16‐2 ソラ・アボミナティオ
一日かけて訪れた、ペンスリー邸は以前に訪れた時より綺麗になっていた。
屋敷の外観は整えられ、廊下にちゃんとした窓が設けられている。
雑草も刈り取られていたが、庭があったであろう場所はまだ整えられていなかった。
私とエリーゼが屋敷に着くと、メイドが出てきて恭しくお辞儀をした。
「いらっしゃいませ。お嬢様」
メイドは私の荷物を持ち、部屋に案内してくれる。
エリーゼにも部屋を用意してくれて、私は『ソラシエル』の部屋に通された。
……子供部屋だったここは、すっかり年頃の女性の部屋に変わっていた。新しいドレッサーに、クローゼットも広げて、ベッドのデザインも大人びたものになっていた。
私はその様子に、少し尻ごみをしてしまう。
私は自分がどうしたいかも分からないのに、周りはすぐに決めてしまう。
羨ましい。私も、これくらい簡単に決めてみたいものだ。
部屋を出ると、ペンスリーが私を待っていた。
私がお辞儀をすると、彼は「久しぶりだな」と言ってくれた。
私を軽食に誘って、彼とダイニングに向かう。
かなり綺麗に整えられた廊下に、私は簡単を零す。
いつの間にか増えた調度品は、そこまで高価なものは無いが、風景画が多く、ペンスリーの好みではなさそうに思えた。
「長旅ご苦労であった。ミゼラビリスとの契約が切れたと聞いた時は驚いたが、これでもう縛られるものはないな。軽食にはサンドイッチを用意したが、他にも用意させようか?」
「いいえ、結構です」
ダイニングに着くと、エリーゼの姿はなく、私はメイドたちの中から彼女の姿を探す。ペンスリーはエリーゼに仕事を頼んでいるようで、「しばらく来ないだろう」と告げた。
軽食を食べていると、ペンスリーが話を切り出す。
「自由の身になって日も浅いが、提案がある。聞いてくれるか」
「何でしょう、マル・チロ伯爵」
ペンスリーの言う『提案』は分かっている。
「『サーペンス』伯爵の、地位を継ぐ気は無いか」
やはり、か。
彼は諦めていない。
私が唯一の跡継ぎで、親戚もいない。
彼はまだ現役だが、私を跡継ぎとして育てて次に繋げたいのだろう。もしかしたら、早めに引退したいのかもしれない。
ペンスリーは、まっすぐ私を見つめている。
「すぐに決断を迫るつもりはない。『巳』の血族は、吾輩で終わりでも構わないとすら思っている。だが、叶うならお前を跡継ぎとして、国の仕事を任せたいと思う」
貴族の婚約者なんて大層な仕事から、今度は国の一部?
私の人生が急激に変動しすぎて、崖を駆け上がっては自由落下を繰り返しているように思える。
私が返事に悩んでいると、ペンスリーは「無理はさせたくない」と首を振った。
「農村で静かに暮らしたいなら、それを援助することも出来る。どこか違う国で、人生をやり直したって良い。そう望むなら、吾輩は何だってしよう。……我が娘」
ペンスリーは、私が悩んでいる選択肢も、私が決めあぐねている理由も見通している。……やはり、親子だ。だからこそ、私は自分で決めなくてはならない。
「……私は、人殺しだ」
そう語り出した私に、ペンスリーは寂し気な眼差しを向ける。
仕方が無いだろう。これは、事実なのだから。
「でも、いろんな人と出会った。私が知らない世界に触れた。私は、自分が築いた小さな世界に閉じこもっていた」
他人を信用できない子爵。
望まない婚約を強いられた令嬢。
爵位継承して間もない当主。
素の自分を受け入れてもらえなかった伯爵。
他にも沢山ある。
その誰もが、困難に直面しても、悩みこそすれど逃げなかった。
私はどうだ? いつまでも、過去の称号に囚われて、縋って、逃げ場にしてきた。
そろそろ、自分から逃げたくない。
「私の罪は消えませんが、償い生きる道はある」
誰かのために生きて、誰かの助けになるのなら、それも悪くない。
そのためには、私も変わらなくては。
「……私は、今からでも『ソラシエル・マル・チロ』になれますか?」
今さら。遅すぎるなんて言葉で表せない。
一度は拒絶した関係だ。これからも、こじれたまま生活することになるだろう。
しかし、ペンスリーは受け入れてくれた。
私を抱きしめて、彼は私にようやく「お帰り」と言えた。
私は初めて、「ただいま」と返す。
ペンスリーの涙が私の肩に落ちる。メイドたちがもらい泣きをしていた。
大げさだなぁ。こんなことくらいで、泣かないでくれよ。
お互い、良い大人じゃないか。こんなんでこれから、どうしていくつもりだ。
ぼやけた視界に、ペンスリーの顔が映る。
この上なく慈愛に満ちた表情が、私に向けられていた。




