8‐8 知る人、知らぬ人
監獄に着くと、また最初の面倒な手続きがある。
今回は脱獄扱いになるようで、元の牢屋に入る前に聴取があるらしい。
フィリアが手続きの書類を記入していると、しょぼくれた様子の看守がこちらに歩いてきた。彼は覚えている。私がミゼラに出してもらった日、見送りをしていた一人だ。
看守はフィリアの姿を見ると、丸めた背中をさらに丸めて彼女に話しかける。フィリアも厳重注意した看守を覚えているようで、恨みのこもった声で対応していた。
……本当、身内にもおっかない女だ。
平等と言えば平等。
ここまで生真面目だと、逆に生きづらそうにも感じる。しかし、先ほど見た彼女の弱さ――辛い経験があったからこそ、彼女には今の地位があり、強さがある。
あまり、他人が口を出せないことゆえに、私は彼女を尊敬している。
(罪人が言えた口じゃねぇがな)
私も、彼女のような芯の強さがあったなら。
きっと、あの時の逆境にも耐え忍ぶことが出来たかもしれない。
そうしたら、こんな鉄の輪っかを手首にはめる必要もなかった。
――所詮は、もしもの話。
今目の前にある現実に、当てはまることなんて無い。
手続きが長くて欠伸をしていると、遠くから声のデカい男がやってきた。
「フィリア! 囚人を連れ戻したとか!」
かなり距離があるのに、耳がキーンとする。
フィリアは耳栓で耳を塞いで、男に敬礼をした。
「ずるいぞ。ひとりだけ」
「父上対策に常に持ち歩いている。今後様子を見に来ることがあるかもしれない。後ほど支給しよう」
「しかし、バカでけぇ声だな」
「元は看守だったからな。囚人を束ねるために、声を張ることが多かった。仕事でストレス性難聴を患ってから、声量があの感じだ」
「現役時代に生まれてなくてよかった」
「今は部下が耳に異常をきたしているが」
父上という事は、戌の当主か。
戌の血族の名前は知らない。聞いておけばよかったかも。
「フィリア、お前の名字なんだっけ」
「マジストラトゥスだ。父上に挨拶する気か?」
「『声バカでかおじさん』って呼んでいいなら、そう呼ぼうかと」
「マジストラトゥス伯爵とお呼びしろ」
伯爵はフィリアの前に来ると、手を後ろに組んで「休めぇ!」と指示を出す。フィリアが手を後ろに組んで立つ横で、私は声の大きさに目まいがしていた。
「回収した囚人は!」
「はっ! 囚人番号【110564】です!」
「よろしい!」
伯爵の声が大きすぎて、フィリアの声が拾えない。このまま聞き続けたら、確実に聴覚を失う。
手を拘束されているから、耳を塞ぐことも出来ない。
……駄目だ。耳が痛くて泣きそうだ。
伯爵は私を見ると、ふんと鼻を鳴らす。
「こやつめ、ワシの姿に恐れおののいているな。自分の罪を認め、償いによく励めよ」
「どうしたらそんな自信が湧くんだよ……」
思わず文句が漏れ出してしまう。
フィリアはようやく終わった手続きの書類を、伯爵に提出した。
伯爵は書類に目を通すと、驚いた様子で私と紙を交互に見た。
フィリアは伯爵に引き継ぎをすると、伯爵は私の肩をむんずと掴んでどこかに連れて行く。その力の強さに私がよろめくと、伯爵は「きびきび歩け!」と叱責する。
フィリアがそれを咎めると、伯爵は「過度の優しさは不要!」と払いのけた。
「お前は優しすぎる。故に人に脅かされるのだ。お前の優しさが呼んだ事件を忘れるな」
フィリアがそれを聞いて、肩を揺らした。その事件が、警察署であった男が関わることだと、察するまでに時間はかからなかった。
私は伯爵に「おい」と低い声を出す。
「それはフィリア関係ねぇだろ」
私がそう言うと、伯爵は「口を慎め!」と声を荒げた。
「罪人風情が娘を庇うか! あの子は他人の善性を疑わなかった。それ故に事件に巻き込まれた! 我々戌の血族は、国の善悪を取り締まる者──司法を司る! 常に疑い、常に法外の輩に目を光らせる。それが必要な一族だ。フィリアはそれを怠った! 怠らなければ負わずに済んだ傷を負った! それは、フィリアの、落ち度だ!」
父親に突き放され、フィリアは何も言えない。
痛みも、恐怖も、父親は寄り添ってくれない。
泣きそうなのも堪える姿が、私には耐えられなかった。
だからだろうか。今目の前で、伯爵が横に吹っ飛んでいるのは。
壁に激突して、切れた額から血が流れている。
足首から鈍く伝わる痛みが、私の胸を熱くさせる。
「お前が、加害者の肩持つんじゃねぇよ‼」
フィリアは言った。どんな背景があろうと、罪を犯した方が悪い。
それは私も同意だ。どんな理由があろうと、やってはいけないことをする方が負けなのだ。
どうして法を守る者が、それを司る者がそれを間違うのか。
許せない。許せなかった。
愛している家族が、愛するはずの家族を、貶すなんて。
「フィリアの強さはその事件があったからだ! フィリアの逞しさはそれを機に犯罪を許さないと決めたからだ! 被害者に落ち度のある犯罪、確かにあるかもな。でも、どんな理由があっても犯罪は犯罪で、加害者は加害者で、被害者は被害者だろうが!」
私は床に転がる伯爵を睨み下ろした。
どんなに偉かろうが、私には関係ない。今の私に、伯爵は子犬も同然。
「寄り添ってやれよ。娘が怖い思いしてんだぞ。どんな考えや価値観があっても、一言慰めてさ、助けてやれよ。家族ってそういうもんだろうが。……知らねぇけど。
誇ってやれよ。娘がとんでもねぇ偉業を成してるんだぞ。領主を叩き殺した私を逮捕して、勝手に出てった私を監獄に連れ戻したんだぞ」
フィリアは伯爵を助け起こすと、私の胸倉を掴んだ。
涙目の彼女に睨まれていても怖くなんてない。
「……庇えなんて言ってないぞ」
「知ってる。私が勝手にやっただけだ。ツケといてくれよ。まぁ、どうせ終身刑だけどな」
「……ありがとう、は、言わないからな」
もう言ってるじゃん。
私はそうかよ、とフィリアに引率されて元の牢屋に入る。
ドアを閉めたフィリアは、何か言いたげにその場に留まった。けれど、その何かは出てこないまま、彼女は私の前から去っていく。
(まぁ、そうだよな)
私は簡素なベッドに横たわり、聴取の時間まで仮眠を取る。
懐かしい天井に大きなあくびをした。
特に何も変わらない。何も変わってない。
あるべき場所に帰ってきただけだ。それだけだ。
その割に、今日の夕食は豪華だった。




