6‐5 大使館にて
夜の会食も終わり、私はようやく自分の部屋に戻ってきた。
ベッドに体を沈め、枕に盛大なため息を吐く。少し熱を持った枕が頬を温めて、私を包んでくれた。
「………………つっっっかれた」
無意識に出てくるセリフが、一人だけの部屋に響いて落ちる。
履きっぱなしだったパンプスを脱ぎ捨てて、ドレスも脱ぎ捨てる。床に落ちた高い衣装に怒鳴るトリスもいないと思うと、今だけ『ソラ・アボミナティオ』に戻れた気がした。
ミゼラに雇われてから色々とやることが多い。
襲撃からの防衛に、貴族勉強、他貴族との交流にミゼラの補佐……昼夜問わず仕事が多くて、休みの日しか本当に休みがない。せっかくもらった給料も、いまだに一パウたりとも使っていない。
初任給の楽しみなんて、もうどこにもない。
(そもそも、買いたいものも無いしなぁ)
食事にも困らないし、体も清潔に保てる。服だって、ボロ切れのような布じゃないし、アクセサリーを身に着ける余裕もある。
憧れていたものが一気に手に入ってしまうと、それ以上のものが出てこない。特に染みついた農民根性が、私の中の『豪華な物事』のイメージの低さを顕著にしてしまう。
私はトランクケースを開けて、着替えをする。
夜はミゼラの警備がある。今日はトリスの支援だ。私は目立たない格好をして、クロスボウの手入れをする。
準備をしていると、ノック音が聞こえた。
クロスボウを隠して、私がドアを開けると、リュウマとミゼラが立っていた。
満面の笑みのリュウマと、しかめっ面のミゼラが立っていた。私は対照的な二人のどちらを見たらいいのか分からず、交互に見て、「どうかされました?」と尋ねた。
リュウマは、長い袖から髪を出すと、私に言った。
「これら、一緒にお酒飲むません? か?」
「……はい?」
「ちょっとした談話室のような部屋があって、そこで一緒にお酒でもってことよ」
「あぁ、なるほど。ミゼラ様が誘われたんですね」
二人きりで話すわけにいかないから、私を同席させようというのだろう。しかし、ミゼラは眉間のシワをさらに深く刻む。
「違うわよ。あんただけを誘おうとしてたから、アタシが止めたのよ」
「……そうですか」
私だけのお誘いなら、別に気にすることでもないだろうに。──いいや、世間体もあるのか。確かに、婚約者がいる身で男と二人っきりで酒を飲んでたなんて、噂でも避けたい。
ミゼラが一緒なら、決して『二人きり』ではない。だが、私はこれから別の仕事がある。
「ミゼラ様、私は辞退させていただきます」
私がお断りすると、リュウマは「なんで」と食い下がる。まさか「夜間警護のために外で見張りがある」なんて言えない。私が断る理由を探していると、リュウマは私の腕を掴んで「行こ」と廊下に引っ張り出した。
私はミゼラに助けを求めるが、ミゼラはため息をついて、「トリスに伝えてくる」とその場を離れた。私はリュウマと二人で廊下でミゼラを待つ。
《お主はミゼラの事が好きなのか?》
リュウマは何か喋っている。やはり、独特の発音で聞き取ることも難しい。私は「イーグリンド語でお願いします」と、彼にお願いする。
リュウマは拙いながらもイーグリンド語で話してくれる。
「アナタ」「スキ」「ミズェラ」「ホント?」
私は彼に尋ねられたことに、すぐ返事が出来なかった。
彼との関係は、雇用契約による偽造の婚約者だ。彼に対しての恋愛感情は無い。彼の方もそうだろう。他人からはそれが分からずとも、私にはリュウマには見通されているように感じた。
「アナタ」「ミナイ」「カオ」「ミズェラ」
ミゼラの顔? 確かに、きちんと見ていない。
彼との会話は仕事の事で、雑談なんてほとんどしない。それでいて、一緒に居るのだから、仮面状態なのがバレてしまったのだろうか。
私は首を横に振って、彼の疑問を否定した。
「私はミゼラ様のこと好きですよ」
──金払いの良い雇用主として。
そう言ったら非情に聞こえるだろうか。でも、そうでしか私たちの関係を表せない。
リュウマは「そう」と、戻ってきたミゼラに目をやった。
ミゼラは「いいわよ」と私に目配せをする。トリスが今日の予定を調整してくれたのだ。明日は私がトリスを休ませてあげよう。
リュウマは「行こ」と私たちを先導する。ミゼラはリュウマの後ろで小さくため息をついた。私の腰に手を回して、ミゼラはリュウマを追う。
私はミゼラの珍しいエスコートに戸惑った。
「あの、ミゼラ様」
「何よ」
「いえ、腰に手を回されることが今までありませんでしたので」
「……え?」
ミゼラは私に目を落として、ようやく自分がやっていたことに気が付いた。
私の手を自分の腕において、「忘れなさい」と前を向いたまま言っていた。
平然としているが、耳が少しばかり赤い。私は彼の様子にさらに戸惑った。
(そんなに恥ずかしいことだったか?)
仲がいいアピールだと思っていたが、反応を見る限り違うらしい。
ミゼラの顔をじっと見ていると、「やめて」と顔を逸らされた。
リュウマが「早く!」と呼ぶ後ろで、私は様子がおかしいミゼラを、トリスに報告すべきかどうか悩んでいた。




