1-3 風呂場語り場
(いかにも貴族……って感じだな)
連れてこられた浴室の感想。
玄関同様、大理石の床に、真っ白なバスタブ。
タオル置きの棚やシャワーは金色で、高級感と嫌味が両立した、『お綺麗』な空間だ。
きっとここだけで、農民の一生分の金が使われているに違いない。
バスタブいっぱいに張られたお湯が、湯気を出しているのに、鏡は曇りひとつない。
魔法でも使っているのだろうか。
トリスは私の着替えと、大きさの違うタオルを複数用意する。
ピカピカの風呂場に目が眩んでいた私に、聞こえるように舌打ちをした。
「さっさとその肥溜めに落ちたような、汚ったない服を脱げ。そんなみっともなくて、カビ臭くて、千年分の垢にまみれた格好で、屋敷をうろつくな」
人の格好を好き放題に言うトリスは、上着を脱いで、シャツの袖を捲る。
私は言い返そうと思っていたのに、トリスのその行動に気を取られた。
「…………何してんだ?」
「決まってるだろう。お前を洗うんだよ。ミゼラ様の命令だからな。そうでなければ、風呂に入れるフリをして、屋敷から放り出してるさ」
「洗うって、馬鹿じゃねぇの!? 一人で入れるわ!!」
「あぁ!? その汚い手で、浴室の物に触るな! 黙って俺に洗われろ!」
「嫌だね! お前なんかに洗われてたまるか! 出ていけ!」
「黙れ! 拒否権はない! これ以上喚くなら、その口を縫い付けて、二度と喋れなくしてやるぞ!」
「お前が触ったところの消毒を、誰がすると思ってんだ!!!」
──こいつ、潔癖かよ!!
私は、トリスから逃げようとする。だが、奴が唯一のドアの前に立ち、退路を塞いでいた。
なんの攻防戦もないまま、トリスは私を捕まえ、無理やり服を剥ぎ取ると、浴室に押し込んだ。
トリスは私を鏡の前に座らせる。
バスタブからお湯を汲んで、頭からお湯をかけた。
「あっっっっっつ !!」
「ぬるま湯だろうが! これしきで騒ぐな!!」
トリスはそういうが、風呂なんて何時ぶりだろうか。
牢獄ではお湯どころか、水自体が貴重で、いつも、洗面器半分ほどの水で、全身を洗っていた。
トリスは私の髪に指を通して、心底嫌そうな顔をする。
この仕事が終わったら、辞職するんじゃないだろうか、と思うくらいの嫌々ぶりに、ミゼラも酷なことをするな、なんて思ってしまう。
(鳥肌立ってんじゃん)
トリスは、シャンプーを手に取ると、強めの力で私の頭を洗う。
嫌がりつつもちゃんと指を立てて、フケやら垢やらを落としている間、彼は「汚い、汚い……」と、念仏のように呟いていた。
シャンプーをお湯で流すと、トリスはノミ・シラミ取り用の薬用シャンプーを使い始めた。
「おい、さすがに虫はつけてねぇぞ」
「信用しない。絶対いる。気づいてないだけだろ」
トリスはまた、「汚い」と念仏を唱え始めた。私はすることも無く、ぼうっと鏡を見つめていた。
黒い髪はすっかり傷んで、顔はとても汚れている。
首から胸にかけては、骨が浮き彫りになり、健康的とは嘘でも言えない。
黒い髪と対照的な真っ赤な瞳は、穢れた血のような紅だった。
「『忌み子独りんぼ』」
不意に、口をついて出た言葉。
村のみんなによく言われた。
同い年の子供には、よくいじめられたっけ。
たかが黒髪。
たかが色。
その程度で嫌われ、育ち、あの末路。
本当に笑える。
これも、死ぬための前準備だと言われた方が、納得する。
卑下は何の得にも、損にもならない。
「……赤い髪は、悪魔の色」
突然トリスがそう言った。
鏡越しに見る彼の目は、暗く、落ち込んでいる。
「赤は血の色だから。悪魔と悪い契約を結ばなければ、そんな色にならない。俺も、よく言われた。
髪の色も、瞳の色も、多種多様な世界ですら、赤と黒は忌み嫌われる。あまり気にするな。奴らにとっちゃ、俺らみたいなのは理解出来ないものなんだ」
トリスにも、似たような出来事があるのだろう。手が荒れて、傷だらけになるくらいのことが。
トリスはシャンプーを終えると、今度はトリートメントを手に取った。
まだ洗髪が終わらないことに飽きて、私は身じろぐ。
その瞬間、トリスは私の頭を掴んで、元の位置に固定する。
「どこにも、触るな」
「いでで! 触んねぇよ。髪の毛洗いすぎだろ。もういいじゃん」
「知らないようだから教えてやろう。シャンプーだけじゃ髪が傷む。強い洗浄力は、汚れだけじゃなく、頭皮に必要な油分も落とすからな。シャンプーだけだと、乾燥した頭皮が油分を多く分泌するぞ。そうするとベタついて、ギトギトしがちな頭になる。
だから、シャンプーをした後は、トリートメントで栄養と油分を補ってやるんだ。傷んだ髪は特に、洗う時よりも洗った後のケアが大事だ」
トリスはトリートメントを塗ると、コームで髪全体に馴染ませる。
「櫛を通すことで、トリートメントが髪全体に馴染む。本当は、髪を洗う前にも櫛を通した方が良いんだが、今回は省略。お前が汚いから」
「すぐいらない言葉つけるじゃん。思いやりの心、肥溜めに落としてきたのか?」
「馬鹿野郎、いつだって優しいわ」
「ドブの底さらって、落とした優しさ探してこい」
トリスは、頭皮のマッサージもして血行促進させながら。トリートメントを定着させる。
トリートメントを洗い流すと、タオルで髪を包んで、ようやく体を洗い始めた。
頭同様、丁寧な洗浄とケアをするが、か細い悲鳴と念仏は止まらなかった。