14‐6 雪景色を駆ける
(……暑い)
てっきり、コート一着と思っていたのに。
テッラ邸——衣装ルーム。
私がエイヴから借りたのは、コート、マフラー、手袋、レッグウォーマー、ブーツ、イヤーマフ、帽子の計七つ。
コートとマフラーを出された辺りで察せば良かったのだが、気が付いた時には毛刈りを待つ羊のようにモコモコになっていた。
エイヴは若干汗をかいている私をじっと見つめて、口をへの字に曲げる。
「う~ん。足りないかな~」
むしろ何が必要なのか。
これ以上着せられたら、暑すぎて倒れそうだ。
私は「もう十分です」と伝えて、ドアに向かおうとするが、エイヴが「ダメだよ~」と引き戻す。
「女の子は体冷やしちゃダメなんだって~。妹が言ってた~」
「この汗が見えないのですか。暑すぎて早く外に出たいです」
エイヴの手を振り払いたいが、彼の力が強すぎてびくともしない。腰を落として動いても、彼の体幹がしっかりしているため、足が床を擦って一歩も進まない。
エイヴはあと何を着せようかと悩んでいるが、これに追加できるものなんて、もうないだろうに。
「あっ! 腹巻! うっかりしてた~。腹巻も必要だよね~」
……あるのか。
私が全力で遠慮していると、衣装ルームのドアがノックされた。
エイヴがドアを開けると、支度を済ませたトリスが立っていた。
ようやく現れた助け舟は、私の格好を見て引き気味に「おぉう…」と言った。
私はエイヴに見えない角度で中指を立てて、トリスと屋敷を出た。
ようやく解放され、寒い外の世界に思いっきり腕を広げる私に、トリスは化け物を見るような目で声をかけた。
「こんな寒いのに、そんな嬉しそうなポーズするか?」
「手袋と帽子と耳当てとレッグウォーマーを譲ってやりたいくらいには汗かいてる」
「いらねぇよ。ばっちぃ」
「ばっちぃ言うな」
トリスは私にクロスボウを渡す。
私は相棒を手にして、山の方を見た。
「どのルートで行けばいい? 普通に行くなら、さっきの村を通り過ぎて、左に曲がっていくけど」
「山に入るときはそれでいいだろう。でも、奴らは村に降りていってるだけで、本当に山の向こうから来てるわけじゃない」
「山の中腹に潜伏してんのか?」
「大方そうだろう。山に入ってからは、俺が先導する」
私は山を目指して歩いていく。
分かれ道で、トリスは自然と私の前を歩くようになった。
山に入る前に立ち位置が決まっている方が楽だから、私は彼の後ろを歩いていた。
山まではまだ距離がある。トリスと話すこともなく、ただ彼について行くように歩いていると、トリスが急に話しかけてきた。
「お前は、いつもそれを持っているな」
トリスが言っているのは、私のクロスボウのことだろうか。
ミゼラに支給されてから、ずっと使い続けているこれが、今さら何だというのか。
トリスは私の方を一切見ようとしない。だが、風に乗って流れる声が、私の耳を掠める。
「……思っていたよりも重かった」
手にずっしりと感じるそれは、トリスにも重たく感じたらしい。
最初こそ重くて使いにくかったが、慣れてしまうとそうでもない。
「そうか?」と言っても、トリスは「あぁ」としか返さなかった。私は手にしたクロスボウをじっと見下ろした。
「そんなに重いのに、毎日使っていたのか」
トリスがそう言うのが聞こえた。私はクロスボウ抱え直し、トリスに聞こえるように言った。
「命の重さに比べたら、さほど重くも無いだろうよ」
私の答えは聞こえただろうか。
トリスは、私にそれ以上何も言わなかった。
トリスは山道とは違う道を歩き始める。
明らかな獣道を、トリスはずんずんと突き進んでいく。膝丈ほどの雪を足でかき分けて進んでいく彼に、私は置いて行かれないようについて行く。しかし、足の長さか、性別差による体力か、次第にトリスに置いて行かれつつあった。
真っ白な雪の世界で、トリスの赤い髪は良く目立つ。彼の髪のお陰で迷うことはなさそうだ。彼が作った雪道と、彼の髪を頼りに私はトリスを追いかける。
(……綺麗だなぁ)
こんなに綺麗な赤が、どうして嫌われるんだろう。
まるでガーネット、いや、ルビーのよう。
太陽よりも輝いているのに。
夜に揺らめく小さな灯火のように魅入られてしまうのに。
きっと、その綺麗さが目に毒だったのだろう。
羨ましかったに違いない。
妬ましかったに違いない。
だから、彼は迫害されたのだ。
悪魔のせいにでもしないと、トリスの髪色が羨ましくて仕方ないから。
「……おい、ソラ」
トリスが気まずそうにこちらを向いた。
何かと思えば、トリスは頭の後ろを掻く。
「……見過ぎだろ」
トリスは歩く速さを少し上げて、わざと私と距離を取った。
私はトリスと離れ過ぎないように道を進む。トリスの頬が赤いのは、寒さのせいだろうか。
「やっぱり耳当て貸そうか? 借りもんだけど」
「さらっと又貸しするな。いらない」
寒くはないらしい。
……いつものトリスだ。




