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2-7 刺客にもご挨拶

「はい、あ~ん」


「あ~ん」



 私の手から料理を食べるミゼラは、どうにも滑稽だ。普段、凛とした佇まいで、完璧な所作で、自分で食事をしているから余計にそう感じるのだろう。

 同じ皿から食べれば、毒味の手間も省けるし、危険性は減る。だが、それと同時に私の精神も削られる。



「必要ですか? この、『あ~ん』というのは」



 仕事中の手前、断ることも出来ず、恥を押し殺してやっているが、出来ることなら今すぐやめたい。こんなこと、業務には含まれていなかった。

 ミゼラは、「必要よ」と言い切る。



「あなたは見た目が人より浮いてるし、アタシは特別な血族だから、取り入りたい人は大勢いる。殺したい人も含めてね。こうやって、『他人が入る隙はありませんよ』って、行動で証明してやるのが、一番手っ取り早いの」



 ミゼラの言うことも一理ある。だからといって、私が恥ずかしい思いをしてまでする事か。



(あぁもう。顔全体が熱い)



 私が空になった食器をトリスに預ける。ミゼラは手の甲で、私の頬をするりと撫でた。



「うひゃ!?」


「あら、ごめんなさい。顔が赤いから、熱でもあるのかと思って。……うふ、その様子じゃ、心配ないようね。案外、可愛い反応するじゃない」


「からかうのはやめてください。痛い目に遭わせますよ」


「怖くないわよ。そんな赤い顔で睨まれたって、子猫がじゃれついてるみたいだわ」


「今この場で蹴ってやりましょうか」



 ミゼラはくすくすと笑って、私をからかい続ける。出来ることなら、えげつない方法でやり返したいが、仕事を放棄する訳にはいかない。そもそも、彼が雇用主だ。



(厄介な奴に仕えちまったなぁ)



 残りの人物に挨拶をしに向かう。

 白髪(はくはつ)の高身長の男で、ヒールを履いたミゼラと同じくらいの身長だ。青い瞳が優しそうに細められ、ミゼラに握手を求める。

 その男の傍には、カジュアルなドレスの女の秘書が控えていて、服装に似合わない黒いファイルを大事そうに抱えていた。



「スターリング子爵」



 ミゼラが男の名前を呼んだ。男は嬉しそうに、ミゼラの手を固く握る。



「マレディクトス侯爵。お久しぶりですなぁ。最後にお会いしたのが、昨日のことのようです」


「確か、一昨年(おととし)の収穫祭でしたね。お元気そうでなによりです」



 たわいも無い話が進む中、秘書はずっとミゼラを見つめていた。薄化粧でも分かる、整った顔に見惚れているのだろうか。……いいや、その割には片足が引いている。ファイルに隠して右手も見えていない。見惚れている割に、表情が引き締まっているのも気になる。


 私が彼女を分析していると、ミゼラが私の腰を抱き寄せた。私は笑顔を繕い、ミゼラの紹介を待つ。



「こちらが僕の婚約者の、ソラ・アオイノモリです」


「よろしくお願いいたします」


「あぁ、よろしく。聞き慣れない名前だな」


「東の国にルーツがありますの」


「あぁ、それで。それにしても、黒い髪に、異国の女か」



 スターリングは、何かを考える様子を見せる。私を頭の先からつま先までじろじろと見ては、小馬鹿にしたように微笑んだ。



「今代のマレディクトス侯爵は、奇抜な考えをお持ちのようですな。先代の侯爵は、伝統と気品を重んじる方だった故、その斬新さが際立っている」



 褒めているように見せて、皮肉を言うのは貴族の伝統なのだろうか。もっとストレートな物言いをした方がいいに決まっている。


『おかしな女を選ぶとか、センスねぇ~』って言え。


 ミゼラは笑って流すが、スターリングが言いたいことを汲み取れない訳では無い。秘書の方に目を向けると、「彼女は?」と話題を変える。



「彼女は、リリス・コッティ。私の秘書だよ」


「パーティーに連れてくるなんて、よっぽど()()()()()なんですね。仕事の話はしませんよ?」


「ははは! まさか、こちらの方で仕事が溜まっているだけです。最近は特に忙しくて……」



 ミゼラとスターリングは、そのまま世間話を始めた。その間、秘書はスターリングの傍を離れる。暇になったのか? それでも、許可もなく雇用主から離れるなんて。



「トリス」


「はい、ソラ様」



 私はトリスに秘書の後をつけるように、指示を出した。杞憂ならそれでいいが、立ち方も振る舞いも怪しかった。警戒して損は無いだろう。

 トリスは私の指示を受け取ると、秘書の後を追った。それを見たスターリングは、「どうかされましたか」と私に話を振った。



「あぁ、失礼しました」



 私はミゼラと目を合わせる。ミゼラも、私の表情から察してくれた。



「『喉が渇いた』ものですから、『飲み物をお願い』しました」



 事前に決めていた隠語だ。『喉が渇く』は『怪しい人物を見つけた』であり、『飲み物をお願い』は『追跡中』である。ミゼラとトリス、そして私だけが分かるように。警戒していることを、招待客に知られないように。


 スターリングは「そうですか」と、ミゼラと会話に戻る。二人で楽しそうに話をしている間は暇だが、トリスが戻って来ない以上、私がミゼラから離れるわけにもいかない。

 トリスはグラスを持って戻ってくると、ミゼラにもグラスを渡した。私にグラスを渡すと、耳打ちをする。



「悪い。『メイクが崩れてる』ぞ」



『メイクが崩れている』は『トイレに逃げ込まれた』の隠語だ。私は視線でトリスを責めるが、トリスは気まずそうに目を逸らした。



「つけてるのがバレたんだ。悪かったって」


「テメェ、本っ当許さねぇぞ。あとでしこたま殴るかんな。……ミゼラ様、少々外しますね」



 私がミゼラに断りを入れて。その場を離れると、私の穴を埋めるようにトリスがミゼラの側に立つ。ひとまず、私が自由になった。


 トリスが言っていたトイレに向かうと、リリスがいた。鏡の前で、大事そうに抱えていたファイルを置いて、髪を束ねている。

 私が軽く咳払いをすると、大袈裟なくらい飛び跳ねて驚いていた。



「あら、ごめんなさい。そんなに驚かれると思っていなかったの」



 私はにっこりと微笑んで、彼女に声を掛けた。リリスと紹介された女は、ファイルを抱え直した。私に微笑む彼女の表情は、やや引きつっている。



「えぇと、コッティさん……でしたっけ? せっかくのパーティーですのにお仕事なんて、大変ですわね」



 雑談の話題を振って様子を見るも、リリスは「それが仕事ですので」と流した。

 リリスが軽くお辞儀をすると、ドレスの胸元が見えた。そこからちらりと覗く羽根のタトゥーに、見覚えがあった。

 トリスに渡された暗殺者リストの六ページ目、上から三行目の名前にあった。資料は四十七枚目の女だ。



「スターリング様が待っておりますので……」



 リリスは足早にトイレを出ようとする。私は彼女とすれ違いざまに、小さな声で囁いた。




「『リサ・ロレンソ』」




 リリスはその名前に目を見開いた。それもそうだろう。


 彼女の本名なのだから。


 私は彼女のファイルを掴み、わざと地面に叩きつけた。ファイルから金属音を立ててバラバラと散らばる薄型ナイフが、暗い廊下で月光に輝く。私は彼女にまた微笑んだ。



「まぁ、随分と物騒なお仕事ですのね」



 リリスは唇を噛んで、手を震わせる。だが、それで終わらないのがプロだ。

 リリスはナイフを拾い上げると、立ち上がると同時に私を切りつける。

 私は背を反り、弧を描くナイフの軌道を避けた。揺れた髪が数本散る。私が姿勢を直した時には、リリスの姿はそこにない。彼女はとっくに会場に向かって走っていた。



「トリス! そっちに行ったぞ!」



 私はヒールを脱ぎ捨てて、リリスの後を追った。トリスは会場に向かってくるリリスに驚いているが、直ぐに彼女の前に立ちはだかった。



「ソラ、こいつは何だ!」


「六ページ目三行目資料四十七!」


「リサ・ロレンソ──『ナイフの踊り子』か!」


「あんた達、なんでそれで伝わんのよ!」



 リリスはナイフの扱いもツッコミも的確だ。彼女はトリスの首にナイフを突きつけるが、トリスは素早くナイフを払い除ける。トリスはリリスの手首を掴むが、リリスは掴まれた手でトリスの腕の外側を掴み、そのまま彼の後ろに回り込んで拘束を抜ける。

 腕を捻られて、トリスは姿勢が崩れた。その背中をリリスは蹴りつけて、私にトリスをぶつけた。

 私はトリスの体重を支えきれず、彼に押し倒される。近い顔にお互いが目を丸くして、数秒の沈黙が私たちに流れた。


 お互いの早い心音が聴こえて、触れた腕が熱を帯びている。彼の瞳に映る自分が、鮮明に見えた。



「てめぇ、さっさと退けや! リサ逃がすだろうがよ!」


「うるっせぇなこの女! 腰痛えんだよちょっと待て!」


「待てるか! はよしろジジイ!」



 距離が近かったくらいでトキメキなんてしない。むしろ、苛立って血圧が上がりそうだ。


 ようやくトリスが退いたが、リリスはとっくに会場に侵入していた。招待客を押し退けて、ミゼラへと迫っている。



(正体がバレたから、短期戦に持っていったな……!)



 私はドレスの裾をたくしあげて、膝を晒して会場を駆けた。幸いなことに、皆はナイフを持ったリリスに注目していた。


 小さな悲鳴が、リリスの居場所を教えてくれる。



「ミゼラビリスゥゥゥゥゥゥ!!」



 リリスが叫んだ。強く握ったナイフがシャンデリアの光を反射する。

 ミゼラと話していたスターリングも、顔が青くなり、悲鳴を上げた。

 ミゼラはシャンパンのグラスを、ぐいと飲み干した。


 ──マズイ。マズイ!

 このままだと、ミゼラが殺される!


 私は会場に点在するテーブルに飛び乗り、客の肩を駆け渡って彼女にたどり着く。間に合え、間に合ってくれ! 最初の仕事で失敗なんて、子供じゃないんだから。


 リリスの姿が見えた時には、彼女の死牙が、ミゼラに向かって伸びていた。

 ミゼラは避ける素振りすら見せない。覚悟があるのか、私たちが守ると思っているのか。


 高い位置から見るミゼラの目は、濁っているようだった。一点の光もない。まるで、生きることを諦めているような。貴族でも特に大事な立場だと言っていたのに、どうしてそんな顔をするのか。

 私には、微塵も理解できない。けれど、『彼を死なせてはいけない』と強く感じた。


 私は客の肩を跳躍し、リリスの頭を蹴り飛ばす。強い力に弾き飛ばされたリリスは、抵抗することも出来ずに、会場を転がるように吹き飛ばされる。

 私は目を丸くするミゼラの腕を掴み、彼の安全を確認する。



「ミゼラ様、お怪我はありませんか?」



 私が問いかけると、ミゼラは我に返って「大丈夫」と、私の乱れた髪を直してくれた。ミゼラは堪えきれないように微笑んで、「馬鹿ね」と私に言った。



「裸足で駆け回って、お客様を踏み台にして。淑女の風上にも置けないわ」



 暗殺者の乱入で騒いでいる会場で、彼は私の醜態を笑う。

 恐ろしかったはずなのに、震えていてもいいはずなのに、当たり前のような表情で、この場に立っている。

 騒然とした空気の中、暗殺者を拘束するトリスも『いつも通り』といった顔で仕事をしていた。


 騒がしい空気の中で、この二人だけが異質だ。二人を見ていると、私の方がおかしいのではとすら思えてくる。

 会場からリリスが連れ出され、誰ももう、楽しめる雰囲気では無い。

 お開きにしようにも、締めの台詞が何も響くまい。


 こうなったら、騒いだ本人が締めるしかない。



「お集まり頂いた皆々様、本日はミゼラ様と私の婚約を祝福していただき、ありがとうございました」



 私は髪もドレスもぐしゃぐしゃのまま、裸足で恭しくお辞儀をする。


「アクシデントもありましたが、皆様に楽しんで頂けたこと、とても嬉しく思います。名残惜しいですが、今日はこれにてお開きとさせていただきます。どうぞ、お気をつけてお帰りくださいませ」



 私の挨拶を合図に、会場から次々に客が消えていく。

 楽しく終えるはずのパーティーが、こんな形になるなんて。



「ミゼラ、これって失敗に入るか?」



 私が尋ねると、ミゼラは興味なさげに「成功じゃない?」と答えた。雇い主として、もう少し何かあるだろう、と言いたいことが募るが、特に口にしなかった。

 きっと言ったところで、彼にはこれが当たり前で、日常のひとつなのだろう。


 最後に残っていたスターリングが、気まずそうにミゼラに近づいた。スターリングはミゼラにお辞儀をすると、「すまなかった」と謝罪をした。



「彼女の素性をよく調べぬまま雇ってしまった。あれは私の落ち度だ。契約を切りたければ、切ってくれて構わない。そちらの希望どおりの慰謝料だって払おう。何も文句を言わない。それくらい酷いことをしてしまった」



 スターリングの心からの謝罪に、ミゼラは「事故みたいなものです」と快く許した。

 私は信じられなかった。

 これを事故と言ったことも、スターリングの謝罪を受け入れたことも。


 スターリングがけしかけたかもしれない。失敗したから、謝罪して無関係なことを主張しているかもしれない。もうしないことだって証明できないのに。どうして許せるのか。


 唖然とする私に、スターリングが尋ねた。



「君の行動は、淑女とは思得ないが、賞賛に値する。どうしてあんなことが出来たんだ?」



 私は訓練した通りの微笑みで、彼に答えた。



「ごめんあそばせ。育ちが悪いもので」




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