3–7 原因は塩です 2
フィリップはその場にしゃがんで、土を指でつまむと、パラパラと地面に落とす。
「町民へのやることは炊き出しと、公民館等の避難場所の確保とか、色々あるけどさぁ。この土って、元に戻るの?」
フィリップは、塩まみれの畑に指で絵を描く。貴族らしからぬ行動に、ミゼラは顔をしかめた。私は特に気にせず、対処法を思い出す。
「えーと、今は塩の吸水性によって、植物に水分が行き渡らない状態ですから。石灰を混ぜて、耕して、水を撒いて、排塩して……をひたすら繰り返します」
「やっぱり、時間はかかるのかしら?」
「被害規模による、としか言えません。範囲が狭ければ、そんなに時間はかからないでしょうけれど」
私はそう言って、また畑に目をやった。
どこまでも白い畑は、何度見てもゲンナリする。
海が近いから、きっと土壌が回復しても、嵐が来れば『スタートに戻る』。
そもそも、海風が強いこの場所を何とかしないと、土壌回復が遅くなる。
それに、建物の劣化も気になるところだ。脆くなっている部分が、崩れてくるかもしれない。
何から手をつけるべきか。
「一番最初に手をつけるべきは、海風の強さでしょう」
私は、風が吹く度にめくれ上がるスカートを押さえて、海の方を見やった。
遮るものが何も無い海は、青く澄んでいて美しいが、叩きつけるような風が、濃い潮の香りを運んでくる。
この風を遮らない限り、復興なんて進まない。
「海風を凌げるものが必要です。塩害に強い植物で、風を遮った方がいいでしょう。木が望ましいです」
私の進言に、フィリップは口をキュッと結んだ。
国の財政を任されている彼の家系なら、ざっと見渡すだけで、必要経費の見積もりくらいは出来る。
「予算オーバーも甚だしいね。樹木一本で最低2万パウだもん。一本の価格が安くても、町を囲むとなれば、国の予算に大きく影響が出るよ」
それもそうだ。塩害防止とはいえ、海岸部を全て、木で覆うわけにもいかない。
それに、一部は既に観光スポットや、別荘地として開拓してしまっている。
口で言うのは簡単だ。けれど、それを現実化するのが難しい。
「仮に樹木を使うとして、どんな種類を使うのかしら?」
ミゼラの質問に、私も少し悩んだ。
私が住んでいた村は、クロマツの雑木林を挟んで海があった。
クロマツに耐潮性があるのは知っているが、暗い色味と密集した時の鬱蒼とした雰囲気は、これから発展させる町には不向きだろう。
そうなれば、花が綺麗なシャリンバイか、オオシマザクラだろうか。この二つは、街路樹としての人気も高い。
それを伝えると、ミゼラは「入手が難しいものだわ」と困惑した様子を見せる。
フィリップも、「ブルームでも確保が難しいんじゃない?」と、頭を悩ませている。
「あとは、オリーブくらいしか……」
オリーブなら、畑の近くに植えていても違和感がないし、なんなら実を収穫して売ることも出来る。
町の財政を考えると、売り物になるようなもので固めてやりたい。復興後の生活が楽になるように、私なりに考えてみるも、貴族のフリした庶民には、荷が重い。
「畑はオリーブを植えて、一部オリーブ畑にしよったらえいわ。ほんで、街路樹にシャリンバイを植えて、町中の塩対策ばして、建物をフッ素塗料でコーティングじゃ。新規で建てる家は、ガルバニウムを使ったもんにせんと、意味がねぃやろうな」
ブルームが、地面につきそうなくらい長い羊皮紙を広げてやって来た。
ミゼラが「遅いじゃない」と文句を言うと、ブルームはこめかみをカシカシとかく。
「住民に炊き出しの用意ばせんとって、食材漁っとったら貿易品しかなかったで、商品解体しちょったがね。減らした商品計算しちったら、こん時間だわね」
「君らしいねぇ。……待って、商品解体した!? 何解いたの!? 見せて!」
「野菜と小麦粉、あとは肉をちっとな」
「肉ってまさか、霜降り牛!? ちょっと、これ必需品だってば! 解いちゃダメって言ったじゃん!」
「民のためだら要りゆうがろ?」
「あぁもう、損失の計算が……。国の貿易を任せてるんだから、勝手にやらないでって言ってるじゃんか」
「精のつくもんば食わせんとねぇ」
「また商品の確保に行かないと。君の仕事なんだよ? 商品の確保って」
「いってらっしゃい」
「強めに殴るよ」
フィリップは、ブルームから奪い取った貿易品リストを睨みながら、数字を読み上げて、口で計算をする。
一方で、ブルームは気にせず、ミゼラに話を振った。
「エイヴと話したけん、さっきの案で良いだら買い揃えるけっぢょも、どうだね?」
「良いわよ。フィリップと予算の話を進めてちょうだい」
ミゼラの許可もあり、ブルームは畑をざっと見渡して、独り言を呟きながらメモを取る。土を嗅いで顔をしかめると、また何かを呟きながら、町の方へと歩いていった。
計算が終わったフィリップは、急にいなくなったブルームを探しに、ぷりぷりと怒りながら町へと向かう。
ミゼラはそんな二人を見送って、ため息をついた。
「…………お見事よ」
不意にミゼラがそう言った。それは、私に向けられた褒め言葉のだろうか。
私がミゼラの方を見やると、彼は困り笑いを浮かべていた。
「アタシじゃ、何も分からなかったわ」
畑のことが、貴族のお坊ちゃんには分かるまい。
そう思っていたが、彼はそれを恥じているようだった。
「アタシは、知らないって言えない立場なのに」
そう呟くミゼラは、フィリップやブルームと同じくらい、重要な仕事に就いているのだろう。
けれど、それを恥だと感じる必要は無いわけで。
「知らないことは、その時知ればいいことでしょう。知識は幅も取らなければ、邪魔にもなりません。知らないことは、それだけ勉強できることがあるということですから」
私だって、貴族のフリをしなければ、彼らの生活を知ることなんて無かった。
隣の家の庭は、柵を越えなければ分からない。貴族と庶民だって、同じだろう。
ミゼラは「そうね」と微笑んで、トリスに目配せをする。トリスは瞬時に察すると、仕事に向かった。
ミゼラと私、二人きりになると、彼は私の手を滑らかな動作で繋いだ。
私が驚いてミゼラを見上げると、彼は美しい顔で笑っている。
「ソラ」
優しい声色で、私の名前を呼んだ。
私、息も出来ないまま、彼をじっと見つめる。
「さっき、フィリップを殴った時の話なんだけれど」
笑顔を保ったまま、冷たくなる彼の声に、私は「ひぇ」と、情けない声を出した。




