2-5 いざ、パーティーへ!
──酒が美味いなぁ。
今まで飲んだこともない。飲もうと思ったこともない。
ただ赤くて、アルコール臭いだけの、不味い飲み物と思っていたが、存外想像とは違うらしい。
ワイン、と言ったか。これは良い。
透明な方は割と甘くて、飲みやすかった。でも、赤い方がガツンとした味と、苦味があってすごく良い。
私はボトルを片手に、胡座をかく。口の端からたらりと垂れるワインを手で拭い、焼け落ちていく豪邸を眺めていた。
豪邸の門には、かつて村を支配していた領主夫婦の首が刺さっている。息子がこれを見たら、変わり果てた両親の姿に泡を吹いて、無様に倒れるだろう。
「……ふふ、ふふふふふふふ」
そう考えたら、楽しくなってきた。
「あは、あはは、あははははは!!」
もう飢えない。
もう殴られない。
もう居場所を奪われない。
「あははははは! クソッタレ共め、ざまーみろ!」
私は、自由だ──!
***
「おはよう。早く起きなさい」
ミゼラの声が、私を起こす。決して、優しいとは言えない声で、無理やり布団を引き剥がした。
「ふん、ミゼラ様に起こしてもらえるとは、贅沢なヤツめ」
一緒に行動しているらしいトリスのやっかみも、私の頭を揺さぶった。
カーテンが大きく開かれて、日差しを部屋いっぱいに取り込む。それがひどく眩しくて、私は顔を隠した。
「さっさと起きろ。お前のシーツが出ないと、洗濯ができないだろうが」
ミゼラはともかく、トリスは憎たらしい。ミゼラ以外は眼中に無いのは知っている。でも、ここまで露骨に態度に出すだろうか。
私はおもむろに体を起こし、聞こえるように舌打ちをした。
「朝から元気なこって。嫌味を言わなきゃまともに仕事もできないらしい」
「はっ! 誰かに起こしてもらわないと起きられないお子ちゃまが、何かほざいておりますなぁ」
「二人とも、アタシを挟んでケンカしないでちょうだい」
ミゼラの命令に、トリスは「失礼いたしました」と頭を下げる。私は意地でも謝らなかった。
ミゼラはベッドに腰掛けるなり、私の頬をサラリと撫でる。
相変わらず綺麗な手だ。ささくれも、手荒れもない。でも、少し節が太くて、ゴツゴツしている。柔らかくない、男性の手だ。
綺麗な顔は、いつも女性なのでは、と錯覚する。けれど、こういう小さなところが、ミゼラは男だと主張する。
それが、私に彼をそういう人だと認識させる。
「今日の夢見は悪かったのかしら?」
「まさか。最高の夢だったぜ」
「そう? その割に、酷い顔をしているわ。汗もびっしょりだし」
ミゼラに指摘されて、私はようやく自分の状態を確認した。
言われてみれば、汗がひどい。背中だけでなくて、シーツにも染みている。
頭も少し蒸れている気がするし、ちょっと臭っているかも。
顔を擦る私に、ミゼラは「シャワーを使いなさい」と告げて、トリスにその準備を指示する。
ミゼラが居なくなると、トリスは舌打ちをして、私の腕を掴んだ。
「チッ、早く起きろ。汚いシーツを剥がすぞ。その寝間着も洗濯に出せ。今すぐ」
やはり、ミゼラがいないと、トリスは私の心配もしない。
私はベッドから引きずり下ろされて、少し離れた暖炉の前に立たされる。
暖炉の上に設置されている鏡には、ミゼラの言う通り、ひどい顔色の自分が映っていた。
(こんなにひどかったのか)
自分にとって、いい夢を見ていた。でも、青ざめたような、やつれているような顔で、いい夢と言えるだろうか。
汚物に触れるかのように指先でシーツを剥がすトリスに、私は尋ねた。
「……トリス」
「なんだ。シャワーならあと1分待て」
「私は、うなされていたか?」
幸せな夢だった。
「何を言ってるんだ?」
トリスの怪訝な表情が、理解できない。
私にとっては、いい夢だったんだ。
幸せを、自らの手で、勝ち取った。
本当に──……
「お前、いつもうなされてるだろうが」
いい夢だったんだ。
***
華やかで、煌びやか。
似たような言葉が並んでも、違和感がない。それくらい、豪華絢爛なパーティーが、ミゼラの邸宅で開かれていた。
金色のアンティーク調のシャンデリアの下に、着飾った人々が、シャンパンを片手に会話に花を咲かせる。
壁際に寄せた料理の数々は、貴族から見ても一級品で、目移りしてしまうほど見栄えも良い。
会場の隅で音楽を提供する音楽隊も、きっと腕の良いところに依頼したのだろう。
このパーティーは、陰から見るので精一杯だ。
私は、自分のドレスを見下ろした。浅葱色の綺麗な絹のドレスに、慣れていない私に合わせた低いヒールのパンプス。黒い髪に映えるように、金のアクセサリーで統一された姿は、まさしく貴族のそれだ。
(──吐き気がする)
悪態をついたところで、あと数分後には、自分も胸糞悪い貴族の集団の中にいるのだ。
階段の下を見下ろしても、いるのは高いだけの服を着て気取った家畜にも劣る野郎ども。
「本当に出るのかよ」
招待客が集まった会場を見つめ、私がぽそりと呟く。そのつぶやきを拾って、ミゼラが私の隣に立った。
「そうよ。怖気付いたなんて言わないでちょうだいね」
私が反論しようと、彼を見る。
細やかな刺繍が、美しい薄緑のタキシードが、ミゼラの美しさを強調する。白のグローブを付ける仕草は、女性の心に刺さるであろう妖艶さがあった。
オールバックに仕上げた髪は、少し緩めて抜け感を出す。化粧は薄めで、ブラウン系でまとめている。いつもは紫やピンクなど、派手な色を好む彼にしてはシンプルだ。でもそれが、ミゼラの男性らしさを引き立てている。
彼を見ただけで、私は言おうとしていたことが、何も出てこなくなってしまった。
そんな私をからかうように、ミゼラはわざと顔を近づける。
「あら、見惚れたのかしら?」
図星をつかれ、私は素っ頓狂な声を出す。
「は、はぁ!? そんなわけないだろ!!」
「ちょっと、口調が戻ってるじゃないの。ボロを出さないように、気をつけてちょうだい」
ミゼラの呆れた溜息に、私は更に憤慨する。顔が赤いのは怒っているからで、決して恥ずかしいとか、そんなわけではない。
ミゼラは私の子供っぽい怒りをくすっと笑う。彼は大きな手で私の頬を包み、軽く揉んだ。
「あんまり怒らないでちょうだい。今日からあなたは正式に、私の婚約者になるのよ? 貴族の世界は、公表したら取り下げられない。しゃんと背筋を伸ばして、アタシの隣に立ってくれなくちゃ」
顔を包まれていて、なんなら弄ばれている。それなのに、私の中を渦巻く怒りは静まり、毒気を抜かれてしまう。
何に安心しているのやら。こんな、胡散臭くて、オカマみたいな奴に。
ミゼラは手を離すと、後ろに控えていたトリスに目配せをする。
トリスは軽い咳払いをすると、ミゼラに段取りを説明する。
「本日の招待客に挨拶を済ませたのち、婚約の発表。その後にダンスと会談を。余興の手配は済んでおりますので、ミゼラ様はパーティーを楽しんでいただくだけで結構です」
「そう。ありがとう。で、別件は?」
ミゼラが尋ねると、トリスは私に目配せをする。私はそれだけで察してしまい、思わずため息をついた。
──お仕事の話だ。
トリスは声色を変える。
「料理の提供はバイキング形式で、誰がどの料理を取るかは予測出来ません。皿や料理に毒を盛ることは不可能でしょう。会話中は、手元にある食器にご注意を。
また、料理に使った食材には、全て目を通してあります。毒になるものは、一切含まれておりません。招待客のリストはコピーを取ってあるので、万が一、隠蔽されても対処可能です」
トリスは報告を終えると、また、私に視線を送る。私は深く息をついて、トリスのように話した。
「刺客は今のところ目視できていません。でも、ミゼラをよく思っていないであろう人間は、会場内に2~3人います。会場の出口付近と、壁際に2人。そのうちひとりが、秘書らしき女を連れています。あとは、会場で直接確認します。
武器の所持者は二人ほどいますが、どちらも自己防衛用で、ミゼラに危害を加えるためではありません。今のところ、外からの刺客もなし。場内の人間に関しては、トリスが警戒するくらいで事足りそうです」
私の話を聞いて、トリスが会場をこっそり確認する。私の話と照らし合わせて探すと、「了解」と返す。トリスも見つけたようだ。
ミゼラは深く息をはくと、私の手を握る。
もう仕事に入るのか。私も少し、緊張する。
「大丈夫よ。今日のあなたは、とても美しいわ」
ミゼラに元気づけられて、私は背筋を伸ばす。トリスが咳払いをした。今から、私の初仕事が始まる。




