4–3 追われる少女
店を出ると、トリスが馬車のドアを開けて待っていた。
私が抱えている紙袋を受け取ると、中を確認しながら私を馬車に乗せる。買い忘れや間違った商品が無いことを確認すると、馬車の後ろの荷台に乗せた。
「ちゃんとお使いできて偉いな」
小馬鹿にしたような言い方に腹が立つが、「お留守番出来て偉いな」と返すと、トリスはムスッとしてドアに手をかける。
ふと、私の手首に巻いたレザーのブレスレットを見つめる。
「これはどうした」
トリスの質問に、私はブルームからもらったと素直に答えた。すると、彼が目を丸くする。
そういえば、十二血族は貴族の中でも尊いんだったか。彼らから施しを受けるのはいけないことだったか?
それとも、私がつけるにはふさわしくないのだろうか。
「…………ダメか?」
私の声は、消えてしまいそうなほど小さかった。いつもの自信も、今はくらい影の後ろ。
やはりオシャレなんて、すべきではなかった。忌み子ごときが、認められたと思って、浮かれて、このザマだ。
これで小言を言われたら、大人しく返してこよう。一度つけてしまったものを、返品できるだろうか。出来なかったら、こっそり捨てよう。
そう考えていたら、トリスがはっとして、「あぁ、悪い」と頭をかいた。
「プルムディ様は、滅多におまけをしない方なんだ。どんな常連でも、旧知の仲でも、仲良くしたり商品の輸入したりはするけど、売買は一パウたりとも譲らない。だから驚いただけだ」
トリスは本当に驚いているようだった。それくらい、ブルームは商売には厳しいのだろう。
そんな人が、私におまけ? それはそれで、不思議な話だ。
トリスはまた、レザーのブレスレットに目を落とす。兄弟に向けるような眼差しで、微笑んでいた。
「良かったな」
それだけ。たった、それだけ。
余計な言葉もなく、とても簡潔にされた、私への慰め。
いいや、トリスはきっと、羨ましいのだ。そうでなければ、彼の唇が一瞬震えた理由がない。
彼も苦労をした。それは、同族の勘で察る。私は口を開きかけた。
「いつかお前も──……」
『誰か、助けてぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!』
通りを劈く叫び声。
驚く民衆たちが、声の方に首を向ける。
私達もその方向を見た。
遠くから、栗色の髪の少女がこちらに向かって走ってくるのが見えた。
体に纏っているネグリジェのような薄い服を見て、道行く人はため息をついた。
「なんだ、娼館の脱走かよ」
──娼館?
なんだそれは。
「娼館ってなんだ」
私がトリスに尋ねると、トリスは眉間に皺を寄せた。
「女を金で買える店だ。男の娯楽施設の事だよ」
「女を? 何させるっていうんだ。裁縫か?」
「…………なこと」
「あ? 聞こえね」
トリスは私から顔を背けて、首まで真っ赤にしてもう一度言った。
「えっちなこと」
「……マジかよ」
男の考えることなんて、分かったもんじゃないな。
私はため息をついた。
少女ははちみつ色の瞳を潤ませて道行く人に助けを求める。しかし、彼女の言語はイーグリンド語でないため、誰も彼女の言っていることが理解できない。
『お願い! 助けて!』
『このままじゃ私死んじゃう!』
『誰か、お願い! あんな所に戻りたくないの!』
彼女の悲痛な願いは聞き届けられないまま、善良な紳士によって捕まってしまう。
「大人しく娼館に帰りなさい。今なら軽い折檻で済む」
『い、いやっ! 離して! やだ、やだやだ!』
紳士は追いかけてきた娼館の用心棒に、少女を引き渡そうとしていた。
トリスはため息をつく。
「可哀想にな。攫われたか、売られたか。どっちにしろ、体を売らないと店から出らんねぇ」
「攫われ……、売られ……?」
「あぁ、娯楽のためにな」
それを聞いた時、自分でも驚いた。
気がついたら、トリスが叫んでいた。私の名前を叫んでいた。でも、それはとてもとても遠くて。
私の腕は、少女を背中に隠している。もう片方の腕は、紳士と用心棒を投げ飛ばした後だった。
はちみつ色のタレ目が大きく見開かれ、私の後頭部に視線が刺さる。
私は彼女の腕を引いて、馬車に向かって走っていた。
トリスは「馬鹿だろ!」と私を罵る。それでもいい、それでもいいから。
「娯楽で人間を消費する方が、よっぽど馬鹿だ!」
起き上がった用心棒が、もうこちらに向かって走ってくる。
流石に女の足で、男から逃げ切るのは不可能だ。
私は、少女の背中を押す。
少女は驚いた様子で、振り返ろうとした。
『振り返るな!』
それを制止して、私は彼女を走らせる。
『赤い髪の男の馬車に乗れ!』
『あ、なた、フラン語が分かるの!?』
『ちょっとだけな!』
トリスに少女を預けて、私は足を止める。
急に止まった私に驚いて、用心棒も泊まろうとした。しかし、すぐには止まれない。
私は腰を深く落として、奴のスネにヒールを突き立てた。
痛い部分を的確に突いたようで、用心棒は悶絶してその場にうずくる。
私が馬車に乗り込むと、トリスはすぐに馬車を走らせた。
「このまま逃げ切れ!」
「それは難しいかもなぁ!」
トリスはチラッと後ろを向いた。
用心棒の男は、馬を強奪すると、軽やかに乗り、私たちを追いかけてくる。
馬車を引いた馬と、人ひとり乗せた馬。
速さに差のあるそれは、じわじわと追い詰めてきて、トリスが冷や汗をかく。
「どうしてもその子助けないとダメか!?」
「ったり前だろ! 自分の意思ならまだしも、そうじゃねぇ奴見殺しにして帰れるか!」
「言い方が悪いが、店の商品盗んでんだぞ」
「その程度なんだ! こちとら殺人罪の死刑囚だ!」
「そういやそうだった……うわっ!」
銃声が一発鳴り、トリスが頭を守る。
私が窓から外を見ると、用心棒は拳銃をこちらに向けていた。
「武器持ってんのかよ」
「当たり前だ。脱走者や不届きな客のために雇われてんだからな」
「トリス、拳銃持ってっか?」
「持ってない」
「なんで持ってねぇんだよ。使えねぇな」
「お前がミゼラ様じゃないからだよ!」
ここでギャーギャー騒いでいても、劣勢に変わりは無い。
用心棒は何発も銃を撃ち、軒先の樽に穴を開けたり、果物を貫いていく。
器用に弾倉を交換して、今度はトリスを狙っていた。
「ウソだろコイツ!」
トリスはムチを振り回す。
用心棒から放たれた銃弾は、奇跡的にムチに当たり、トリスは危機を免れた。
しかし、馬車を操縦しているのが彼である以上、彼が死んだら足止めを食らう。
あの用心棒に攻撃……いいや、足止め出来るものを。何か。
ふと、街灯が目に入った。
街灯は等間隔で、左右対称になるように設置されている。
私は、自分のレザーのブレスレットを見やった。長さはせいぜい30cm。必要な長さには全然足りない。何か、長くて丈夫な紐状のもの……布とか、そういうのでもいい。
「……トリス」
「なんだ。武器なら何も持ってないぞ」
「給料から天引きしてくれ」
「何する気だ?」
トリスに答える前に、私はドレスの裾を掴んだ。
グッと力を入れて、ドレスを裂く。
ビリビリッと音を立てるそれに、トリスの声が低くなっていく。
「聞き間違いだといいんだが、ドレスを裂いてないだろうな!」
「天引きしといてくれよ!」
「お前マジいつか殺してやる!」
私は必要な長さになるまで、ドレスを細く長く裂いた。
ヒールを脱いで、紐の片方に結びつける。しかし、ここで問題が起きてしまった。
「もうすぐ王都を抜けるぞ!」
トリスが叫ぶ。外を見ると、道がかなり広くなっていた。
あらゆる人を迎え入れる王都の道は、大通りであればあるほど広く造られていた。
今作った紐では長さが足りない!
(今からドレスを破いたら時間ロスになる。あと30cm……)
私は、ギュッと目をつぶった。
『見た目がどうだろうと、好きなものを我慢する理由にはならんわいな』
ブルームは私を肯定してくれた。過去の痛みはもう消えた。『憧れへの諦念』だったこれは、今はなんの象徴となるのか。
ブレスレットを外し、紐の先と結び合わせる。そしてヒールに括りつけ、窓から馬車の屋根に登る。
用心棒は、眉をピクりと動かすと、私に狙いを定めた。
私は大きく息を吐く。お互いに狙いを定めて、相手を見据える。
用心棒が引き金に指をかけた。力がこもる、その刹那。私は左右の街灯にヒールを投げる。
ヒールに結び付けられた紐は、街灯にグルッと一周巻きついた。
用心棒は避けられず、紐に首を引っ掛けて後ろに転倒した。
頭を強打して昏倒する用心棒を後目に、私たちは王都を去った。




