4–1 ある午後の図書室
昼食を済ませた後の授業は眠くなる。
トリスが時間を作って教えてくれる勉強が、ありがたくも退屈で、こっそりあくびをする。
屋敷の図書室でだだっ広い机に何冊もの本を並べて、それを一冊一冊ページを捲っては、紙の上で万年筆を走らせる。
それを延々と繰り返す。
「綴りが合ってない」
「うるさいな、字が書けてるだけでもいいだろうが」
「綴りのミスで単語が変わるんだ。それくらい知ってるだろ」
「字を一から覚え直すのも大変なんだよ。綴りのミスは後にしてくれ」
「ダメだ。ちゃんと直せ」
「ケチ」
トリスと言い合いながらも、私は勉強を続けていく。
勉強自体は嫌いでは無い。新たな知識が増えるのはいい事だ。しかし、どうにも苦手分野が知識の吸収を邪魔してくる。
特に、数学と歴史は嫌いだ。
計算なんて、税金の割合と買い物くらいでしかしないし、歴史なんて、勉強して意味があるのかすら分からない。
科学、化学は農業に通ずるものもあり、得意なものも多いが、濃度の計算や、地震の到達時間の計算は大嫌いだった。
「濃度なんて適当に入れて、ちょっと舐めりゃいいだろうが」
「塩ならともかく、他の薬剤は舐められないだろ」
「地震は来たら逃げればよし」
「分かるけど、必要知識として覚えろ」
令嬢としての知識が足りない今、とにかく詰め込むしかない。けれど、殺す相手を覚えるのは得意でも、ただの文字列を覚えるのは苦手だ。
ふと、トリスが辺りを見回して、私に顔を近づける。内密の話だろうか。だが今の私はそれどころじゃない。
「昨晩の侵入者」
トリスがそう言った。私は万年筆をピタと止める。
トリスは私に声を落として尋ねた。「あれらは、どうした」と。
私はわざとらしく微笑んだ。
***
遡ること、昨夜十二時過ぎ。
青白く光る満月が綺麗な夜だった。
広い庭園から、死角を渡るようにして近づく男が四人。手には、この国のものでは無いサブマシンガンを持っていた。
(殺意くらい、隠したらどうなんだ)
こそこそと近づく彼らを、屋根の上から堂々と見下ろす私も、人のことを言えない。
彼らの最新鋭の武器とは違って、私が手にしているのは、狩猟用のクロスボウだ。
威力も精度も、速さだって彼らの武器には到底敵わないだろう。
けれど、彼らと違って、私には得意としていることがあった。
屋根に座り、クロスボウを構える。一番後ろの男を狙って、私は引き金を引いた。
────……パシュッ!!
放たれた矢は、男の喉を貫通した。声をあげることも出来ないまま、男はドサッと、仰向けに倒れる。
男たちは、仲間が倒れたことに狼狽し、辺りをキョロキョロと見回して、サブマシンガンを構えた。
「バカがよ」
私が得意としていること……──それは、『狩り』だ。
というのも、私の出身は小さな村ではあるのだが、周りの村民が大体一ヘクタールくらいの広い畑を家族で営んでいるのに対し、私は家庭菜園くらいのこじんまりとした畑しかなかった。
それなのに、税金は周りの人間の倍近くかかる。それも、『化け物を住まわせてやってる』というクソくだらない理由だ。
ちまちま育てた野菜は、自分の食い扶持くらいしか収穫できないし、そもそも化け物が育てた野菜を買ってくれる人がいない。
金の要らない自給自足生活のような、質素な生活をしていた。でも、それでは税金が払えない。
その結果、私が始めたのは狩りだった。
イーグリンド王国の端にある村は、森が近く、動物や魔物の出没がそこそこあった。
しかも、日光が入りにくい鬱蒼とした森は、私の黒髪と相性が良く、獲物にバレることなく狩りができたのだ。
魔物の種類によっては、高値で取引出来るから、税金対策によく狩りに行っていた。
狩りで鍛えた技術。
隠れて行動するのに適した見た目。
人を殺せる度胸。
それが、今の私の仕事に生きている。
私は引き金を引く。
右を見ていた男の頭を射抜いた。
ワタワタと慌てる男たちは、私がどこにいるかも分からない。わざと、目立つ場所で狙っているのに。
「満月の日を選ぶし、敵の居場所も探せない。武器だけ一丁前に構えて……こいつら、もしかしなくとも素人だな」
一人、また射抜いた。
最後の一人が、探せない敵に恐れて逃げ出した。
雇い主を聞き出したいところだが、こんな素人に依頼する時点でたかが知れている。奴らもどうせ、依頼主がわからない状態で仕事を受けただろう。
金に目が眩んだか。
逃がしてもいい。どうせ始末される。
裏切られても嫌だし、顔が割れてる奴は使い物にならない。
だが、あえて逃がしたなんて言ったら、うるさい男が一人いる。
別に、赤い髪の男とも、名前に『ト』と『リ』と『ス』がつくとも言わないが。
私は哀れなうさぎのような背中を晒す男に、狙いを定めた。
引いた引金の重さは、いつもと変わらない。
***
その後は丁重に片づけた。
血の一滴たりとも残していない。汚く散らかしても、トリスがうるさいと思ったからだ。
侵入者の件を知っていたのは、彼が何処かから見ていたのだろう。
しかし、トリスが聞きたいのは、きっと「どうやって処分したか」だ。
私は「気にすんなよ」とはぐらかす。それが、トリスの眉間にシワを刻んだ。
「ちゃんと教えろ。雇い主を調べる」
「一人残らず消しちゃった。ど素人が来たんだ。雇い主なんて分かんねぇよ。死ぬこと前提で寄越してんだから」
「それでも聞いておけ。はぁ……、せめて遺留品を調べさせろ」
「悪いな。ゴミは燃やすに限るんで」
トリスはそれを聞くと、急いで図書室を出ていった。
トリスには悪いが、焼却炉に行っても何も残っていないだろう。綺麗さっぱり、文字通りの消し炭にした。
私は図書室のドアに舌を出す。
トリスは私の想定以上に早く戻ってきた。
焼却炉はかなり端の方にある。それなのに、こんなに早く戻ってこれるだろうか。
私は思い出したことがあった。
さぁっと顔から血の気が引くのがわかる。
いや、バレるはずがない。だって、アレも燃やした。証拠隠滅はきちんとしたはずだ。
あぁいや、どんなに隠しても、几帳面な彼には分かる。
あいつは年代順に並べているのだから。
案の定、髪と同じくらい顔を真っ赤にして怒るトリスが叫んだ。
「ソラァ! 79年の赤ワインどこにやったぁ!!」
燃やす時に呑んだのがバレた。しかも一瓶飲みきった。
私が言葉を詰まらせていると、トリスが分厚い辞書を持ち上げる。
「いや、ちょっと待て! それで殴られたら死ぬ!」
「俺は構わん!」
「ミゼラはどうすんだよ! 契約してんだからさぁ!」
「『勉強中に発作を起こして死亡』と伝える! 詫びながら死ねぇぇぇぇ!!」
「ごめんってぇぇぇぇぇぇ!!」
辞書の角は、中々に痛かった。




