6‐7 家に帰るまでが外交です
日程通りに仕事は進み、ようやく家に帰れることになった。
荷造りも終わり、あとは車に乗せるだけ。トリスが私の荷物を回収しに部屋に来る。トランクケースを持ち上げると、「今日は前に乗れ」と私に助手席に座るように指示を出す。
外交中、タウラの運転で車に乗るときは、ミゼラは必ず助手席に座っていた。それなのに帰りは後部座席? 誰への配慮だ?
私が確認する前に、トリスはさっさと車へと向かってしまう。
(まぁ、何かあるんだろうな)
髪を手櫛で整えて、私は部屋を出た。
ふと、部屋に狩猟用のパチンコを忘れたことを思い出す。取りに戻ったはいいが、鞄はトリスが持って行ってしまった。仕方なくドレスに隠して、トリスたちを追いかける。胸が多少膨らんでいるが、まぁ、バレないだろう。
***
トリスが助手席に座れと言った理由がよく分かった。
機嫌が悪そうなミゼラ。
ご機嫌なリュウマ。
二人に挟まれて狼狽えるタウラ。
私は空気が最悪な三人を前に、トリスに説明を求める。が、トリスは目を逸らして何も教えてくれない。
タウラが冷や汗をかいて、「自分のせいです」と自首した。
「この外交の後、イズモ・リュウマ様の外交がイーグリンドであるんだ。で、それをミゼラに伝え忘れていて……」
「なるほど」
「ソラ」「マタ」「イッショ」「ウレシ」
リュウマは私の手を取ってブンブンと振り回す。ミゼラは無言で引き離すと、私の背中を押して、強引に助手席に詰め込む。
私が乗ったあと、しばらく席順で揉めていたようだ。誰も乗ってこないまま、五分くらい放置された。後部座席はミゼラを真ん中に、運転席の後ろにトリス、助手席の後ろにリュウマが座る。
ミゼラは不満そうだが、これが妥協点らしい。
「リュウマ様を助手席に座らせては?」
「タウラの胃が悪くなるわ。 タウラはヒノモト語は話せないんだもの」
「なら、私が別の移動手段を」
「ダメよ」
タウラは気まずそうに「ごめんねぇ」と呟いて車を発進させた。
見送りをしてくれたフランソワとマシェリに手を振って、私たちはイーグリンドへと走り出す。
道中、何度か休憩を挟むが、それはリュウマへの気遣いではない。ずっと話しかけられる私や、それをけん制するミゼラ、車酔いで撃沈している関係のないトリス。そして気遣いがピークに達したタウラ。それぞれがそれぞれの理由で車を降りて、背伸びをしたり手足の運動をする。
《イーグリンドの人っていうのは随分とゆっくりしとるんじゃのう》
私が車の外で腰を伸ばしていると、リュウマが興味深そうに見つめてくる。どう言葉を選んで「お前のせいですよ」と言ったものか。いいや、どう選んだところで結局「お前のせいですよ」になってしまう。
国の招待客であるため無下にできないからこそ、余計にミゼラの視線が痛い。
ミゼラの「早く戻りなさい」という無言の圧力を受けて、私は車に戻る。
車に乗ってすぐの事だった。
一台の車が、タウラの横にぴったりと寄せる形で停車した。
装飾が凝っている。ナンバープレートもフラン国のものだった。
停まった車の窓が開いて、タウラも窓を開ける。
「迷ったのかな?」
タウラは『どうしました?』と尋ねる。しかし返ってきたのは、銃口だった。
「え?」
タウラの反応が遅れた。
拳銃の引き金が引かれるまでがスローモーションのように見える。トリスが起き上がるが、車酔いで手を伸ばすのがやっとだ。でも、彼が手を伸ばしたところで、何も変わらない。
──いいや。そうでもないらしい。
トリスが運転席のシートを倒した。
タウラが勢いよく後ろに倒れ、銃口が狼狽で少し揺れる。私はその隙にハンドルを掴んだ。
「アクセル!」
「この状況で⁉」
タウラは力いっぱいアクセルを踏んだ。車の急発進に、ミゼラたちが背もたれに押し付けられる。
車の運転なんてしたことがなかったから、猛スピードの車の制御など出来るはずもなく、なんとか車を真っ直ぐに走らせることを念頭にハンドルを握り続けていた。
トリスが足で背もたれを押し上げて、タウラを戻す。タウラはそのままハンドルを握り、後ろに迫る車から逃げた。
「何あれ⁉ 狙われたのって自分⁉ ミゼラ⁉ リュウマ⁉」
「タウラ様でしょうね。的確に狙ってきたのが気になるところですが」
トリスは後ろを見て、車のナンバーを確認する。
ミゼラは「フランソワね」と犯人に当たりをつけ、リュウマは《急に忙しくなるのう》と呑気に笑っていた。
タウラに恨みを持って、フラン国ナンバーの車なら、私もフランソワを疑う。しかし、決定的な証拠がない。ここで回避してクレームを入れても、知らぬ存ぜぬで亀裂が入るだけだ。
「どうするの⁉」
「振り切りなさい!」
「無理だ! フラン国の方がエンジンが新しい!」
タウラはスピードを維持しながらカーブを曲がり、ドリフトしながら後ろを確認する。振り切れないと悟るや否や、細い道を選んで左折した。
《車は三台おるのう》
「なんて⁉ イーグリンド語で喋ってちょうだい!」
《三台じゃ! 車が三台!》
リュウマが後ろを確認してくれるが、やっぱり何を言っているのか分からない。
私もサイドミラーで確認した。
三台いる。しかも一番前にいる車が両サイドの窓から拳銃を出している。
「させるかボケェ‼」
「へぇっ⁉ ソ、ソラ様⁉」
驚くタウラをよそに、私は窓を開ける。胸に隠した狩猟用パチンコを手に、窓から身を乗り出した。
「出来るだけ真っ直ぐに走れ!」
「なんか口悪くなってない⁉」
「ごめんあそばせぇ! 育ちが悪いもので‼」
ゴム弾を装着して、腕いっぱい引き伸ばす。
髪がなびいて邪魔だ。今度散髪しよう。タウラが車の速度を一定にした。私はその瞬間を狙って、ゴム弾を押さえていた指を離す。
運転席側の銃口にゴム弾がすっぽりと入って、拳銃が爆発した。運転の安定性がなくなり、車が揺れた時に私はフロントガラスめがけてゴム弾を放つ。
フロントガラスに大きくヒビが入り、車は完全に安定を手放す。蛇行したかと思えば、後続車を巻き込んで事故を起こす。
私は追手がいないことを確認して、窓を閉めた。
一瞬の静寂が、社内を支配する。
「もうすぐフェリー場ですよね。そこまで気を引き締めて運転お願いします」
「は、はい……」
タウラはハンドルをギュッと握って車を走らせる。
私はルームミラーで後方を確認する。
青ざめて口を押えるトリスと、あきれた様子のミゼラ、何やら興奮状態のリュウマが見えた。
ミゼラが静かに口を開く。
「あんた、そのパチンコどこから出したの?」
「…………乙女の体は神秘ですので」
きっと、家に帰ったら説教されるだろう。
──家に、帰りたくない。




