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4–4 フラン共和国の少女

 ミゼラ邸に着くまで、まだまだ時間がある。トリスは私が引き裂いたドレスと、飛び道具にしたヒールの総額に大きなショックを受けていた。


 運転席から不満と不安と怒りと嫌味がブツブツと聞こえてくる間、私は少女との会話を試みる。



『名前は?』


『エリーゼ・アルカディア。あなたは?』


『私はソラ。どうして娼館なんて所にいたんだ?』


『家が貧しくて、パパが私も働けるから、家を助けてって。私は家政婦の仕事だって聞いてた。でも、イーグリンド王国の人が来て、パパにお金を払ってた。

 きっと、この人が私を雇ったんだって、思ったの。でも違った』



 エリーゼはこの先を話そうとするが、体が震え、涙も止まらなくなってしまい、息さえ苦しそうに嗚咽(おえつ)する。


 相当辛かったのだろう。これ以上聞くのは、彼女には毒だ。私はエリーゼを抱きしめて、『大丈夫』と声をかけ続けた。


 エリーゼの体が冷えないように、置いてあったひざ掛けを、彼女の体にかけてやり、泣き止むのを大人しく待った。

 ひとしきり泣いたエリーゼは、そのまま眠ってしまった。無理もないだろう。急に知らない国に売られ、意思に関係ない仕事を強いられ、誰かに助けられるまで逃げ続けたのだから。


 私はエリーゼが辛くないように、彼女の体をゆっくり傾けて、膝に寝かせる。

 車内が静かになると、トリスがようやく声を出した。



「どうする気だ。その子」


「わからん。ミゼラに相談しよう」


「国に返すにしても、店に訴えられるかもしれないんだぞ」


「そん時はあれだ、やっちゃおう」


「裁判費用は出さないからな」


「店を消せば万事解決」


「物騒な奴」



 トリスは一呼吸分の間を置くと、私に尋ねた。



「どうしてフラン語を話せる?」



 田舎も田舎。国の端っこの村の娘に、外国語の教養は無いはず。そもそも、教育の場所さえ限られているのに。高等教育である外国語が話せるのか。


 私は、彼に尋ねた。



「私は農民だったけど、狩りをして生活していた。狩った獲物はどうする?」


「加工業者に買取してもらうんだろ。加工は出来ても、狩りは出来ない連中だ。仕留められる奴からかった方が安い」


「でも、加工業者の場所は限られてるよな?」


「そうだな。広い加工場と悪臭問題、それらをクリアする場所が少ないから」


「国の端に位置する村から獲物を買い取ってもらう時、一番近いのはど~こだ」


「はぁ? そりゃ、一番近い街の業者に行くか、国境沿いなら隣国に……おい、まさか」


「私の場合は、隣国が近かったんだ」



 森を抜けた先は、イーグリンドの外だ。そのまま少し歩いていけば、フラン共和国の加工場がある。

 受付カウンターに獲物を出して、換金してもらい、そのまま国に帰る。


 最初の頃こそ、会話なんて出来なくて、カウンターで一時間押し問答することもあれば、言葉が通じないからと金額を減らされたこともある。

 でも、生活に必要な事だった。一週間で言葉を理解し、二ヶ月後くらいには会話ができるようになっていた。


 気がつけば、『気味が悪いが獲物を沢山くれる良いお客さん』の立場を獲得。

 ときどき高く買い取ってくれることもあった。おかげで地獄のような生活は何とか出来ていた。……捕まるまでの話だが。



「生活のために、覚えたって……」


「仕方ないだろ。家庭菜園程度の畑で、何が売れるってんだ」


「はぁ、苦労してきたのは分かったから……」



 トリスが頭を抱えているのが見える。私は、エリーゼの背中を擦りながら、近づいてくる花の香りに目を細めた。


 ***


 ミゼラの書斎は、彼の几帳面で派手好きな性格とは真逆で、散らかっていた。

 壁一面に並んだ本棚にギッチリと本が詰め込まれていて、抜き取ることも戻すことも難しそうだ。

 それでいて置ききれなかったのだろう書籍が、本棚の上や床に積まれて山のようになっている。

 ミゼラが今座っている書斎机も、何やら難しそうな書類の束と、参考資料らしき書籍と、重要そうな封筒で壁ができている。



「なんってことを……」



 その中で、私たちから事の顛末を聞いて、ミゼラはため息をついた。その綺麗な顔に深くシワを刻み、トリスに用意させた紅茶を飲んで、「どうしましょうか」と呟いた。

 特になんとも思っていない私の隣で、トリスは青い顔で深く頭を下げる。



「申し訳ございません。俺がついていながら、このような沙汰を」


「いいえ、いいのよ。……はぁ、で? あなたは言うことないのかしら?」


「特には。強いて言うなら、エリーゼが勤めていた店を潰してきたいです」


「やめてちょうだい」



 ミゼラは頭を抱えて唸っているし、トリスも困った様子でミゼラの決定を待つ。

 私は、腕に掴まって離れないエリーゼを見つめる。

 はちみつ色の目は、自分の行先に不安と恐れで揺らいでいて、震える体を支える足は、小枝のようで心許(こころもと)ない。

 ミゼラはエリーゼに『勤務先は?』と尋ねるが、エリーゼは怯えて話せない。



「困ったわね。会話にならないわ」



 家に着いてからというもの、エリーゼはトリスとミゼラと会話が出来ないでいた。

 というのも、【男性】という全般的なカテゴリに対する恐怖が深く刻みつけられていて、個人的な()り分けが出来ていない。そのせいで、二人の性別がそうであるだけで、恐怖の対象になってしまっているのだ。



『どこで働いてたんだ?』



 私が聞くと、エリーゼはさぁっと顔が青ざめる。私は固く握られたエリーゼの手を包み込んで、『大丈夫だから』と伝える。



『勤務先を聞いだだけだ』


『私を店に戻すの?』


『しないよ。私がそうさせないから』



 私の一方的な約束に、ミゼラは「ちょっと」と苦言を呈した。けれど、平気で人身売買するような店に、帰れという方が非道だろう。



『……レイズ・ヴィッチ』



 エリーゼは店を名前を言う。

 ミゼラは顔をしかめると、『支配人は?』と尋ねる。けれど、ミゼラが男ゆえに、エリーゼは答えられない。

 私が同じ質問をすると、彼女は『ミンクス』と答えた。

 その名前に聞き覚えがある。



「ミゼラさん、ミンクスはあなたを脅かす敵でしょう。リストで拝見しました。

 ミンクスは男性向けの娯楽施設の支配人にして、裏では麻薬の流通をになっている男です。以前、奴は店の常連のツテを使って、麻薬の一部を合法化する法案を提出させました。

 十二血族の会議で、あなたがその法案を見つけ、棄却したと聞いて逆恨みしているとか」



 わざわざ敵に、良いことをしてやる理由は無い。これを機に、少し叩いてやれば、こちらに害をなすことも無い。


 ミゼラは少し考えて、「そうね」と呟く。引き出しから便箋を出すと、万年筆で手紙を書き始める。



「とりあえず、今日のところは家で預かりましょう。アタシたちじゃ面倒みれないから、ソラ、あなたが面倒を見て」


「そのつもりです」


「そうでないと困るわよ。さて、早速その子、お風呂に入れてもらえるかしら? そんな薄着じゃ寒いでしょうし、ちょっと汚れてるしね」



 ミゼラはトリスと目配せをすると、トリスは浴場に向かって走っていった。

 私はエリーゼを連れて、自分の部屋に行く。



『私はどうなるの?』



 そう尋ねるエリーゼに、私は『分からない』と答える。

 私に決定権は無い。そもそも、私はミゼラに雇われているだけで、この家の所有者でも無ければ、金で解決しようとする貴族ですらない。

 このアホみたいに長い廊下を歩いていても、部屋に着くまでに答えが出せる訳でもない。



『少なくとも、今日は綺麗なまま寝られるだろうよ』



 それしか言えない。それしか言えないけれど。

 エリーゼには充分だったようだ。

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