15‐7 優しい嘘
警察の取調室で、フィリアは隠しもせず、呆れた顔で大きなため息をついた。
私は彼女に繕うものも無いので、腕を組んで椅子を揺らして遊んでいた。
フィリアは調書を開くと、またため息をついた。
「もう、貴殿の顔を見ることは無いと思っていたのだがな」
「そうかよ。そりゃご愁傷様」
「……はぁ~。一応尋ねる」
フィリアは私にスタルトスの家での一件を尋ねる。
「スタルトス・マレディクトスの行為に関して」
私がスタルトスの元を訪ねた経緯から、フィリアは話を始めた。
スタルトスとの会話の内容も確認したうえで、彼女は私に尋ねる。
「最後に、スタルトスは毒を服用しようとし、貴殿がそれを止めた」
間違いないか? と尋ねるフィリアに、私は「違う」と答えた。
彼女は私に話を聞く前に、スタルトスの聴取を終わらせている。話の内容が違うと困ることを知っていて、私は嘘をついた。
「……ただのポプリだったんだよ。気持ちを落ち着かせるための、ジャスミンの香りがするやつ。それを、私が勘違いで蹴り飛ばした。飲もうとしているように見えたんだ」
スタルトスが自殺しようとしているなんて、知ったらミゼラが悲しむだろう。
スタルトス自身にも後悔なんてしてほしくない。
死んだら、やり直すことはおろか、悔やむことすら許されない。
フィリアは調書を閉じると、私に尋ねた。
「もしも自殺だったら。どうして止めた?」
フィリアは私が嘘をついていることに気が付いている。
それなのに、私の言葉を否定せず、話を聞く姿勢を見せてくれた。
私は彼女に言った。これは、心からの本心だ。
「生きててほしかった」
十二血族だけが人生じゃない。
血筋に囚われるだけが、生き方じゃない。
彼には世界を見る必要がある。
彼には自分の檻から出る必要がある。
「……私は、一度は生きるのを諦めた。でも諦めない人がいてくれたから、自分の在り方について考えることが出来た」
その上で、私はフィリアに言った。
「──英雄とは、何を成し遂げるかでは無い。
────何を殺すかである」
私が信じたあの言葉。これが過ちだったから、私は別の言葉を信じたい。
「英雄にならずとも、何も成さずとも。
私は誰かのために手を伸ばせる、おせっかいな隣人でありたい」
私は貴族として必要なものは何も持っていない。けれど、今のスタルトスに必要なものは持っている。
それを彼に与えるためだけに彼を生かした。
「本当は、殺すつもりで行ったんだぜ」
私はフィリアに本音をぶちまけた。
何なら、自分が罪に問われないように、自殺に見せかける方法も考えていた。
フィリアは「馬鹿者」と私を一喝すると、手錠を見せて脅した。
「犯行未遂を警察の前でするな。また手錠をかけられたいか」
「終わったんだから目くじら立てんなよ」
フィリアは話しても無駄だと思ったのか、さっさと聴取を切り上げると私に尋ねた。
「スタルトスは、ミゼラビリスを脅かした罪で起訴する。牢獄に入ることは免れないだろう。ミゼラビリスに伝えてもいいか」
フィリアはどうして私に尋ねるのか。
私が返す言葉は、一つしかないのに。
「……私から伝える」
***
夕食の席、ミゼラは私の無事を喜んでくれた。
そのうえで、スタルトスの様子を訪ねる彼は、やはり不安そうだった。
兄弟を、自分の意志で警察に突き出したのだから罪悪感はあるのだろう。
「……スタルトスは、なんて言ってた?」
ミゼラが私に尋ねた。
私は、スタルトスのセリフを、そのまま伝える。
「当主、頑張れよ」
ミゼラは、少し泣きそうだった。それでも堪える彼の強さに、私は彼の脆さを感じた。
でもミゼラはすぐに気持ちを切り替えて、背筋を正す。
「アタシが当主になることを認めてくれたって事よね。なら、アタシも期待に恥じない活躍をするわ」
ミゼラの堂々とした振る舞いに、私は思わずトリスと目配せをする。
トリスは私から目を逸らした。気にするなと言いたいのだろう。
その日の夜、私はどうにも目が冴えてしまい、仕事もないのに廊下をさまよっていた。
今日はトリスが巡回をしているはずだ。しかし、私が廊下で見つけたのはミゼラだった。
寝巻にストールを軽く羽織っただけの無防備な姿で、行基悪く窓に腰かけて、庭を眺めていた。化粧をしていないミゼラの顔は、女性的なスタルトスのようで、兄弟とはこんなにも顔が似るものなのかと考えてしまう。
月明かりが彼の形の影を作り、ミゼラという存在を隠しているようにも見えた。
「冷えますよ」
私が声をかけると、ミゼラはけだるげな顔をこちらに向けて、ふいとそっぽを向いた。
「少しだけ。いいでしょ」
今日のミゼラは少し我儘だ。
こんな彼は見たことがない。……気を許してもらえているのだろうか。
私はミゼラの側に立ち、一緒に庭を眺めた。
月の青白い光を受けて、蕾を揺らす花々は、夜更かしをする私たちにも気が付かない。花が眠った庭は、あまりにも静かで幻想的だ。
ミゼラはふと、独り言を零した。
「……もう、刺客に怯えなくていいのね」
彼の言葉に返事をする者はいない。
私さえ、彼に何も言わなかった。いいや、言えなかったが正しい。
「毒に怯えなくていい。近づいてくる人間に怯えなくていい」
ミゼラの独り言は、段々と濡れっぽくなってくる。
「安心して眠れる。好きなものを食べられる。……もう、怖がらなくていいのね」
そう言うミゼラの瞳からは、ぽろぽろと涙が零れていた。
ミゼラは顔を押さえる。止まらない涙に、ミゼラは鼻を啜った。
「——それなのに、どうしてこんなに胸が苦しいの」
私は、何も言わずにミゼラを抱きしめた。
私には分からない。理解も出来ない。でも、私に出来るのは彼に寄り添う事だった。
ミゼラは私を弱々しく抱き寄せて、涙を流したままお願いをした。
「……お願い。今だけ、このままで」
それが、契約者の望むことならば。
私は彼を抱きしめて、落ち着くように背中をさすった。
ミゼラは静かに涙を流し続ける。
胸元がびしゃびしゃに濡れている。これでトリスに怒られようものなら、ミゼラにやられたと言ってやろう。
ちょっとした揶揄いのネタが出来た。でも、使うことは無いだろう。
……明日、ミゼラが正式なドラク侯爵になる。




