1-2 ミゼラの本邸にご招待
ミゼラが取引を持ちかけてきた日から、三日が過ぎた。
私は檻の中で、「死刑まであと四日」なんてぼやく。
自分を虐げた奴への復習は果たしたのだから、後悔なんて微塵もないし、今さら死にたくないなんて思わない。
伸びてボロボロになった爪を噛んで暇を潰していると、看守が私の檻の鍵を開ける。
(あぁ。死刑囚には、最期の手紙が許されてるんだっけ)
送る相手も居ないし、あの貴族のバカ息子にでも送ってやろうかなんて、意地の悪いことを考えていると、看守が私の服を無理やり掴んだ。
「立て!!」
え、まさか今日が処刑日ですか?
わぁい、ラッキー。
……なんて、思っていたのに。
看守に、古いが外に出るには申し分ない程度の服を着せられ、何故か牢獄の外に見送られる。
「元気でな」
「もう悪さするんじゃないぞ」
「戻ってきたらダメだからな」
悪さしていた野良猫のような見送りを受けて、私は久しぶりにシャバの空気を吸った。
何が起きているのか分からないまま、私は歩道にぽつんと取り残される。
(え、処刑場まで自力で行くスタイル? 逃げるぞ? 普通の死刑囚逃げるぞ??)
──そもそも、死んだら牢獄に戻れねぇし。
看守の雑な囚人管理に、私は呆気に取られた。
処刑場の場所は知っているが、本当に一人で歩かせる気なのか?
状況の整理をしていると、目の前に馬車が止まった。
貴族にだけ許された二頭立ての高貴な馬車だ。紫がかった外装に、金の装飾が煌びやかでよく映える。
ドアが開くと、ミゼラが私の腕を引っ張って馬車に乗せた。
「出られて良かったじゃない。心配してたのよ」
思ってもいないことを言う彼に、私は歯を食いしばるほどの怒りを覚えた。
馬車を降りようとするタイミングで、馬車が動き出した。
ドアを無理やり開けようとすると、ミゼラはやんわりと止めた。
「止めておきなさい。外から鍵をかけてあるわ。あなたのために特別に、ね。こじ開けても言いけれど、手を痛めて終わるでしょうから、諦めた方が利口よ」
ミゼラは退屈そうに外を眺めた。
私はドアを殴ってみるが、固くて壊せそうにない。
(こいつを襲って、悲鳴でも聞かせれば──)
「御者が気づいて、ドアを開けるかもね」
私の考えを見透かして、ミゼラは悪戯っぽく笑った。
「やってもいいけど、オススメしないわ。あなた、本当に死刑になるわよ」
やってもいいのか。
私が思っている以上に、ミゼラは自分の生に興味が無いようだ。
外を眺めるのも飽きたのか、ミゼラは本を読み始めた。
殺人犯を前に、どうしてそんな警戒心のない行動が取れるのやら。
もう少し、目を離さない努力をすべきだろう。
「取引が成立した覚えがないんだが。貴族の頭は花畑か何かか?」
「うふふ。そうよ。交渉は決裂した」
ミゼラは本から目を離さない。
本当に警戒心の無い野郎だ。
「アタシが牢獄から出さなかったら、あなたは死刑。お金で終身刑に戻してあげてもいいけれど、あなたが殺した貴族のバカ息子は、もっと金を積む。
札束で殴りあったって埒が明かない。あなたが生きられる道はこれだけよ?」
「つまり、あれは表向きに取引しただけで、実際は強制だったわけ?」
「そうよ、頭は回るほうね」
やっぱり、人間は自分勝手だ。
私が「クソッタレ」と呟くと、ミゼラは笑って「皆そんなものよ」と、ページ捲った。
***
街を抜けて、森の中を進み、馬車はようやく停まった。
ドアが開き、ミゼラは私が降りやすいように手を差し伸べる。
私が無言で抵抗の意を示すと、ミゼラは呆れたため息をついた。
「仕方ないわねぇ。…………よいしょっ」
「うわぁっ!?」
急に体が浮いて、ミゼラの尻が見えた。
野郎の尻なんか見たって面白くないのに。
(あ、もしかしなくても、担がれてる!?)
私が必死で抵抗しても、ミゼラは私の腰をがっちりと固定して落とさない。
奴の背中を思いっきり叩いても、痛がる素振りもない。
「下ろせゴリラ!」
「大人しくしていなさい」
罵倒も効かない。
せめて何か、悪口の種にでもならないかと、身を捩って進行方向を見る。
殺人犯を偽造婚約者にしようとする奴だ。きっと家もこいつと同じように珍妙に違いない。
期待してその家を見てやった。
そして唖然とした。
多種多様の花に彩られた花壇に、イルカと貝殻をモチーフにした噴水が豪華な前庭だ。
それだけで多分、領主の屋敷位の広さなのに、オレンジと黄色を組み合わせたレンガの屋敷は、視界に収まりきらないほど大きい。
「お前、とんでもない金持ちなんだな……」
「お褒めに預かり光栄だわ」
これが屋敷の正面なんて、ありえない。
中庭やら庭園やら、他の付属家屋はどうなっているんだろう。
玄関が開き、大理石の広場が私たちを迎え入れる。
かなり高いだろうに、成金感は感じない。
前庭を見た後だからだろうか? 謙虚な仕様に見える。
「はぁ、疲れた」
「ぐぇっ!!」
いきなり床に落とされて、私は大理石に前身をぶつける。まさにベチャッ! という効果音が似合う落ち方をした。
ジンジンと痛んで起き上がれない私を尻目に、ミゼラは誰かを呼ぶ。
「トリス! トリスティス、来てちょうだい!」
現れたのは、赤い髪の黒縁メガネの男。着るのにも脱ぐのにも時間がかかりそうな燕尾服を、きちんと着た執事だ。
トリスと呼ばれた男は、私をちらっと見るなり、嫌そうな表情をする。
彼は軽く咳払いをすると、ミゼラに進言した。
「恐れながら、ミゼラ様。このボロ雑巾にもならないような小娘は、新たな召使い候補でしょうか? それであれば却下です」
「は? んだと節穴野郎」
「ちょっと、威嚇しないの。トリス、この子をすぐお風呂に入れて、念入りに洗って、綺麗にしてちょうだい。前に話してた件の子よ」
「どうか、お考え直しを。この娘には務まりません。汚いし」
「おい、本音が出てんぞ」
トリスはミゼラに反論するが、ミゼラの意志の強さには勝てず、小さくため息をこぼした。
ミゼラは、メイドと一緒に別室へと向かった。
「あとお願いね」
トリスはミゼラの背中に一礼すると、私の腕を掴んで無理やり引っ張る。
「痛……っ!」
「さっさと来い! 汚い姿で玄関に居座るな!」
私はトリスに半ば引きずられながら、浴室へと連行された。