知らぬ外の景色を楽しんでいるわけでもなかった。
「あなたの父親と言われた時、『そんなまさか』と思ったの。それと同時に、納得もしたの。……アタシも分からない。手紙をいただいた時からずっと、悩んでいるわ」
彼も、私と一緒だった。
急に現れた父親、それも十二血族の。
信じられないのも、疑うのも一緒。
一つだけ違うのは、ミゼラには納得感があることだ。
どうしてそう思うのか、それを尋ねることが出来ない。なんとなく、してはいけないと自分を制していた。
(本当に、父親だったら)
聞きたいことは沢山ある。今までの事も、これからの事も。
それを応えてくれるかは分からないし、どんな結果になるかも想像できない。
でも、会ってみたかった。
もしかしたら、『やっぱり違う』って、言ってくれるかもしれない。他人の空似だったと。そう言って欲しい。
(どうして、そう思うんだ?)
期待はしている。けれど、嬉しい方に考えていない。
私にも家族がいたら……と、何度想像しただろうか。
それなのに、信じたくない私がいる。
私は外を眺めた。
長閑な田舎の風景がどこまでも続いている。
これほど穏やかな景色は無いのに、私もミゼラも、心がざわついて仕方がなかった。




