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8‐1 いつも通りの朝を

(……あぁ、また)



 燃え盛る屋敷と、見慣れた男たちの死に顔。

 あの美味しいワインを片手に、ただぼうっと、眺めている。


 これももう、飽きてきた。

 毎日毎日飽きもせず、こんな夢ばっかり見て。私の心はどこにあるのか。


 いい加減にしてほしい。

 最初の頃こそ、今までの不満や苦労が報われて幸せだった。

 それなのに、今や興味もないし見る度にストレスが溜まる。

 ワインの味も、もう分からないや。


 ワインを飲み干して、私はげっぷをする。

 ──……早く終われ。こんな悪夢。


 ***


 目が覚めると、まだカーテンが閉まっていた。

 毎朝トリスの怒号で目が覚めるのに。今日はまだ来ていない。

 あいつは今日は非番だったか。いや、火曜日と土曜日休みのはずだ。今日は水曜日、寝坊なんて珍しいことでもしているのか?


 私はカーテンを開けて、着替えの準備をする。クローゼットから適当に服を出したところで、エリーゼが慌てて手伝いをする。「お姉さまがやることじゃない」と身支度を整えてくれる。髪を梳かしながら、エリーゼは文句を言った。



「あの野郎はいったいどうしたのでしょう。今日だってエリーを起こしたのに、ミゼラビリス様の支度に行ったかと思えば、お姉様の準備はそそくさと逃げ回るのですわ」


「トリスが?」



 トリスが仕事を後回しにするとは。それも私の世話。

 エリーゼがいるから困らないが、避けられるような何かをしただろうか。思い当たることは沢山あるが、どれもボイコットされるような内容ではない。それに、どんなに喧嘩してても、トリスはきちんと仕事をこなしていた。


 エリーゼがトリスに対する不満を喋っていると、鏡越しにトリスの姿を見た。こっそり侵入して、ベッドのシーツをはがして新しいのと取り換える。隠れるように仕事して部屋を出ようとしているが、私は声をかけられない。エリーゼの話が終わったら、あとで声をかけよう。



「お姉様に失礼ですわ。そんな態度が許されると思って? あんたに言ってるのですわ、トリスティス!」



 まさかエリーゼに呼び止められると思っていなかったトリスは、持っていたシーツのかごを床に落とす。

 エリーゼは私の髪を整え終えると、腰に手を当てて彼に向かう。



「一昨日帰ってきてからよそよそしいですわ! 目も合わせないのも失礼ですし、会話も少なくて気持ち悪いですわ。お姉様に嫌味を言ったりするのも喧嘩したりするのも嫌ですが、お姉様を避ける方がよっぽど嫌です!」



 エリーゼはシーツのかごを持つと、「きちんとお話しなさって」と言い放って部屋を出て行った。トリスがエリーゼを止めようとするが、エリーゼは聞こえないふりをしてさっさといなくなる。

 取り残されたトリスは、気まずそうに腕をさする。私はため息をついて、トリスに尋ねる。



「私は何かしたか?」



 こんな聞き方をすれば、いつものように喧嘩になると思っていた。いつも通りの言い合いが出来ると。けれど、トリスは「いいや」とだけ言って、そのまま黙った。

 気持ち悪いな。エリーゼが言うのも頷ける。こんなに静かなトリスは見たことがない。



「お前はどうしたんだ」



 聞き方を変えた。トリスはゆっくり口を開いた。



「……嫌なことをしていたんじゃないかって、思った」



 トリスは昨日、ミゼラが調べた私の調書を見たらしい。そこには私の半生が事細かに書かれていて、私が領主に受けたことの全てが載っている。それ故に至った蛮行も。

 彼はそれを読んで反省したらしい。日々の怒号も、私が受けてきたことと同じだとか、知識不足も私の努力足らずではなかったとか、今の今まで、当たり前にしてきたことが、私のトラウマを引き出していたのでは、私に悪夢を見せる要因になっていたのでは。

 そう語る彼の瞳は揺れている。狼狽? いいや、これは不安だ。私にしてきたことに対する罪悪感だ。



(どうして、お前がそんな顔するんだよ)



 トリスに言われてきたことで、嫌悪したことは一度もない。領主を思い出すことだって、なかった。それなのに、彼は自分の言動が私を傷つけたと思っている。

 何を気にするのか。気にすることなんて、一つも無いのに。


 私の持つ言葉のどれもが、とても陳腐で彼に届かない。

 それをわかっていての沈黙も、彼には違う意味になる。



「気にしないでくれよ。お前の言葉に、傷ついたことなんてねぇんだから」



 そう言っても、彼の瞳は暗いままだ。

 分かってる。分かっていても、私にできるのは、言葉を尽くすだけだった。



「お前は領主じゃない。夢だって、お前のせいじゃない。私の何かが見ているだけだ。私の中にしか、答えは無いんだぜ。それを、どうしてお前が背負おうとするんだよ」



 これで、何が変わる。

 それでも、トリスに何も変わってほしくない。

 あの嫌味が、言い争いが、貴族を偽る私の安寧だった。



「気にしたって変わんねぇよ。過去なんて、私が背負ってきた覚悟の足跡だ。その足跡を踏んだからって、気にしてたらキリねぇだろうが」


「……そんなこと言うな。お前の苦しみを、俺は」


「ウザったいな。いい加減にしてくれ。私は、私でいられるお前の物言いが好きだったんだ」



 自分の意見が、聞き届けられる。この場所がとても心地よい。

 だからこそ、昔を振り返って嘆いていられないから、好きなんだ。



「……気にすんなよ。トリスティス」



 それ以上は言えない。言わなくていい。それでちょうどいい。

 どうせこいつも、迫害された側だ。忌み子にこれ以上、何が必要なものか。


 トリスは髪型を整えると、大きく息をついた。

 いつも通りの彼に、私は口の片側を上げて笑う。



「じゃあ、いつも通りでいいんだな?」


「あぁ。そうしてくれよ」


「お前はどうして、そんなことが言えるんだ」



 呆れた様子の彼に、私は嫌味っぽく返す。



「ごめんあそばせ。育ちが悪いもので」



 トリスの鼻で笑った声がして、私はダイニングに向かう。

 そういえば、トリスはシーツの洗濯をした後に朝食の準備をする。

 朝食の時間はもう間もなく。仕込みは済んでいるとはいえ、今から作ったのでは間に合わない。



「急がなくてもいいのか?」


「朝食か? あとはスープを温めて、卵を茹でて、サラダを盛って……まぁ、そのくらいだ」


「時間かかるだろ。ミゼラの準備が遅れる」


「そうだった。でもエリーゼが……」


「……ま、待て。エリーゼが、朝食を?」



 二人の足がピタッと止まる。

 トリスはスピードを上げてキッチンに向かう。私は彼の後を追うが間に合わず、キッチンの方から爆発音にも似た音がした。


 手遅れだ。トリスの業務にキッチンの掃除が追加される。

 目の前で膝から崩れ落ちるトリスに、私は同情した。



「今度、言いつけておくな。『キッチンに入るな』って」


「あぁ。……頼む、マジで」



 ショックから立ち直れないトリスに代わって、フォローすべく私はキッチンに走った。

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