3-1 仕事の思惑
散らかった頭の中で、昨夜の事が巡り続ける。私には受け入れがたくて、ありえない事だった。
刺客が入り込むパーティーに、当たり前の表情で凶器を見つめるミゼラ。騒めく会場で、ミゼラとトリスの二人だけが平然としていて……。
何度も何度も思い出しては、異常な光景に驚ききれない。
どうして平気なんだ?
どうして虚無でいられるんだ?
──殺されるところだったのに。
恐れず、怯まず、死を迎え入れる彼の瞳が、頭から離れない。
眼前の死を、明確な悪意を、隠す気のない殺意を。
どうして受け止めるの。
──生きることに、必死になれよ。
***
相変わらずの寝汗。
シーツをぐっしょりと濡らして、私は目を覚ます。
トリスが部屋のカーテンを開けて、いつも通り、着替えの用意をしている。
「起きたか。さっさと着替えろ。朝食の時間だ」
代わり映えのしない一日。大騒ぎの昨日を切り取って、無かったことにしたような、平凡な朝。
私がベッドから降りると、トリスはシーツを回収する。寝汗で濡れたシーツに負けないくらい、眉間にシワを寄せていた。
私はトリスに尋ねる。
「なぁ、昨日のこと……」
どう切り出していいかも、どう転がしていいかも分からない。けれど、聞かないといけない気だけがしていた。
トリスは表情を変えずに、「気にするな」と言った。
「刺客を取り逃がすことは少なくない。ミゼラ様が無傷でパーティーを終えられたんだ。それだけで十分。初仕事にしては、上々の結果だろ。ミスをいちいち気にするな」
「誰がミスったなんて言ったよ。聞きてぇのは、警戒していた刺客が本当にいて、ミゼラを襲った。それを、お前らが平然と対応していたことについてだ」
私の問いに、トリスはため息をついた。
シーツをカゴに詰めて、トリスは黙々と仕事を続ける。
「あれが日常だからな」
振り向きもせず、吐いて捨てたその一言は、どうしても、受け入れられない。
貴族というのは、華やかな世界で、庶民の苦しみを知らずに、のうのうと生きているものだ。日銭を稼ぐことすら難しいような世界の上で、彼らは贅を尽くした生活をしている。……そう思っていた。
(そう思わせてくれよ)
私は拳を強く握る。窓から入ってくる日差しは、背中を熱いくらいに照らした。
***
「日常茶飯事よ。あのくらいはね」
朝食の席で、それとなく聞いてみると、ミゼラは特に気にする様子もなく答えた。
「前にも言ったけど、『血筋の呪縛』が関係しているのよ」
「絶やしてはいけない血族でしたっけ? 難儀なことで」
「国の建立の話はしていないわね。この国──イーグリンドは、マレディクトス家を含めて、十二の血族によって創られたのよ」
「十二も血族が……」
「そうよ。さらに建立だけでなく、国の発展に寄与してきた。そして今も、十二血族が国を牛耳っている」
それほど大事な血筋なら、殺されそうになる理由もないだろう。なのに、どうして襲われるのか。
「とても重要な血筋だから、他の貴族としても繋がりが欲しい。でも、重要故に、権力を握りたくても握れない貴族がいる」
「つまり、娘を使って繋がりを作ろうとしたり、暗殺を企てて空いた座に収まろうとしたり?」
「そういうこと」
ミゼラは空になったスープの皿を眺め、ため息をつく。私はミゼラに追いつこうと、スープを急いで飲んだ。
「血を絶やしてやりたいというのは、どういう意図がおありで?」
「ほぼそのままの意図だけど、そうね。簡単に言うなら、古くから続く伝統というか、なんというか、それを終わりにしてもいいと思うの」
ミゼラは頬杖をついて、私を見つめる。私はようやく飲みきったスープの皿を、トリスに下げてもらう。
「現状、世情も変わってきてる。国の経済も、だんだん低迷しているの。重要な血筋だからって理由で、政治に携わっているけれど、もうそのやり方が通用しない。それに、アタシたちはともかく、先代の十二血族は国民を蔑ろにしすぎた。そのツケが、今の国民の負担になっているの。
それを改善するのも、発展させるのもアタシたち。同じ貴族が政権を握っている状況っていうのも、良くないのよね。どうしても利権を得ようとする輩が、身内にも他人にも多いもの」
私は頭が痛くなった。ミゼラは愚痴を話すように、難しいことを話している。私は何を言っているのか分からなくて、トリスに助けを求める。
トリスは呆れたような表情で、『政治を他者に委ねて普通の貴族になりたい』と、話を要約してくれた。
「それなら、そうなるような法案を作れば良かったのでは?」
庶民の意見だが、これが一番手っ取り早い。もちろん、色々と面倒な過程が挟まるのだろうが、特別な貴族なら、簡単に通せるのではないだろうか。
「政権を握っている十二貴族が、まだ全員代替わりしてないのよ。新しい世代と、前の世代が入り交じってる。新しい世代はそれなりに話を聞いてくれるけれど、前の世代が話すら聞いてくれないわ」
年寄りの頑固さに負けているのか。若い世代より、人生を荒波を生きたプライドなのか、『苦労』に対して美化フィルターがかかっているのか。
どちらにせよ、厄介なのは事実だ。
「それをぶち壊すのが、私というのも、変な話ですよね」
私はしれっと、ミゼラに嫌味を言った。しかし、ミゼラはあえてそのまま受け取った。
「貴族を知らない。誰にも媚びない。いざという時にどんな手段も取れて、誰にも怖気付かずに意見が言える。貴族の令嬢じゃありえない素質が、アタシには必要だったの」
「それを兼ね備えているのが、私だと?」
「そうよ。探すのに苦労したんだから」
ミゼラはさくさくと食事を終わらせると、「仕事があるから」と断りを入れて席を立った。
私はなれない手つきで食事を進める。ミゼラが言っていたことを反芻して、鼻で笑った。
国を変えるために、死刑囚を雇った?
自分の護衛をさせて、ついでに連れ回して、頭の固い連中を引っぱたくために?
(面白ぇじゃん)
私はミゼラの思惑に、ゾクゾクするほど興味が湧いた。ようやく食べ終わった皿にフォークを置いて、食卓を立つ。
貴族のやり方には文句が沢山ある。いつか、ミゼラが思い描く展開が起きたら、心置き無く貴族共に罵詈雑言を浴びせてやろう。
私はようやく仕事にやる気を出した。トリスは、私がドレスにつけたソースの染みを、苦虫を噛み潰したような顔で睨みつけていた。




