7 楕円の窓
「御堂寺先生にも分からないような難しい謎解き、私たちにはできませんよ・・・?」
芳弘さんが呆れたような顔で輝子先生を見る。
「そんなメッセージを残されても・・・・」
「たいていは竣工式の時に、杉村先生自身が施主さんに伝えてるらしいんですけど・・・。何か聞いてらっしゃいません?」
輝子先生もこればかりは読み解けないようなのだ。
「あんなことになって、竣工式もできませんでしたからねえ。つくづく馬鹿だったと思います・・・。」
芳弘さんが残念そうな顔をした
たしかに、この外の見えない楕円の窓は違和感がありすぎる。
輝子先生が言うように、何らかのメッセージなんだろう。
でも杉村常正が亡くなってしまった今となっては、本人の口からそれを聞くことはできない。このメッセージは永遠に謎のままなのだろうか・・・。
しかし、輝子先生は諦めていないようだった。
「杉村先生は、三角形の内角や星座のように、けっこう理数系のキーワードを使って文系のメッセージを作るのよねぇえ。楕円って、数学的にはどういうものなのかしら・・・」
「円を角度をつけて平面に投影すると、楕円になりますけど・・・。」
と、これはわたし。
「この楕円は、どういう角度か分かるぅ?」
「えっと・・・。長径と短径を測ってタンジェントで計算すれば・・・。それで出た角度が何度かで、さっきの三角形みたいに・・・」
輝子先生は、う〜ん、という顔をした。
「そんな難しいのじゃ、素人に説明できないわよぉ。そこまで入り組んだメッセージではないと思うわぁ。わたしみたいな美大出でも分かるくらいの単純な性質を入り口にしてるはずよぉ・・・? それに、それだと外が見えない理由が全く分からない・・・・。」
「階段だから、下から覗かれないように、とか・・・?」
芳弘さんが言ったが、輝子先生は即座に否定した。
「それはないですわよぉ。だって、輪兎ちゃんの顔の高さくらいにあるんですよぉ?」
「円を斜めに投影したんだから、逆にこれが円に見える角度から眺めると何かが見えるのかも・・・。」
わたしはその思いつきはいいかもしれない、と思ってそれを実行に移してみた。
しかし、上の方から見ようとして階段を登ると、窓に対して視線が斜めになるので楕円はいよいよやせ細って見えるだけだ。
では下から・・・。ということで下から円に見えるような角度まで目の位置を下げてみたら、顔を階段の段板にくっつけるような形になった。
なんだか階段の段板を枕に寝そべっているような感じだ。
結果は・・・。
恥ずかしかっただけで、何も得られなかった・・・。
輝子先生にも解けない謎をわたしが解こうなどと考えること自体、10年・・・いや、100年早かったのだ・・・。
楕円の窓の話は、この時は結局そのままになってしまった。
* * *
さて、話が梨花さんのご主人に伝わると、会社の後輩で家を探している人がシェアハウスに入居したいという話に発展した。
分筆した土地も大きさが手頃だったこともあってすぐに買い手がついた。
輝子先生が杉村先生から受け継いだ第2プラン=シェアハウスへのリフォーム話はとんとん拍子に進んだ。
ここにきて金田さんの人生に、新しく気のおけない人間関係が加わった。
鶏を追いかけてはしゃぐ子どもたちを幸せそうに眺める梨花さん。その表情を目の端で捉えながら、わたしは、この仕事引き受けてよかったなぁ——と改めて思えた。
あの楕円の窓のガラスは、ペアガラスに変えることになった。
「本当に透明にしちゃっていいのかなぁ・・・。」
輝子先生はまだそこで迷っていた。
「ねぇえ、輪兎ちゃん。楕円の数学的な性質とかで、何か他に分かりやすいものってなぁい?」
わたしは乏しい知識を動員してみた。
「ええっとですね。楕円には2焦点があります。」
「2焦点?」
「はい。つまり・・・」
とわたしはヘタクソな絵を描いた。
「AとBの2つの焦点からCまでの距離、つまりACとBCの和が一定の点Cの軌跡が楕円なんです。AとBが離れていれば楕円は平べったくなって、近づけば円に近くなります。AとBが一致しちゃうと『円』ですね。」
「へぇえ・・・。」
輝子先生は感心したようにわたしのヘタクソな絵を眺めた。
わたしはちょっと鼻がピノキオになる。
へへえ。輝子先生を感心させてしまった。(^ω^)
「あっ!」
と輝子先生が突然手を打った。
「解けた! 解けましたぁ! 楕円のメッセージ。 金田さぁん!」
輝子先生の声に金田さん夫妻と梨花さんと梨花さんの夫の岡本尚彦さんが集まってきた。
「人間は2つの視点で世界を見てるんです。肉体を含む自然な生命の視点と、地位やお金といった社会的な視点で。杉村先生はそれを楕円の2焦点に見立てたんです。」
輝子先生は目を輝かせて説明する。
「二つの焦点が離れすぎてしまうと、人は自然のありのままの姿が見えなくなりますよ。——これが型ガラスの意味です。
それだと心が寒いでしょ? だから、あったかいガラスに取り替えて、自然をそのまま眺めてみましょうよ。——これが、杉村先生から金田さんへのメッセージです。・・・たぶん・・・。」
それを聞いた芳弘さんが目をぎゅっと閉じた。
そこから、透明な水が滲み出てきた。
「す・・・杉村先生は・・・、私のその後の30年の軌跡まで見通していらっしゃったんですね・・・。」
「いえ・・・、たぶんそこまでは・・・。金田さんという人の本質をちゃんと見ていらしたから、バブルなんて続かないと思っていたから、そうなった時に第2の提案をして、この話もするつもりだったんじゃないでしょうか。
ところが、想定以上に大変なことになってしまったんで、きっとこんなお茶目については言い出せなくなっちゃったんじゃないでしょうか。」
輝子先生は、何もかもがすっきりした、という顔をした。
「今となっては、ただの想像ですが・・・。真実は杉村先生しか知らないんですもの。」
楕円の窓には、透明のペアガラスが入れられた。
そこから見る庭の風景は、とても長閑なものだった。
梨花さんの子どもたちが、ひょこひょこ首を振って歩き回る鶏と戯れている。
見ているわたしと目が合って、雄鶏がちょっと首を傾げた。。
輝子先生はあんなふうに謙遜していたけど、たぶん杉村先生が金田さんに見せたかった景色はこれだったんだろう。
わたしは、かなりの確信を持ってそんなふうに思った。
了
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
お楽しみいただけましたでしょうか。
初めて「みてみん」を利用してイラスト(図)を載せてみました。
なんとかできたようなんですが・・・。
これ、もっと小さくていいんだけど・・・。大きさってコントロールできないのかなぁ?




