14‐7 山に住まうは
トリスの案内で山を進んでいると、彼が急に止まった。
距離を空けて歩いていたからぶつからなかったが、トリスの腕が震えているのが見えた。
私はトリスの隣に立ち、彼の視線の先を見つめる。
小屋があった。
二百メートルくらいの距離があるのに、異臭が漂う小屋があった。
一見、普通の山小屋と相違ない。けれど、確かな「これ、違うな」感がある。
トリスは「変わってない」と言った。
風にかき消される音量のそれを、私は聞き逃さなかった。
ならば、あの小屋はトリスが地獄の生活を過ごした小屋だろう。私は獣臭さに顔をしかめる。
「……私が行ってやろうか」
「いいや……いいや、俺が」
トリスは自分の中の恐怖心と戦っていた。
けれど、今の彼に何が出来よう。
私がトリスの前に出た。
……出なければ良かった。
後ろで響いた鈍い音。振り返ったときに見えたのは、赤い髪が雪に埋もれる直前の姿で、山賊のような姿の男が、そこに立っていた。手に握っていた斧が、薄汚れた血で染まっている。背中にはキツネらしき動物を背負っていた。
(こいつが、毛皮業者か!)
今応戦するのは分が悪い。
ここで戦っても、仲間を呼ばれたら一巻の終わりだ。
あぁ、どうしよう。……クロスボウ以外の、道具が欲しい。
トリスは後頭部に一撃を喰らって気絶している。
トリスと二人なら襲撃しても問題なかった。けれど、彼が不能な今、勝率は限りなく低い。
男は私に斧を振り上げた。
私はそれを見て、すぐに山を駆け下りた。
チラッと後ろを見ると、トリスは男に首根っこを掴まれて小屋に運ばれていく。
……殺されはしないだろう。古巣だ。私なら逃げた奴を殺すより、飼い殺す方を選ぶ。二度と逃げられないようにして。
奴らが同じ思考であることを願って、私は山を下りた。
ミゼラに報告、彼に警察局に連絡してもらって、トリスを助けるために準備を整えなくては。その間に、煙幕か何か……奇襲に使えそうなものを一つ用意しなければ。
私はエイヴの屋敷までとにかく走った。
風の音がうるさい。悲鳴のように聞こえて、耳障りだった。
***
屋敷に戻り、ミゼラに警察局への連絡を頼む。
私は、エイヴに火薬の類は無いかと尋ねるが、エイヴは「ないよ~」と首を横に振った。
ミゼラは山でのことを詳細に尋ねる。私がトリスが捕まったことを話すと、ミゼラは青ざめて唇を噛んだ。
「なんてこと。……トリスが、捕まるなんて」
「すみません。完全に後ろを警戒するのを忘れていました。すぐに回収してきます」
「でも、相手は武器を持っていたのでしょう? それに、ちゃんと人数を把握したのかしら?」
「していません。小屋に近づく前に、トリスがダウンしました。一緒に居たら、私まで捕まったでしょう。……それだけは、避けなくちゃいけなかったので」
ミゼラは険しい表情でトリスを案じている。
私もうかつだった。雪を踏む音くらい聞こえると驕っていた。傭兵まがいの仕事で、遅れを取らないなんて油断が、トリスを危険な目に遭わせてしまった。
——彼は、トラウマを前に動けなかったのに。
「……あ、もしもしテッラです~。……はい、領地内で獣の毛皮加工者を見つけて~…………はい、はい………………は~い。分かりました~。じゃあ、お願いします~」
エイヴは通報を済ませると、手斧を一つ持って、私に「行こうか~」と言った。
エイヴはミゼラに「待っててね~」と手を振って、私と外に向かおうとしている。
「あ、あの、私ひとりで大丈夫です」
私がそう言っても、エイヴは「女の子一人は危ないから~」と引く気は無い。ミゼラも呆れたため息をつく。
「一人で勝てないって悟ったんでしょ~? じゃあ、誰か一緒なら大丈夫だよね~」
エイヴの頑固な様子に、私が困惑していると、 ミゼラが口を挟んだ。
「エイヴ、あなた電話でなんて言われたか分かってる?」
「ん~? 『大人しくしててください』って~」
「そうよ。大人しくしてて。あなたが関わると、大体が大惨事になるでしょ」
ミゼラの忠告に、エイヴはようやく考えた。
私はミゼラが言い放った「大体が大惨事」というセリフに若干の不安を覚えた。
「ミゼラ様、その件について詳しく……」
「じゃあ、やり過ぎないようにするね~」
エイヴがそう言って、私を連れて屋敷を飛び出していく。
ミゼラは「エイヴ!」と怒ったが、エイヴは聞いてすらいなかった。
山に向かう時、エイヴは「道案内よろしく~」と笑っていた。
頼りになるのか不安だが、私はエイヴを山に案内する。
トリスと登った跡を見つけると、エイヴは何かを察したらしい。
「わかった~」と言いながら、私を置いてずんずんと山を登っていく。私は既視感に襲われつつ、おいて行かれないようにエイヴを追いかける。
エイヴは大きく息を吐くと、手斧をギュッと握りしめて、さらに登っていく。
「……前にも言ったのにな~」
エイヴの意味深な言葉に、私は背筋が冷えた。
エイヴの手の甲は、血管が浮いている。それくらい、強く握りしめている。




