6-1 仕事付き添い依頼
(あぁ、これは夢だ)
目を開いてすぐに理解する。眼前に広がる、紅い華。
夜空を明るく染めるそれは、ひどく熱くて。
燃える豪邸を前に、私はワインの瓶を片手に胡坐をかいていた。
何度だって見る、私が解放された夜の夢。こんなにも喜ばしいことはないというのに、私はこれを、悪夢だと思っている。
…………どうして?
私は自らを救った。自ら自由を勝ち取った。それなのに、どうしてこれが悪夢なんだ。
ワインを直飲みして、燃えていく豪邸を眺める。
ただじっと、ただじぃっと。
***
起きたら案の定、寝汗をかいていた。寝苦しくて起き上がると、外はまだ暗かった。
月明かりもない。おそらく、夜明け前だろう。早起きにもほどがある。
「ババアかっての……」
目をこすってベッドに戻る。汗で湿ったベッドは最悪の寝心地だ。でも、シーツを取り換えるほどでもない。どうせ洗濯するのはトリスだ。嫌がらせも兼ねて、このまま寝てやろう。
そんなことを考えていたのに。
窓の外から聞こえる、誰かの足音。小さく聞こえる金属同士がぶつかる音。招かれざるお客の来訪に、私はため息をついた。
「夜間手当出ないかなぁ」
テーブルの上に放り投げたクロスボウを持って、私は廊下に出た。
***
「ひどい顔色ね」
朝食の席でミゼラが私を一瞥して言い放つ。そう言われても仕方がない。
思うように眠れなかったからクマができているし、肌も少し荒れている。
それに、今朝は返り血をつけたまま寝ていたようで、朝一番にトリスの悲鳴を聞いて飛び起きた。
目覚めも悪いし、トリスと喧嘩もするし、最悪だ。
「朝から鶏が耳元で鳴くもので」
「お前が返り血を落とさずに寝てるからだ! 落ちなかったらどうするんだよ!」
「新しいの買いなさい。ソラ、あんまりトリスをいじめるようなことはしないでちょうだい」
「いじめていません。あっちから絡んで来るんです」
「誰が絡むかクソアマ!」
「んだと!」
「二人とも! 一日一回は喧嘩しないと生きられないの?」
ミゼラの呆れた表情に、トリスと二人で「だって」と返す。そのハモリすら腹立たしい。
エリーゼが食器を下げて、私も部屋に戻ろうとする。しかし、ミゼラに「待って」と制止され、私は椅子に戻った。
「あなた、フラン語話せたわよね」
「はい、日常会話程度にですが」
「仕事よ」
ミゼラがそう告げると、私の背筋も自然と伸びる。
仕事? それも外国で? 何をすればいいのか。
まさか、外国にいる刺客の排除をするのか。それとも、何か盗まれていたのか。
ミゼラは手を組んで、息をつく。
「外交に付き添いしてほしいの。通訳として。アタシの護衛も兼ねて」
ミゼラの護衛はともかく通訳?
エリーゼを保護したとき、ミゼラはフラン語を流ちょうに話していた。民間人の会話程度の私は絶対に必要ないだろうに。
「通訳が本当に必要ですか?」
私が尋ねると、ミゼラは意地悪な顔をして微笑んだ。
「そうね。通訳してほしいのは相手の本音よ。敵意か否か、嘘か真か。あなたに見極めてほしいのよ」
「なるほど。わかりました」
そうなると、エリーゼも連れて行った方がいいだろうか。フラン共和国出身だし、地理的に彼女の方が詳しい。しかし、ミゼラはエリーゼに留守番を命じた。
留守中を守る誰かが欲しいようだ。が、エリーゼは私やトリスのように戦闘経験がない。夜間の襲撃対応も、武器の扱いも、慣れていないのに一人にして大丈夫だろうか。
私の心配をよそに、エリーゼは留守番を承諾した。
「大丈夫か?」
「心配には及びませんわ。エリーは問題ありません。お姉様と離れてしまうのは心苦しいですが、これも再会の喜びを大きくするため! そのためならば会えない困難なんて、些細なことですわ」
「お前のメイドは感情が忙しいな。たかが三日の留守番に」
「言ってやんな、トリス。数日家を空けることがそもそもないだろ」
トリスはため息をついて、エリーゼに留守中の家の掃除を仕込みに彼女を連れていく。
その間に私はミゼラと外交の日程を話す。
「外交は、いつから?」
「明後日の早朝に出るわ。タウラが車を出してくれるから、それに乗って」
「タウラ?」
「あぁ、言ってなかったわね。外交のメインはタウラ・エンパティっていう私の友人が行うわ。私はご意見番。彼は外務省大臣で……」
「十二血族の一人?」
「そうよ。察しが良くなってきてるじゃない」
聞けばそのタウラという男、『丑』の血族で外交関係を担当しているという。しかも、最近、後を継いだらしく、その挨拶回りも兼ねて、フラン共和国に行くという。ミゼラは先輩ということもあり、それについて行って補佐をするのだとか。
「でも、大事な外交ならば、私がついて行っては迷惑でしょう。それに、外交について行く婚約者というのも、先方にあまり良い印象を与えないのでは」
私は懸念を隠さずに話すと、ミゼラは言いよどんだが、ため息をついた。
「実を言うと、その先方からの要望なの。タウラが電話でアポを取った時に、私が婚約者を選んだと話の流れでそうなったって。それで、『噂によれば、髪が黒い忌み子を選んだ』と喋ったら、相手が食いついたとか」
「なんとも迷惑な話で」
「そうよ。物好きの顔も、あんたの顔も見たいと熱烈に頼まれて、断れなかったから。泣きつかれちゃ、アタシも断れないわよ」
ミゼラも困っているらしい。まぁ、あまり私の顔が広まれば、どこで死刑囚であることがバレるかもわからない。
私は、「そう言うことなら」と、了承した。
「今日の午後は外出をしても?」
「いいわよ。どこに行くの?」
フラン共和国に行くのなら、その国に適した礼儀を学ばなくては。それを学ぶのに、うってつけの場所を知っている。
「イリス様のお宅へ」
先月フィリップと三人で遊んだとき、『いつでも遊びにいらして』と声をかけてもらっていた。社交辞令だろうが、言葉に甘えて行ってみよう。
ミゼラは「電話してみるわ」と、応援してくれた。私は、出かける準備をする。
彼女の誘いが社交辞令ではなかったことを、私はまだ知らなかった。




