3-3 ラットゥス子爵とガッリーナ商人 2
「フィリップは十二血族の『子』の貴族──『ラットゥス子爵』で、ブルームは『酉』の商人──『ガッリーナ商人』よ」
「…………は」
ミゼラは、驚く私をソファーに座らせる。フィリップはクスクスと笑うと「ひどいねぇ」とミゼラに言った。
「十二血族の名称も一緒に言っちゃったら、その子、もう逃げられないじゃん」
「逃がす気ないから言ったのよ。教えなかったら、ソラが恥かいちゃうじゃない」
「おや。彼女を呼んだのは、お勉強のためかな」
「いい家庭教師が、ノコノコ来たんだもの。ちょうどいいでしょう?」
「本当にひどいねぇ」
フィリップはミゼラに苦笑いして、私の方を向いた。今しがた微笑んでいた柔らかい眼差しが、急に冷たく、鋭く変わる。
その急変ぶりに、喉の奥が乾いた音を立てる。
「十二血族には、彼らだけが名乗れる『真名』──カッコよく言ってみてるけど、要は特別な名前だよ。それが、さっき紹介してもらった名前さ。
『真名』は、常に使えるものじゃない。必要な時に、自分の名前を権限に出来る。そうだね、例えば……──」
フィリップはジャケットの内ポケットから、小さな折りたたみナイフを出して、私の前に置いた。
「我、『ラットゥス』の名において、汝に自害を命ず」
──こいつ、今なんて言った?
自害? 今、『死ね』って言われたのか?
私は頭の中が真っ白になった。突然のことにパニックになっている私に、フィリップはクスクスと笑っている。
「どうしたの? 十二血族の命令だよ? ほら、早く死んでみせて?」
冷たくて、人を蔑む眼差し。
優しさが欠けらも無いそれを、私はよく知っている。
だからこそ、私はナイフを手に取った。フィリップは感心したように目を開き、ブルームは、興味なさげに紅茶を飲み干す。
ミゼラは、「本気?」と、なまじ焦った様子で私に問う。
どうせ、見た目を繕ったところで、私は農民で、さらに下賎な殺人鬼だ。
偉い奴に言われたら、簡単に吹き飛ぶ価値の無い生き物。
(……だからって、なんだって聞くと思うなよ)
私は彼の目の前で、ナイフをへし折った。
その場の誰もが、驚いた表情をしている。
私は、折ったナイフをテーブルに置いた。
「お断りします。たとえ、相手がどれだけ偉ぇ奴だとしても、他人の命を易々と奪っていい理由にはなりません」
女性がナイフなんて固いものを折れると思っていなかったフィリップは、折れたナイフを「ひぇぇ~」と苦笑いで拾う。
ミゼラは呆れたため息をついていた。
そういう要員で雇ったはずなのに、どうして焦る必要があるのか。
「思ってた令嬢と違う……。ミゼラ、どうやって出会ったの?」
「ちょっとツテを辿ってね。……ソラ、怪我してないでしょうね」
「持つ場所と折る場所をしっかり見て、力を入れれば簡単に折れます」
「ヤバいね。ロイと同じタイプだ」
フィリップは感心して、ナイフをしまう。さっきの話の続きに戻した。
「まぁ、でも。簡単に言えば、さっきの命令さえ、王様と、同じ十二血族以外の誰も拒否権がないんだよ。逆らえない。命じられたら、その通りにしないといけないんだ」
「それくらい、あなた方は特別だと?」
「……? ミゼラ、この子、本当に貴族? というか、この国の子?」
フィリップは不思議そうにミゼラに尋ねた。ミゼラは髪をかきあげ、「そうよ」と面倒くさそうに返事をする。
どうやら、彼らを知っているのは、この国の常識だったらしい。
そういえば、いつだったか。村の連中も何だか小難しい名前の貴族が来たって、怯えていた。
どうせ誰も話をしてくれないし、そもそも、生活を助けてくれもしなかったから、そんな名前が難しい相手を気にする余裕も無かった。
(もしかして、それが今…………仇になってる?)
私はチラッと、ミゼラに視線を送った。ミゼラは「初歩は教えたはずよね……?」と、信じられない様子だ。
国の根本どころか、知っておかないと困る人物すら知らなくて申し訳ない。
無知がこんなにも恥ずかしいとは……知らなかった。
フィリップが私を怪しむ横で、ブルームがようやく声を発する。
「血筋が東の国じゃって、さっき言っちたがろ。知らんでもしゃーなかて」
低い声で発せられる、どこかも分からない言葉。聞き返そうにも、分からない言葉が返ってきたら、結局繰り返すことになる。
ミゼラが、私に「ビックリしたでしょう」とフォローを入れた。
「ブルームは貿易商だから、世界を行き来してるのよ。だから、色んな言葉が混ざってて、慣れないうちは聞き取りにくいのよね」
「あぁ、それで」
「大体に言われゆう。「お前さん何言っちゅうの」ってや。先祖代々、貿易商やりよるから、皆こった喋り方しゆう。当たり前じゃと思っちた」
「あぁ、…………えぇ~?」
「無理しぃさんな。分からんじゃろうとは察しちゅうがね」
ブルームがため息をつくと、フィリップは「初見殺しだから」とブルームの頬をつつく。
ブルームは眉間にシワを寄せて、手を払い除けた。
ミゼラ一人でも濃いな……と思っていたのに。さらに濃い奴が二人も集まってしまった。
これで十二血族とやらは、話ができているのだろうか。
古株は頭が固いと言っていたが、この二人はミゼラと歳が近そうだ。若い世代なのに、これでは話がまとまらないだろう。
(これを説得したというミゼラは凄いな)
初めて彼を尊敬できた。私だったら初対面から五分で投げ出す。
ミゼラは紅茶のおかわりを注いで、二人に来訪の用事を尋ねた。
私がソファーに着いてから、二十分も過ぎている。自由すぎやしないか。
フィリップは。ミゼラに本題を切り出されると、軽く微笑んでソファーの横に置いた鞄から、資料を出した。
「東の沿岸地域で、トラブルが起きていてね」
「暴動だったらロイに頼んでちょうだい」
「暴動じゃなかったら良いんだね。ありがたいなぁ」
フィリップは資料をミゼラに渡して、サラッと話す。
「ちょっとね。飢饉が起きてるんだ」




