6‐2 新侯爵タウラ
「今日はよろしくお願いします」
外交当日、私たちを律儀に家に迎えに来た男は、緊張を感じさせない、余裕のある振る舞いをしていた。
耳にかからないくらいの短髪で、落ち着いた色のスーツがとても似合っている。長いまつ毛がアンニュイな印象を与え、血色がいい肌色なのに大人しそうに見える。
一見、弱そうに見るが、スーツに隠れているだけでガタイが良い。力量を見誤ると世界の裏まで突き飛ばされそうだ。
ミゼラは私に彼を紹介してくれた。
「前にも言ったけど、彼がタウラ・エンパティ。『丑』の血族──ボーヴィス侯爵よ」
「お初にお目にかかります。ソラ・アオイノモリといいます」
私のお辞儀に、タウラは恭しくお辞儀を返してくれた。
「ミゼラビリス様には、大変良くしていただいております。至らない私に、沢山指導してくださるので、彼のお陰で仕事がとても順調に進んでおります」
私の爵位は男爵となっている。侯爵なんてかなり地位の高い貴族が、私にそのようにいう必要はないはずだ。外交の癖だろうか。それとも、元から丁寧な人なのだろうか。いい意味で、ミゼラとは違った人だ。
ミゼラは「相変わらずね」と、フランクな挨拶をする。タウラは合わせてフランクに会話をしていた。
「相手を勝手に決めつけたらいけないからね。爵位とか、仕事とか、性別も。勝手に優劣をつけたら亀裂が生じて、会話の余地がなくなっちゃう。良くないよ。話し合いは、人間が長い歴史で培ってきた理性的な方法なんだから」
タウラの穏やかな理論に、私は感心する。
全ての人間が彼のように温厚で、平和的な考え方ができていたら、きっと階級社会にならなかったし、貧富の差や見た目の偏見もなかっただろう。
そうなれば、きっと、私もトリスも。石を投げられるような人生を歩まなかった。
私はトリスの横顔を見つめる。
血のように真っ赤な髪は、風になびいていた。
「さぁ、出発しよう。仕事の内容は車の中で話そうか」
タウラがドアを開けて、私たちに乗るように促す。
ミゼラは私を先に乗せると、次にトリスを乗せる。
私の隣でシートベルトを締めるトリスに「いいのか」と小声で尋ねた。トリスは「見てれば分かる」とだけ言って、私のシートベルトも締めた。
私は訳が分からないまま、外で談笑するタウラとミゼラが乗るのを待った。
***
(本当にわかんねぇな……)
普通、貴族というものは自分で運転なんてしないのではないか?
ミゼラは馬車の操縦をトリスに任せていたし、イリスの父親も馬車の御者を雇っていた。
それに、これは自動車とやらなのだろう? 馬車と違って、全て機械なのだろう? 操縦が難しいはずだ。
それを、タウラ自身が運転している。
ミゼラは助手席に座って、タウラと仕事の話をしている。
エンジンの駆動音の中、二人の難しそうな会話だけが聞こえてくる。
「じゃあ、会食は先方の方々と18時に?」
「そう。コースはプリフィクスにしてるから、苦手なものとか避けられるよ。アオイノモリ様は、アレルギーは?」
「アレルギー? やだ、聞いたことなかったわ」
ルームミラー越しに、ミゼラと目が合った。トリスに小突かれ、ようやく私に質問されているのだと気が付いた。
「特にありません。何でも食べられます」
あれるぎー? というのがよく分からないが、多分平気だろう。ミゼラの家で出されたもので、食べられなかったものはなかった。
タウラは「それなら良かった」と笑っていた。
「泊まり先は大使館だから、先に荷物を降ろしちゃおう。そのあと挨拶に行って、街を案内してもらってそのまま夕食。その後は自由時間でいいかな?
明日は午前中は外交の仕事をして、午後は博物館と芸術鑑賞。夕食も一緒に過ごして、明後日帰るって流れだけど、ミゼラは大丈夫そう?」
「アタシは平気よ。でも、ソラはこういうの初めてだから、ちょっと席を外したりするかも」
「あれ、体調崩しやすい?」
「そんな感じ。トリスに彼女のフォローもお願いしてるから、アタシ一人になることがあるかも」
「そっか。わかったよ」
ミゼラのお陰で、行動の自由度が増す。
トリスも行動できるなら、危険の排除は楽そうだ。フラン共和国の暗殺者はたしか全部で16人。全域に散っているから、すぐに来るとは思えないが、警戒するに越したことはない。外交中を狙うような愚か者が居ないことを願うが。
トリスは手帳に、ミゼラの予定を書き込んでいる。数行書き込んだかと思うと、急に窓の外に目をやって動かなくなった。しばらく外の景色を眺め続けたかと思うと、急に手帳に書き込みを再開する。
彼の奇行に首を傾げていると、ミゼラが「気にしないで」と手を振っていた。
「トリスは車酔いしやすいの。普段は運転する側だから、気にならないんだけどね」
私はそう言われて納得した。そういえば、トリスが乗り物に乗るときは、大体運転に従事していたから気になることがなかった。
車は馬車より揺れが小さいとはいえ、彼にはそんなに違いがないのだろう。
(こいつ、意外と繊細だよなぁ)
潔癖も、血が苦手そうなのも、車酔いしやすいのも。
気にしすぎというか、隠そうとするというか。
タウラはトリスを気にして、なるべく揺れないように気を遣っている。それでもトリスの顔色が悪くなっていくのが心配なようで、トリス側の窓を少し開けた。
「少し眠った方がいいよ。一点の凝視も酔いやすい原因だからね。予定の確認は、車から降りてからにしよう。時間も場所も、自分が全部まとめてあるから、それ見ながらミゼラと調整したらいいからさ」
「タウラ様のお気遣いに感謝いたします」
トリスは素直に従って、椅子を倒すと目を閉じる。
トリスは具合が悪いと素直になるのか。いいことを知った。
(それにしても、よく見てるな)
タウラは運転しているのに、後ろの私たちにまで気を遣ってくれるのか。
てっきり、十二血族というのは、身内にのみ優しいのだと思っていた。
タウラはニコニコと楽しそうに運転をする。ミゼラはそんな彼の隣で、退屈そうに窓の外を眺めていた。




