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5‐5 餅は餅屋に

 レープス伯爵襲来から二日後、電卓の音だけが談話室に響く。

 あちこちのソファーに置かれた数年分の収支と輸出入の会計と商品リスト。それらを綺麗にまとめて、電卓の数字を見つつ、ボールペンをせかせかと動かすフィリップが大きなため息をついた。



「これ、二年前からわかりきってたことだよね。何で事業拡大をはかったのかな。完全に事業ミスだよ。それに、生糸の生産量が落ちてるのに、工場を休止しなかったのが、高コストだねぇ。輸出に対して輸入額が多いし、経営下手だったんじゃない?」



 フィリップは電卓を叩きながら、リレオン卿にちらりと目配せをする。

 フィリップの正面に座るリレオン卿は、膝に置いた手を固く握った。



「私も歳でね。そろそろ息子に引き継ごうと考えていた。しかし、息子は悪化する業績を、隠していて相談もしてくれなかった」


「一緒に仕事してなかったの?」


「していたとも。だけど、信頼していたから、口を出さずにいた」


「それは信頼なんて言わないよ。手放しで仕事任せられる状態じゃないのに、口出さないなんて、放置もいいとこじゃん? 僕なら逐一口出して、完璧にできるようになってから全部任せるけどねぇ」



 フィリップの手厳しい指摘に、リレオン卿も反論できない。

 私は、フィリップのそばに軽食を置いて、「お疲れ様です」と声をかけた。フィリップは私を見ると、苦笑いして肩を回す。



「まったく、君も人遣いが荒いねぇ。赤の他人の財政を見直せなんて」


「お陰で助かっています」


「そうでなくちゃ困るよ」



 フィリップは軽食を掴むと、口に咥えたまま作業に戻る。


 ***


 二日前、ミゼラから電話を借りて、私はある人物に電話をかけた。

 七回ほどコール音が鳴った後、電話の向こうではかすかにそろばんを弾く音が聞こえた。



『はぁい、ムスベラットです』


「もしもし、私……」


『待って、ソラちゃんだよね?』



 ──ソラ()()()? 

 ちゃん付けで呼ばれるような間柄だっただろうか。少なくとも、私はクーシャ町の出来事でしか面識がない。

 私の冷え切った声に反してフィリップは楽しそうに話す。



『君と直接話したかったけど、ミゼラの婚約者だし君の家の電話も知らないからさぁ。今ミゼラの家に居るの? 遊びに行っていい? ミゼラに代わってよ』


「あぁ、いえ。私が連絡したのは、少し協力してほしいことがあって」


『協力? いいよ。今度遊びに行ってくれるならね』


「言質取ったぞ」


『………………今、ちょっと物騒なこと言った?』



 事情を話すと、フィリップは少し渋った。しかし、ついさっき『いいよ』と言ってしまったため、フィリップは了承する。ミゼラに電話を代わり、日程の調整をすると、ミゼラは電話を耳に当てたまま私の方を見る。

 そのまま少し会話をすると、電話を切った。



「明後日来てくれるそうよ。レープス伯爵、リレオン卿に明後日家に来ていただけるように連絡お願いいたします」


「わかりました。では、ここで電話を借りてもよろしいでしょうか。彼が領地からここに来るまでは、馬車で一日かかりますから」


「どうぞ」



 レープス伯爵は電話をかける。

 ミゼラと私は、一番心強い協力者に安堵した。


 ***


 フィリップは最後の電卓を叩き、帳簿の最後のページを書き終える。

 忙しい手もようやく止まって、インクで汚れた手を伸ばして欠伸をする。



「財政難は、あと五年は続くだろうね。支出と収入を見直して、生産品の輸出先の増加を考えた方がいい。ルートの確保なら、イード王国がいいと思うよ。あっちは反物が特産品にある。けど、反物の生産に対して製糸が間に合ってない。リレオン卿の製糸技術と質なら、すぐにでも契約できると思うよ」


「感謝する。……ちなみに、収入減による支援補助金の申請はできるだろうか」


「過去三か月以上収入の減少が確認できる資料があれば、申請はできる。この資料で十分だから、コピーして申請に来て。領地の人たちは世帯と人数、収入証明書を提出したら給付金が出るから」



 フィリップは申請に必要な書類のメモを渡すと、資料を片付けてリレオン卿の前に置く。

 談話室を出ると、外で待機していた私に手を振った。


 私はフィリップに恭しくお辞儀をすると、フィリップは私の肩にのしかかってきた。

 彼の体重の重さに足を踏ん張るが、支えきれずに上体が曲がる。



「ぐっ……! 重い!」


「あんな面倒なお願いしてくるなんて。僕にそんなこと言うの君くらいだよ。まぁ、手ごわい相手だったけど。収支の確認すればどうってことなかったけどね。ミスを胡麻化すためにわざと複雑にしたんだろうねぇ。リレオン卿は再教育をした方がいいと思わない? それこそ、レープス伯爵に頼んでさぁ」


「そうですけれども。くぅっ、重いっ!」


「さぁて、仕事も終わったし。遊びに行こうか」



 フィリップは私の手を握ると、玄関までまっすぐに歩いていく。

 あの『遊びに行こう』は冗談じゃなかったのか!

 私はそれに気が付くと、さぁっと血が引いた。ミゼラとトリスに仕込まれているとはいえ、私の貴族らしい振る舞いというのはまだ違和感だらけで見ていられないと言われている。

 このままでは、庶民が露呈する。



「フィ、フィリップ様? 私、今日は用事が……」


「えぇ? ミゼラには許可もらったよ? 『これも仕事よ』って言ってたし」


「あのカマ野郎……! しかし、私は」



 私の制止も空しく、フィリップは晴天の下へと飛び出す。

 私はまだ引き返せると希望を持ったが、玄関にいたイリスの顔を見て絶望した。


 イリスは黄色に白のレースが付いた爽やかなワンピースを着ていた。

 日傘を差して、ちょうどチャイムを鳴らそうとしていたところだった。



「イリス様!」


「今しがた、お邪魔しようとしていたところでしたが、もしかしてタイミングが悪かったでしょうか」


「っ! いえ、そんなことは! お茶でもどうでしょう⁉ きっと楽しいですよ」


「あは、いいねぇ。三人でお茶でもしようか。最近おいしい店を見つけたんだ。エイヴが美味しいって言ってた店があるんだ。アルテムも気に入ったって言っててねぇ。ちょっと気になってたんだ」


「あんたに言ったわけじゃねぇんですよ。手を離してもらえます?」


「いいですね。知らないお店でお茶をたしなむのは初めてです」


「うっそでしょ。イリス様のらないでください! この男の言うことを真に受けちゃだめです!」



 イリスは微笑むと、フィリップの腕を掴んだ。フィリップは彼女の行動に「珍しいね」と声をかけた。

 イリスは私の方を見て、少女のように微笑んだ。



「さる友人に言われて目を覚ましました。今まで父に従って生きていましたが、これは私の人生です。私が選んで生きていきたいのです」



 きっと、沢山話し合ったのだろう。喧嘩もしたのだろう。

 以前の冷たくて、何を考えているのかわからない表情とは違う。晴れ晴れとした顔を見て、どうしたら拒絶できるだろうか。



「手始めに、『友人と外出』してみたく、ミゼラ様に連絡を。ソラ様もフィリップ様もいらっしゃるというので、訪問させていただきました」


「あはは! いいねぇ! 一緒に行こうか。馬車に乗って」


「私に、拒否権は……」



 楽しそうな二人を前に、私もだんだん抵抗するのが申し訳なくなってきた。

 馬車に突っ込まれて、フィリップの合図で走り出してしまう。

 どこに行こうか話し合う二人の横顔に、私もようやく腹を決めた。

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