6 残った謎
輝子先生は2階も見事に説明してくれた。
2階にもミニキッチンとトイレと洗面が用意されている。
キッチンを本格的なものに取り替え、洗面の隣にユニットバスを設置するだけで1軒の家に必要な設備は全て整う。
「2階の大きな方の部屋の天井には3尺(91センチ)間隔で梁が見えていましたから、好きな場所に簡単に間仕切りを作ることができます。梨花さん、お子さんはいらっしゃいますか?」
「は・・・はい。2人・・・。」
「でしたら、こんなふうに・・・。」
輝子先生は2階の平面図の上に、ささっと線を引いて子供部屋とリビングを作ってしまった。
「梨花さんがお好きだった部屋は、そのまま梨花さんたちの寝室に・・・。」
梨花さんは口元を手で押さえて、目を潤ませた。
「暖炉のあるパーティールームは、大きな引き戸を開け放てば3世帯共通のパブリックホールになりますし、ギャラリーやミニコンサートの会場として貸すことも可能ですわぁ。それぞれの世帯のプライベートエリアの入り口は、インナー玄関になりますわねぇえ。」
「1人では支えるのが大変でも、3世帯で支えれば大変ではありませんわぁ。しかも貸ギャラリーなどで多少の収入があれば、なおのこと。」
「すごい・・・」
芳弘さんが目をまん丸にして、そのざっと描かれただけのラフなプランを眺めた。
「まだ、ありますのよぉ。」
輝子先生は今度は配置図のコピーを広げた。
「この庭を横切る長いアプローチ。」
わたしたちが最初に通ってきたあの森の中の小路のようなアプローチだ。
あれはあれで、なかなか風情があってわたしは気に入っている。輝子先生はあれをどうにかするつもりなのかな?
輝子先生はそのアプローチを玄関の少し先でくるりと曲げて、建物の脇を通るようにして道路のほうに持っていった。
「こうすれば駐車場からも近くなりますし、まっすぐなアプローチより風情が出るんですのよ。」
ベンツやクラシックカーが4台も入るはずだったその屋根付き駐車場は、今は軽トラが1台入っているだけだ。
3世帯の車を入れれば、これも活きてくる。
「なぜ玄関前にこれだけ広い敷地がありながら、ここに駐車場を作らずアプローチだけにしたのでしょう?」
輝子先生はちょっと悪戯っぽい目をした。
アプローチだけではなく、2台分ほどの露天の駐車スペースもあるにはある。
ただ屋根付きはその反対側で、たしかに動線としては少し不便だ。
「玄関前、建物の正面だからじゃないんですか?」
わたしはごく常識的にそう思った。
輝子先生の描いたアプローチもステキだけど、やっぱり建物の正面を見ながら近づいてゆくのは気持ちいいし、駅だってそっちの方が近い。
それに建物の手前に屋根付きの車庫が建ってたら、せっかくの美しい建物が見えないじゃないですか。
ところが利惠さんは別のことを言った。
「そうですねぇ。わたしたち、車から降りたらいつも勝手口から入ってましたわ。雨の日なんかわざわざあっちに回る気がしませんもの。まるで、この家の主人じゃなくて管理人みたいですわねぇ。」
利惠さんが可笑しそうに笑う。
「そうだなあ。このアプローチの方が便利だ。」
芳弘さんも同意する。
「すると・・・。」
と輝子先生は、玄関前に広がった敷地に1本の直線をさっと引いた。
「こういうふうに分筆すれば、この土地を売ることができますわぁ。手頃な大きさなので買い手はつきやすいでしょう。それでリフォーム費用も十分捻出できるはずです。」
「あ・・・」
わたしを含めた4人が、一斉に口をあんぐり開けてしまった。
「そ・・・そこまで考えていたんですか? 本当に・・・杉村先生は・・・?」
さすがに芳弘さんも利惠さんも、信じられないという表情を見せた。
「間違いないと思いますわぁ。あの杉村常正先生ですもの。」
輝子先生は推しのアイドルのことでも語るような目をしている。こんな輝子先生を見るのは初めてだ。
「杉村常正先生は、住宅は20年も30年も人が住むものだから、ということを最も大事に考えていた建築家ですからぁ。」
「天才ですね・・・。」
芳弘さんが感じ入ったように言った。
「そうですのよぉ。わたしの憧れの建築家なんですぅ。」
「いや、御堂寺先生がですよ。その天才的建築家の仕掛けていったメッセージを、こうもすらすらと解いてしまわれた。」
「快刀乱麻を断つ。って感じですよね!」
わたしも輝子先生が誉められたのが嬉しくて、つい声に出してしまった。
ところが、輝子先生はまるで少女みたいに頬を染めて、ちょっと恥ずかしそうな表情で視線を落とした。
「でも・・・」
と少し口ごもる。
「まだ1つだけ、どうしても解けない謎があるんです。」
え?
輝子先生にも解けない謎があるんですか?
「何なんですか、それ? 先生・・・」
わたしが質問すると、輝子先生はまた少し眉根を寄せて、口の前で手のひらを合わせた。
「あの楕円の窓・・・」
ああ、階段途中にあったやつ・・・。
「先生の家にもありましたよね? 楕円の窓。」
「ああ、あれはうちを設計してくれたわたしの師匠の好みのデザインだから。」
輝子先生は元は美大のデザイン科出身で、自宅を設計してくれた師匠の仕事が楽しそうだったので無理を言って弟子入りしたんだそうだ。
「杉村先生は、そういう雰囲気でのデザインはあまりしないし、そもそも、わたしの知る限り他に楕円なんか使ったことはないわぁ。」
わたしたちは、もう一度階段の方に行ってみた。
「なぜ、この場所に楕円の窓があるんでしょう? これほど手間をかけて楕円形の木の枠を作ったのに、なぜ景色の見えない梨地の型ガラスがはめてあるんでしょう? そして、この縁のコーキングの幅。なぜこんなに幅広くコーキング代が取ってあるんでしょう?」
そういえば、ガラスを押さえるコーキングの幅は、広くても10ミリにもならないのに、これは倍くらいある。
「他の窓のガラスは、当時はまだ珍しかったはずのペアガラスが使ってあって、家の断熱のことも考えてあるのに、なぜ、ここだけ1枚ガラスなんでしょう?」
そう言われるとたしかに、ここを通ると少しひんやりと寒い。
「図面を見ると、階段下に仕掛けがあって、このガラス簡単に取り替えられるようになってるのよぉ。ペアガラスに取り替えることを想定してるなら、このコーキング幅も理解できるわぁ。ペアガラス用の溝の幅、と考えれば・・・。」
「じゃあ、なぜ・・・?」
と芳弘さんが怪訝な顔をした。
「最初からペアガラスを入れなかったんでしょう?」
「それなのよねぇ・・・。」
輝子先生の困った顔、というのはなかなか見られるものではない。
「これは、何かのメッセージのはずなのよぉ。」
「杉村先生はたまに、こういう悪戯っぽいメッセージを込めたものを作ることがあるんですの。」
楕円に込められたメッセージ・・・?
「杉村先生が小学校の特別教室に三角形のテーブルを2つ用意したことがあったんだけど、それはこういうこと。三角形の内角の和は180度。それが2つだから、360度。つまり、あらゆる方向から物事を見てみようね——っていう子どもたちへのメッセージだったの。」
「また、住宅の和室の天井にダウンライトを不思議な形に配置したこともあったの。それは出張の多いご主人のために、家相で『主人の部屋』とされる位置の部屋にご主人の誕生月の星座の形に配置したんですって。」
さすがファンだけあって、よく研究してますね。輝子先生。(^^;)
「杉村先生って、そういうお茶目もけっこうやるのよぉ。だからこれも・・・」
輝子先生はそう言って腕組みをした。
「何かの寓意を含んだ金田さんへのメッセージだと思うんですのぉ。」