5‐3 交渉しましょ、そうしましょ
ミゼラ邸──談話室。
応接間とはまた違って、広々としていながらリラックスできるような部屋には、柔らかなソファーが並び、本棚には大衆誌が沢山詰め込まれていた。
明るめのカラーの壁紙は、ミゼラのこだわりを感じさせつつ、窓の外の光も取り込んで解放感を演出する癒し空間があった。
私もこの家に来た初めの頃は、息が詰まりそうな一日の中で安らぎを求めて入り浸った。
でも、今はその安らぎもへったくれもなく、ミゼラと言い争っていた。
「だから、あなたのしたことに文句があるのは、方法についてであって、根本的な行動じゃないったら」
「ミゼラ様の言い分もきちんと聞いています。その上で、自分の行動を過ちだったとは認めないと言っているんです」
「過ちとも思ってないったら。もう、強情な子ね」
最初こそキョトンとしていたイリスだったが、エリーゼに提供された紅茶を飲みながら、私たちが話し合いをしているのを呑気に眺めていた。
イリスを横目に、私は鼻息荒く、ミゼラに食ってかかる。
「何がいけないと言うんです? 人生を親に決められて、自分を大事に生きられないのに」
「それについては、アタシも思うところはあるわ。今、初めて知ったんだもの。でもね、急に連れてくるのも、本人の意思も確認しないのもダメ。しかも伯爵に確認せずに連れてきたって、完全に拉致じゃないの」
「今更拉致の罪状が追加されても、屁でもクソでもありません」
「言葉遣い! ったくもう。どうする気よ!」
「イリス様を盾に、ここに呼び出します」
「ほんとにどうする気よ……」
ミゼラはため息をついて、イリスの前に座る。イリスはティーカップを持って、ぼうっと座っていた。
紅茶に揺らめく自分の姿を見つめる、イリスはウサギのような無表情だ。
「イリス、幼馴染みのよしみで聞くわ。あなたはこの結婚に納得しているの?」
「……私」
イリスはカップを置いて呟く。その小さな声を聞き逃すまいと、誰もが耳を大きくして待った。
「私、婚約者でもない殿方の家にお邪魔するの、初めてです」
イリスは青ざめた様子で、ミゼラの顔を見る。そのズレた答えに、ミゼラは頭を抱えた。
私はミゼラの隣に座り、イリスの杞憂を切り捨てる。
「関係ありません。今は、あなたの話をしているのです。それに、ミゼラ様とは、共に幼少期を過ごしていらっしゃるのですから、『殿方の家』と言うよりは、『友達の家』でしょう」
「なるほど。では大丈夫そうです」
イリスは胸を撫で下ろすと、ようやく婚約の話を続けた。
「国の南西に領地を持つ、リオレン卿はご存知ですね?」
「ええ」「いいえ」
ミゼラと私で回答が違う。
ミゼラの眼光に気圧され、私は知ったかぶりをする。それをフォローするように、トリスが口を挟んだ。
「確か、製糸が盛んな領地でしたね。綿花の生産量も国一番で、最近では布染めにも力を入れているとか」
「そうです。ですが、トラブルが起きまして」
イリスが言うには、リオレン卿が財政難に陥ったという。
綿花がメインの農業のため、その他の特産品がない。その他、糸加工のための工場の維持費、布染めの工場建設や、染料開発の費用が嵩み、予算の他に、自費での支援もしたが足りず、破産に向かって走っているのだとか。
リオレン卿は昔馴染みだったレープス伯爵に頼りに行ったが、立場上、表立って支援をすることも出来ず、リオレン卿の息子にイリスを嫁がせ、『家族のよしみで』という形で支援するらしい。
「そうでないと助けられないって、貴族ってめんどくさっ」
小声で呟くと、ミゼラがヒールで私のつま先を踏みつけた。
けれど、家族繋がりでないと、金銭的な支援も出来ないなんて。こんな事で人生を決められる子供のことを考えて欲しい。
だが、ミゼラの表情を見る限り、往々にしてあるらしい。
妙に腑に落ちた様子で、ミゼラは「難しいわね」とイリスを見つめる。
イリスは諦めたように笑って、「仕方ありません」と言った。
「生き残るための知略です。これも、運命でしょう。まだ教養不足ですが、16歳になる弟もいることですし、家の後継は問題ありません。跡継ぎになれない娘は所詮、繋がりを作るだけの駒ですから」
自虐的な物言いは、かつての私を思わせる。
所詮は農民。所詮は忌み子。
所詮、殺人鬼。
後は死ぬだけ。後は待つだけ。
自分の人生なんて、こんなもので。
所詮は、こんな末路で。
今だって、婚約者の皮を被った、雇われ傭兵だ。それでも、オカマに助けられ、ソリの合わない執事と毎日喧嘩と勉強して、ちょっと過激派なメイドと生活している。
望んだ人生では無いが、牢獄で自分の終わりを待つ何倍もマシだ。
何ができよう。連れてくるだけ連れてきて、自分に出来ることは無し。
何ができよう。仮初の貴族に、人との繋がりもなければ、人を殺す以外の力も無い。
でも、私には──無駄に度胸があった。
「わざわざ他人の人生を潰さずとも、方法はいくらでもあります」
「そうね。アタシも変だと思ってるわ。でも、彼女はアタシやフィリップと違って、十二血族として爵位を継いでいない。それに、イリスの父親は彼女の勝手な行動を許可してないの」
「イリス様はもう成人していらっしゃいます。なら、親に縛られる必要も無いはずです」
「でも、レープス伯爵はそうじゃない」
「……ウサギの鍋が美味しいこと、イリス様にも教えて差しあげましょう」
「やめなさい。ウサギはウサギでも、爵位持ちの年寄りなんて美味しくないわ」
青筋立っている私を、ミゼラがやんわりとなだめる。ふと、窓の外で一台の馬車が止まった。
二頭立ての、格式高くて高級な馬車だ。ドアの装飾には、ウサギの紋章が象られている。
イリスの父親だ!
私はエリーゼにイリスを別室に案内するように指示する。
トリスはため息混じりにレープス伯爵を迎えに部屋を出て、彼のため息が移ったミゼラも、髪型を整えて伯爵を待つ。ミゼラは化粧も直そうとしたが、思い直したようで、鏡の前を離れる。
時間がないのだ。全てを完璧には無理だろう。
それを告げるように、談話室のドアが開いた。
先導するはずのトリスを後ろにつけて、レープス伯爵が私たちの前に立ちはだかった。ウサギを家紋にしているとは思えない気迫に、ミゼラさえ唇をキュッと結ぶ。
私はミゼラたちに仕込まれたお辞儀を、彼にも披露する。
「お初にお目にかかります。私はミゼラビリス様の婚約者で、ソラ・アオイノモリと申します」
ただの挨拶だ。それでいて、宣戦布告である。




