8‐5 はがれた仮面の下
「ソラ様が犯罪者、ですか」
イリスは呆気にとられた表情で、フィリアの話を聞いていた。アプリコットジャムをスコーンにつけて、フィリアは話を続ける。
「ソラと関りがあったとか。その上、父君とも会話があったとか」
「ありましたが、私たちはトラブルを解決していただいた側ですし。特に、彼女の行動に困ったことはありませんので」
イリスの言葉に、フィリアは「ふぅん」と話をまとめる。
最後に、とフィリアはイリスに質問をした。
「ソラ・アボミナティオをどう思った」
イリスは、壁に飾ったチケットの半券を、愛おしそうに見つめて答えた。
「誰よりもお優しい方です」
***
ミゼラの聴取が終わったのか、フィリアは留置所に顔を出した。
私は特に話すことは無いが、フィリアは鉄格子の前に座ると、ノックするように叩いて私を呼ぶ。
私がため息をついて彼女の方を向くと、手招きをされた。ここに入っている以上、こそこそ話すようなことなんて無いだろうに。
私がフィリアの前に座ると、フィリアは声を潜めて話す。
「ミゼラビリスは釈放する。条件付きでな」
「私に関わるなって?」
「そうだ。話が早くて助かる」
フィリアが言いたいことは分かっていた。しかし、こうやって話す理由がない。私が観察していると、フィリアは私にも条件を付けてきた。
「刑期の短縮は出来ないが、監獄内での処遇は改善しよう。聞いた限りでは、環境整備基準にも満たない生活をしていたとか。二日に一回は風呂に入れたり、食事に果物をつけたり。衣服も、丈夫なものを用意しよう。傷んだら取り換えられるように手配する」
「『その代わり』?」
「聡いのも考えものだな。……ミゼラビリスの襲撃の様子を教えろ。場合によっては、こちらから警備員を派遣する」
「なるほど。お互いにウィン・ウィンな取引を?」
私が言うと、フィリアはそうだ。と答える。彼女を説得しても無意味なのは、逮捕された時から知っている。彼女の言うことを聞けば、腐ったような食事も、季節問わない水浴びも、ボロ切れのような服も、無くなる。
提示された快適な牢獄生活に、私は少し揺らいでいた。
悪くない。けれど、心配の種がある。
「ミゼラは私を雇うまで、警備員をつけてなかった。それは、十二血族に頼るのも、不安だったんじゃねぇの?」
ミゼラと関わるようになり、十二血族を知った時に思ったことだった。
ミゼラだけでなく、彼ら自身も他の貴族や平民を信用していない。なら簡単な話、彼らだけで相互的に補助すればいいのだ。それだけで解決するようなことなのに、わざわざ私を選んだのは、十二血族の関係を信頼していないからだ。
それはきっと、十二血族も古い考えに憑りつかれていて、会話が成り立たないからだろう。
それを言うと、フィリアは分かりやすく顔を歪めた。
彼女自身にも思い当たる節があるのか、言い返すまでに時間がかかる。ようやく口を開くと、「それは確かに」と、肯定が漏れた。
囚人の言葉に耳を傾けるなんて、不用心だ。これが罠だったらどうする気なのだろう。私はため息をついて、フィリアに言い続けた。
「別に、お前がやろうとしていることを非難する気はねぇぞ。でも、ミゼラは自分で考えてやってることを変える気はねぇだろうな。それに、私は確かに人を殺して、今も人を殺して生きている。でも、自分のためじゃねぇ。ミゼラのためにやってることだ」
「……だからといって、殺人罪を問わずに天秤の守護者は名乗れない」
頭が固いというか、真面目すぎるというか。
フィリアの頑固さにはいつも悩まされる。だからこそ、今の地位を手に出来たのだが。
まぁ、これ以上仕事が出来ないのなら、ミゼラとの契約もこれで終了だ。今までの給料も、使われることなく朽ちるのを待つだけ。それならばエリーゼに譲って、好きなことに使ってもらおう。
「じゃあ、私の条件をのんでくれたら、大人しく牢獄に帰ってやる。脱獄なんてしねぇし、いい子にしててやるよ。待遇も変えなくていい。今まで通りの、人権無視の待遇で」
「環境整備は基準値を満たす程度には改善するが、いいだろう。言ってみろ」
「トリスを罪に問わないこと。私が稼いだ金は押収しない。築いた財産をエリーゼに譲渡すること」
「ミゼラビリスには、何もなくていいのか」
「あいつに必要か?」
私がミゼラに何かしらの条件を付けたら、きっと派手派手しい飾りをつけて叩き返してくるだろう。次に会った時の叱責が怖い。それに、ミゼラ自身、自力で何かを成し遂げるタイプなのだから、私の気遣いなんてあっても無くてもいいものだ。
フィリアは「いいだろう」と条件をのむと、私を留置所から出した。
手錠をつけて、外れないか確認すると、フィリアは私の腕をしっかりと掴む。
「これよりお前を監獄に護送する。お前は今から囚人番号【110564】に戻る」
「はいはい、仰せのままに。警察局局長殿」
皮肉交じりに返事をすると、フィリアは心底嫌そうに眉間にシワを寄せる。
私はそんな彼女の顔を、鼻で笑った。フィリアは私の腕を強く引っ張り、車まで連行する。私は扉が開いたままの留置所を振り返った。
そこには何もない。
私と一緒だ。




