4–2 万事屋『旅人』
ミゼラの許可を取り、馬車を借りて王都へ向かう。
トリスは運転をしながら、ブツブツと文句を言った。
「全く、ワインの価値も知らないで飲むなんてな」
「酒は酒だろ。値段なんて、気にしたことねぇ」
「一本100万パウだぞ。それを飲み干したんだぞ。……死体を焼きながら」
「美味かった。ツマミなくてもイケるもんだな。あ、それで思い出した。今日の夕飯肉料理がいい」
「今日は魚だ。絶対に魚」
「ヤダ! 肉!」
「とんでもねぇもの見ながら食いたいと思ったもんを、俺に作らせんな!」
「じゃあ、自分で作っていいのか?」
「絶対に厨房に入るな」
トリスは、馬用のムチを私に向けて威嚇した。私は不満ながらもムチを押し返して椅子に座り直す。
「で、ワインの買い直しっつってたけど、79年物のワインが買える店なんてあるのか?」
「普通は無い。しかも、お前が飲んだのはこの国で製造されたワインじゃない。だから、余計に入手が難しい」
「じゃあ買いようがないじゃねぇか」
「バカ。言っただろ。普通は、って」
トリスは含みのある言い方をして、馬を操る。一体どこで仕入れるというのか。
(…………あぁ、そうか)
手に入れられない海外の製品を、手に入れられる人から、か。
***
イーグリンド王国王都──ロン・ド・ロゥ
アパートや会社が詰め込むように並び、石畳の道は沢山の人が行き交っている。
馬車だけでなく、自動車も走り、道の露店では、見たこともないような食べ物が売っている。
綺麗な服を着た夫人や、街灯の清掃をする掃除夫もいて、沢山の仕事や服装に溢れていた。
「凄いな。皆同じような服じゃない」
「お前がいた村もそうだったのか?」
「あぁ、皆農民だからな。安価で頑丈な麻の服だったよ」
都会と田舎は違うとは思っていた。殺した領主も、流行りの服が好きだった。似合っているかどうかは別として。
村民が我慢して麻の服を継ぎ接ぎ直して来ていたのに対し、領主の都会的な格好は浮いていたっけ。
(……ん? お前がいた村『も』?)
トリスも、村出身なのだろうか。
そういえば、トリスのミゼラに仕える前の話は聞いたことがない。
お互い、見た目で受けてきた偏見や差別があったから、聞くのは避けていたし。
……聞いた方がいいのか、聞かずに置くべきか。
「着いたぞ」
トリスはある店の前に馬車を止めた。
私は窓からその店の外観をじっと見つめる。
灰色の街には似合わないオレンジと黄色の壁。赤茶色のドアには、木彫りの人形のようなものが、二~三体まとめて吊るされていた。
ショーウィンドウも、商品が乱雑に置かれていて、値札を見ても、どれがどの値札か分からない。
トリスは、馬車のドアを開けて、私にメモを渡す。
「これを店主に渡して、『支払いは請求書で』と言え」
「請求書払いにしたら、私が弁償できないだろ。そのために街に来てんだから」
「お前の給料から差っ引くに決まってんだろ。ついでの買い物もあるんだ。俺は馬車の見張りでついていけないから、ちゃんと買ってこいよ」
トリスはそう言って、私を店に押し込んだ。
カラカラとドアについた木の呼び鈴が鳴る。店の中は、嗅いだことの無いスパイスの香りと、沢山のアロマの匂いが混ざって、むせ返りそうだ。店内も、棚にギッチリと商品が並び、棚に置けないものは床へ、床にも置けないものは天井へと、少しの隙間もない。
トリスが発狂しそうなごちゃごちゃの店内に、私はぽつんと立っていた。
「あの、どなたか」
私が声をかけると、カウンターの奥、絞り染めの暖簾の向こうから、鍋のようなものが落ちる音やら、商品が崩れる音やらが聞こえる。
その後も、何かが崩れる音を立てて、ブルームが姿を現した。
「あんれまぁ、いらっしゃいな。来るのは初めてがろ?」
「はい。お使いを頼まれまして」
「あいあい、何をお買い上げで?」
ブルームはカウンターに肘をついて、店の棚を示す。
「万事屋『Viator』は、貿易の十二血族、ガッリーナ商人の直営店じゃ。貴族から庶民まで、誰でも何でもござれな店やざ。血筋も欠品も気にせず買いなっせ。欲しいもんは、わいが仕入れちゃるけんの」
ブルームは微笑んで、私に手を差し出す。私は彼に、トリスから預かったメモを渡した。
「こちらの品をいただきたいのですが」
「ふんふん。……ミゼラんとこの執事のじゃね。相変わらず几帳面な書き方しゆう。スパイスとハーブと、日用品。いつもの買い物でつまらん……ん? 79年物のワイン? しかもフラン共和国の?」
「あ、えぇと、それは……その」
私はブルームに、先日、ワインの価値も知らずに一本飲み干したことを白状した。流石に刺客を処分しながらのところは伏せたが。
それを聞くとブルームは、「ほんにか!」と大笑いする。
「うははは! 100万パウのワインを、一気飲み! くはは! そりゃあの執事も怒るろう!」
あの寡黙なブルームを大笑いさせたなんて、口が裂けても言えない。ミゼラに報告したら目が飛び出るだろう。
ブルームは笑いながら店の奥に引っ込むと、商品を準備する。
私は店内の商品を眺めて待つことにした。
何でもござれ、と言っていたのは嘘では無いらしい。
適当に置かれているが、アンティークな食器や最新のカメラ。パワーストーンの量り売りから、駄菓子の扱いもある。
ふと、目に留まるものがあった。
なんてことは無い、ただのブレスレットだ。
レザーの紐を、何重にも巻いて身につけるブレスレット。一度だけ、これを買ったことがあった。
狩った魔物の換金で、思った以上の金額になった。
税金を払っても余る金で、誕生日の品を買おうと、それを買った。
十五歳のキリのいい数字の誕生日。村の年頃の女の子がひとつは持っているアクセサリーが、少し羨ましく思えた頃の話。
銀のアクセサリーなんて、高価なものじゃなくていい。ちょっとした、装飾品なんて贅沢なものが欲しかった。
たった数百パウの安物。それが、私の初めての贅沢だった。
買って浮かれたのもつかの間。買った次の日、私の家からそれが無くなっていた。
落としたりなんてしていない。大事にしまっていたのだから。
でも村の少女が同じものを付けていて、『盗まれた』と直感的に理解した。
取り返そうとした。けれど、誰も『化け物』の味方なんてしない。誰も、私から奪うことを止めてくれない。
あれが、最初で最後の贅沢だった。
懐かしいな。なんて、感傷に浸っていると、ブルームが商品を持ってカウンターに戻ってきた。
私がレザーのブレスレットを見ていることに気がつくと、「それも買うちく?」と尋ねた。
給料の支払いは来週だ。残念ながら今は文無し。私は「見てただけですので」とカウンターに向かう。
「支払いは請求書で」
「いつも通りな。……ちっくと待っちょれ」
ブルームはカウンターから出ると、レザーのブレスレットを手に取った。それを、私の右腕にささっと巻き付ける。
私が驚いていると、ブルームは「おまけっち」と言う。
「わいたち、酉の十二血族は貿易商じゃ。だから、色んな国に行っちくるし、色んな文化や人に触れるんよ。だけん、お前さんの見た目も、なんとも思わん。でも、この国しか知らわん者は違うき。黒髪の人の国もあるっちこと、夢にも思わんじゃろ」
私のような見た目の人達の国なんてあるのか。そこに生まれていたら、今の生活なんて考えられないだろう。
けれど、ここに生まれてしまった。それはどうしようも無い事実で、現実だ。
ブルームは話を続ける。
「その見た目で、偏見もあるろう。酷い言葉を投げられたろう。でも、見た目がどうだろうと、好きなものを我慢する理由にはならんわいな」
ブルームは「請求書は後で送るっち伝えとおせ」と暖簾の奥に戻った。
私はカウンターに置かれた商品を持って、店を出る。
起きたことは変わらない。過ぎ去った過去をやり直すことも出来ない。
けれど、この店を出る時、ブルームがブレスレットをくれた時。
嗚咽を飲み込んで泣いた十五歳の私が、報われた気がした。




