14‐8 赤毛の執事
トリスは目を覚ました。
殴られた頭が痛い。ぼんやりとする視界に、自分の足が見えた。
着ている服は無事だ。これでどこか破けていたり、ほつれたりなんてしたら、新品の支給申請なんて面倒なことをしなくてはいけない。
離れて聞こえる焚火の音。
何とか顔を動かすと、見覚えのある顔ぶれが焚火を囲んでいた。
悪党顔が良く似合う、かつての仲間たち。……仲間たちと言っていいものか。
自分を買って、こき使った悪党ども。
薄暗くなった外の空気はかなり冷えてきているらしい。窓の端が凍り始めている。
トリスは動こうとしたが、どうやら柱に縛り付けられているらしく、身動ぎさえできなかった。
仲間の一人が、トリスが起きていることに気が付いた。焚火の前から立ち、わざわざトリスの元に向かうと、トリスの髪を鷲掴みにして顔を無理矢理上げさせる。
「ようやく起きたか? トリス」
男は意味もなくトリスの顔を殴りつけた。
トリスは唇を切ってしまい、口から血が垂れる。
男は苛立ったような声で、トリスに言った。
「お前が逃げてから散々な目に遭ったんだぜ? 拠点が領主に見つかるわ、警察局に追われるわ。お前が逃げたりしなかったら、俺たちは安全に、安定した生活が送れていたってのによ」
「はっ、それはご愁傷様。そんな泣き言を聞きに戻ってきたわけじゃねぇよ」
トリスが男に吐き捨てるように言うと、男は更に苛立って、トリスの頭を強く殴りつけた。
それだけでは収まらなかったのか、男は気が済むまでトリスを殴りつける。
トリスは防御も出来ないまま、ひたすら暴力に耐えていた。頬が腫れようとも、額が切れようとも、トリスはひたすら耐えていた。
じっと、ただじっと。そうするしかない。……それしか出来ないから。
トリスは足に滴る血の色に目を見開く。
男は思い出したように、「あぁ……」と呟くと、水瓶に入った動物の血を皿に汲んで、トリスの口に近づけた。
「ひっ……!」
「お前、これが苦手だったな」
男は動物の血をトリスに無理矢理飲ませようとした。トリスは顔を逃がして血を見ないように、口に触れないようにしていたが、男がトリスの顎を掴んで固定する。
「……誓えよ。二度と逃げませんって。……一生、俺たちの奴隷として働くって」
獣臭くて、汚い色の血が、トリスの唇に触れようとした。
「ぐぁぁあぁぁあああぁぁっ‼」
窓が割れる音と一緒に、男の手首が射抜かれる。
皿は男の後ろに飛んで、焚火を消した。
「誰だ!」
男が叫んだ。
それに答えたのは、女とは思えないほど、言葉が悪い忌み子だった。
***
エイヴが私たちが歩いた跡を追って進む。
私は彼の後ろを必死に追いかけた。
すっかり薄暗くなった景色は、息をするたびに肺が凍り付くような寒さに変わる。借りた装備が、足りないと感じてしまうくらいだ。
エイヴは能天気な顔で山を登っていく。私は、トリスよりペースの速いエイヴに息を切らしてついて行った。
この体力の差は何なのだ。いくら重労働をしているからとはいえ、こんなにも差が出るものだろうか。……私だって、小さい畑とはいえ、農業を営んでいたのに。
男性は女性と比べて、筋肉がつきやすい体質だと学んだ。それを加味しても、エイヴの体力は無尽蔵なのではと思ってしまう。
私は、小走りで追いかけた。
ふと、エイヴは足を止めた。
そこはちょうど、トリスが襲撃された場所だ。
人が倒れて、引きずられた跡が小屋に続いている。トリスは確かに、あの小屋に居るようだ。
エイヴは「やっぱりそうか~」と頭を掻いた。
「どうする~?」
エイヴは振り向いて尋ねた。
私は、小屋から三十メートルの所にちょうど良さそうな木を見つけた。
「私があの木の上から小屋の中を確認します。状況次第で狙撃しますので、それを合図に突撃しましょう」
私の大まかな作戦に、エイヴは「わかった~」と返事をした。
私は早速、木の上に上る。山を小走りした上に、さらに木に登るなんて、こんな激しい運動は久しぶりだ。
小屋の中が見える位置を陣取り、私はクロスボウを構える。
(っ! トリス!)
窓からちょうど、トリスの姿も確認できた。柱に縛り付けられていて、全く動く気配が無い。
私は彼の動きに注視する。
トリスは気絶したままのようだ。……いや、目を覚ました。
トリスが状況を確認していると、彼に誰かが近づいた。豚のように太っていて、山賊のような悪人面だ。
男は急に、トリスを殴りつけた。私は芽を見開く。
男はトリスを殴りつけるのを止めなかった。何度も、何度も、染み込ませるように。
男が急に離れたと思うと、血の入った皿をトリスに近づけた。トリスが逃げられないと知って、男はそれを、あろうことか飲ませようとしている!
「このっ、下劣で卑怯な豚野郎が‼ テメェのケツみてぇにくせぇもん飲ませようとしてんじゃねぇ!」
構えたクロスボウで、私は男の手首を射抜いた。
窓が割れた瞬間、私は木から飛び降りて小屋に駆けつける。
エイヴは外でぼうっと、私が飛び込んでいくのを眺めていた。私は、ドアを蹴破って叫ぶ。
「クソッタレども年貢の納め時だ! 首を置いてけぇぇぇぇ!」
男たちとトリスの見開かれた目が目に入る。
私はドアの近くにいた男を外に放り投げ、壁際の一番離れていた男にクロスボウを撃ち込む。
放たれた矢は男の肩を射抜き、雄々しい悲鳴が小屋に響いた。
私は片っ端から男たちを投げ飛ばした。
エイヴについて行くのが精一杯だった体力が、どういうわけか無限に湧いてくる。
私は男たちをちぎっては投げ、ちぎっては投げを繰り返し、全員を寒空の下に放り投げた。
どうせ逃げられても、エイヴがいる。
……どうだろう。私が突撃する様子を、黙って見ていたし。でも、エイヴがいなくても、もうじき警察局が来るだろう。
私はトリスの縄を解き、トリスに手を貸す。
すっかり血で染まった顔を、私は近くにあった比較的綺麗な布で拭いてやった。
「男前だな」
軽口を叩くと、トリスは鼻で笑った。
「良く見えたな。俺の位置」
トリスはそう言った。
焚火が消えた小屋、獣の血の臭いが漂う中で、私は触れる男たちだけを投げ飛ばした。
何度も彼の前を通った。座っていた男を蹴り飛ばしたし、小屋の中はほどんど見えていなかった。それでも、私はトリスだけを見分けていた。
そんなの簡単だ。彼は、あまりにも目立つのだから。
「お前、目立つ髪してんだから見えねぇわけねぇだろ」
トリスの赤い髪は、薄暗い小屋で光って見えていた。
彼の場所は、彼の髪を見るだけで十分だった。
トリスは「そうか」と言って、外に出た。
「うわぁ!」
外に出たトリスが悲鳴を上げた。
私も小屋を飛び出す。
私はトリスが襲われたと思った。しかし、どうやら違ったらしい。
「……うわぁ」
トリスが悲鳴を上げた理由が分かった。
エイヴが男たちを一人残らず拘束していたのだ。しかも、男たちの顔は、原形をとどめないくらいパンパンに腫れていて、鼻やら耳やら、至る所から血が垂れ流されている。
辺りには血が飛び散っていて、エイヴの拳は血で濡れている。
「……あ、終わったよ~」
エイヴの呑気な笑顔が、冬空なんかよりも冷たかった。




