3-4 ラットゥス子爵とガッリーナ商人 3
「ちょっと飢饉が起きてね」
フィリップは微笑んで言った。
ミゼラは眉間に皺を寄せて、事態を重く受け止めているのに。
フィリップは「困るよねぇ」と、資料を捲る。
「突然植物が育たなくなって、畑に甚大な被害が出たんだって。その上、建物までみるみるうちに劣化して、住む場所にも食べるものにも困ってるみたい。
財務管理してる身だから、現地に行って被害を確認して、必要な予算を組まないといけないんだけど、ミゼラも来てよ」
「いいけど、アタシは見たまんま口にするわよ」
「いいよ。どうせ電卓を叩くのは僕だし。被害が大きいと、首都にまで被害がでるんだから、気をつけてもらいたいね」
フィリップの物言いは、まるで個人のミスで起きたことのようだ。しかし、飢饉なんて、一人の意思で起こせることではない。
まして、建物にまで被害が出るようなトラブルだ。
「場所は?」
「クーシャ町だよ」
「最近、都市開発に力を入れてる町ね」
「元々は農村なんだけどね。畑だけじゃ生活にならないし、資金繰りにも難儀してたから、特に今は酷いだろうね」
「作物がダメになってるなら、エイヴに話をつけたら?」
「産業省ねぇ……。そうしたいんだけど、エイヴは今、南の国で果樹園見学に行ってるから」
「あぁそうだわ。『とても立派なバナナがあるんだ!』って、楽しみにしてたんだっけ」
ミゼラはため息をついて、資料に目を通す。
私も、ミゼラの横で、資料を覗いた。
資料は写真も付いていて、綺麗にまとめられていた。
被害規模や、死傷者の数、飢饉による盗難や物価高騰の二次被害や損失。
支援に必要な物資の予想や、期間まできちんと書いてあり、フィリップの有能さが見て取れる。
(これで、もう少し人に対する優しさがあればな……)
フィリップはため息をついて、「もう行く?」とミゼラに尋ねた。
ミゼラはまだ読み終えていない資料を片手に、紅茶を飲み干した。
「すぐ準備するわ」
ミゼラは出かける準備のため、応接間を去った。一人、十二血族の前に取り残された私は、会話もなく、静かにミゼラを待つ。
すると、フィリップが口を開いた。
「ねぇ、君はどうやってミゼラを誑かしたの?」
──私が?
キョトンとする私に、フィリップは畳み掛ける。
「おや、とぼけたフリが上手だね。でも、僕には通用しないよ。
ミゼラはあれでも警戒心が強いんだ。そんなミゼラが、君みたいな見た目が奇怪な女を婚約者にするなんて。ありえないでしょ?
で、どうやって十二血族に取り入ったの? 脅しのネタでのあるのかな? ……まさか、薬でも盛ったんじゃないだろうね」
ミゼラに雇われただけとは言えない。貴族でないどころか、下手をすれば死刑囚であることも知られてしまうだろう。
私はひたすら、詰問するフィリップに「いいえ」と答え続けた。
それでも、フィリップは私を疑い続ける。
「やめなっせ。こん子が怯えるじゃろうが。そげん気にすることでもねぃがろう」
「ブルーム、君はもう少し疑った方が良いんじゃない? こんな見た目の、化け物みたいな女が、ミゼラの婚約者だよ?」
「ミゼラば、オカシイもんば好きんなる性格じゃっち。ホントに気に入っちゅうかもしれんじゃろ」
「ミゼラなら、やりかねないだろうけど。どっちかっていうと、ミゼラに魔術か何かをかけたっていう方が自然だよ」
「人が黙っていれば、好き勝手言いやがりますね」
私は静かに口を開いた。
ミゼラのために、大人しくしていようと思っていたが、フィリップの物言いに、やはり我慢ができなかった。
散々練習した笑顔も形無しだ。私は、赤い瞳を、二人に真っ直ぐに向ける。
「私が人を利用するなら、わざわざ特別な立ち位置を求めたり、時間をかけてたらしこんだりなんて、面倒なことは致しません。
その人に一番近しい人を人質にとって、暴力で支配するでしょう。精神的に追い詰める方が、本人に死を突きつけるより有効ですから」
実際、私が殺した貴族の息子は、両親の無惨な姿に咽び泣き、そのショックで生活に支障をきたしていると聞いた。
さらに、私がいなくなった村は、生活が改善されているらしい。
私がいなくなったからか、あのバカ息子が両親と同じ轍を踏まないように気をつけているからかは知らないが。
(両方だろうけどな)
けれど、他人を使った脅しは、相手によるが、それくらい効果がある。
だから、わざわざ婚約者になる必要は無い。
「ミゼラ様に選んでいただいたことは、私の人生において、後にも先にもない幸運ですし、それに対して裏切るような真似はいたしません」
──裏切ったら、死刑待ったナシだからな。
死んでもいいが、ミゼラの為に働いてから死にたい。
せめてそれだけ、それだけは達成してから。
私の覚悟は、それだけだ。
生きるだけで発生する理不尽も、苦しみも、私は知っている。
それを拭ってやってから、私は舞台を降りたい。
貴族は嫌いだ。自分勝手で、偉そうで、金さえあれば何だってできると思っている。
そのせいで、税に苦しみ、物として扱われ、代わりがきく消耗品と思われる民がいる。
でも、それが世界の全てじゃないのなら、私に出来ることは、私が知る汚い貴族の鼻っ柱を折ることだ。
「好きにおっしゃって構いません。けれど、私は周りの方々のように黙って従うだけの女じゃありませんから」
反撃くらいは覚悟してください。と、微笑んでやった。
私の言葉に、フィリップは目を丸くして、ポカンとしていた。ブルームは「痛い目におうとる」と、フィリップを鼻で笑った。
フィリップは頬を膨らませて、私に何かを言いかける。
しかし、タイミング良く登場したミゼラに、邪魔されてしまった。
「お待たせ。行きましょ。あまり遅いと、夜になるわ」
ミゼラは私の腕を引いて、応接間を出る。ブルームも、立ち上がってミゼラの後に続いた。
「行かんのかい?」
ソファーに座ったままのフィリップに、彼は尋ねた。
フィリップは、ため息をついて、ゆっくりソファーから立ち上がる。




