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楕円の窓 ー1級建築士御堂寺輝子の推理録ー 4  作者: Aju


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3/7

3 メッセージ

「ちゃんと暮らしの背景になってるんですのね。」

 輝子先生はそう言って、少し眩しそうに梨花さんの方を見た。


「建築家の作品というと、『あの光の採り方が上手い』とか『あの造形がすごい』とか、素人でもよく言いますよねぇえ? でも、杉村先生の建築に対する感想って『あのテラスに吹く風が気持ちよかった』とか『あの窓から見える空が好きだった』とかばかりなんです。」


「たしかにそれは、少し分かります。」

 金田さんが視線をテーブルの上に落としながら、静かに言った。

「この家、気持ちいいんですよ。風や風景が・・・。落ち着くんです。」


 ああ、それがつまり()()()()()()()()ってこと・・・。

 建築が、どうだ、どうだ、と主張してないんだ。

 それでこの家は、こんなに静かな佇まいなのか——。

 わたしは、杉村常正という、一般にはあまり知られていない建築家のことがもっと知りたくなった。


「だから、梨花の気持ちもよく分かります。私だってできればそうしたい。」

 それから、小さくため息をつくような声で次の言葉をつないだ。

「しかし、現実という壁が私たちの前にはあるんです。少し私たちの話を聞いていただけますか。」

 そう言って、金田さんは語り始めた。




 私の本当の姓は「金田」ではなく、キムと言います。「金田」は日本風の苗字として名乗っています。この国で生きていきやすくするために。私は在日の2世です。

 子どもの頃にはけっこう、差別的ないじめも受けてつらい目をみました。妻は日本人ですが、結婚は反対され、妻の親戚とは縁を切るようにして私たちは夫婦になりました。


 見てろ。いつか見返してやる。

 それが私たちの原動力にもなりました。


 私の仕事は金属収集業です。特に非鉄金属を集めて、相場の高い時に売る。まあ、平たく言えばゴミ屋です。2人で真っ黒になって働きました。

 金にはなります。でも、どこかで蔑まれているような、そういうことを面と向かって言う人はさすがにいませんが、自分自身にもコンプレックスみたいなもんがあったんでしょうね。休みの日にはいいスーツやいいドレスを着て、いい車に乗って、高級ホテルなんかで開かれるパーティーに出ていました。


 そんなライフスタイルの中で知り合った『友人』たちは、さらに金になる話をいろいろ持ってきました。

 そんな中に、株の仕手戦をやっている男がいましてね。私も誘われるままに資金を投入したんです。

 時は、バブルの真っ只中。いや、面白いように儲かりましたよ。今まで真っ黒になって働いていたのは何だったんだ、と思うくらい。

 この土地を買って、この家を建てて、ここに昔いじめた奴らも呼んで派手なパーティーをやって見せてやるんだ——と、私は得意の絶頂でしたね。


 そこでバブルがはじけたんです。

 金になる話を持ってきてくれる『友人』だと思っていたやつは、行方をくらましてしまって、残ったのは借金だけです。

 よっぽど首をくくろうか、とも思ったんですが、妻と娘が支えてくれまして・・・。

 それでまた、妻と2人、真っ黒になって働いて、少しずつ借金を返したんですよ。


 その間、疲れて傷ついた心を慰めてくれたのは、たしかにこの家でした。テラスに出て風に吹かれながらタバコを吸ったり、窓から雲を眺めてみたり・・・。

 もしそれが、御堂寺先生が今言われたように杉村先生の計算された設計のおかげだと言うなら、その方は先生が言うようにとんでもない建築家ですね。


 そう思えばなおのこと、私だってこの家を手放したくはないですよ。

 借金も返し終えて、こうして落ち着いて、鶏なんか飼って庭で畑を作ったりしていると、ああ、これが本当は自分がやりたかった暮らしなんだな——って思ったりするんですよ。


 でもね、先生。現実ってもんがあります。

 私らも年をとって、昔みたいには働けません。借金を返すだけで精一杯でしたから、蓄えもありません。

 こんな首都圏で、これほどの広さの敷地と建物を維持するのに、固定資産税だけでもいくらかかると思います?

 30年間何のメンテナンスもできていないこの家を、修繕してこの先も住むとしたら、いくらぐらいかかるんですか?

 暖炉のあるでっかいパーティールームは結局、使うことはなかったです。あんなもの、要望しなきゃもう少しコンパクトに作れたかもしれない。

 今となっては後の祭りですが・・・。


 その杉村先生の作品であるってことは、プレミアになってある程度高値で売れるんですかねぇ?

 ああ、やっぱり。そうでしょうねぇ。一般には知られていない人なんですものねぇ。

 やはり、このまま朽ち果てさせるか、取り壊して土地を分割して売るより他ないですかねぇ・・・。




 金田さんは語り終えて、また小さくため息をついた。


「でも・・・。」

と梨花さんが言う。

「うちのダンナも、出せる金額ならリフォーム費用を負担して、ここに一緒に住んでもいいって言ってるんだよ?」


「この建物には・・・」

 輝子先生が感じ入ったような表情で、小さく微笑みながら首を振った。

「杉村先生のメッセージが、いくつも散りばめられているように思うんです。窓に切り取られた風景や、吹き込む風もメッセージと言えるんですが・・・。もっと大きな、時間を経てこそ見えてくるメッセージが織り込んであるように見えるんです。」


 メッセージって・・・。建物のデザインにですか、先生?

 わたしはそんなふうにこの建物を見ていなかった。

 輝子先生にとって杉村常正は憧れの建築家だから、きっとよく研究もしているんだろうな。


 ・・・・・・・・

 あるいはいつもどおり、わたしが輝子先生に見えているものが何も見えていないだけなのかもしれないけど・・・。(^^;)


「杉村先生は・・・、今日この日の来ることを、30年以上も前に見通していたみたいです。」

 輝子先生はテーブルの一点を見据えたまま、その瞳はきらきらと輝いている。


「バブルなんて続かない。いずれ、お金に窮する時も来るかもしれない・・・と。その時にどうすればいいか・・・。そのプランまで考えてあるように見えるんです。」


 え?

 そこまで考えてあるって・・・。

 先生はこの図面から、それが分かるんですか?


「なんて方でしょう。いつか来るであろうこの日のために、金田さんご家族のために・・・。自分の死後、この建物に手を入れるだろう設計者のために・・・。メッセージを残してるんです。建物の随所に・・・。」


「分かりやすいところでは、時間経過で傷みやすい場所などはどれも簡単に交換や修理ができるような、お金のかからない構造に作ってありました。」


 さっき見て回ってた時に、輝子先生はそんなところを見てたんですか?

 わたしは・・・、ただデザイン——構成やディテールの納まりしか見ていなかった・・・。輝子先生が憧れるほどの『建築家』の仕事だから——と。


「それは、『住み続けてください』という杉村先生のメッセージです。他にも、いろんなメッセージがこの住宅には隠されています。すぐに分かるものも、謎かけみたいなものも・・・。」

 輝子先生はテーブルから目を上げて、少し熱で潤んだような目で金田夫妻を見た。


「やらせてください、わたしに! わたしなら、杉村先生の遺したメッセージを全て読み解いてみせます!」


 輝子先生は、この家に何を見つけたんだろう?

 例によって、わたしは先生と同じものを見ているのに何にも分かっていない。


 輝子先生は両手のひらを口の前で合わせて、まるで少女のように目を輝かせている。

「やらせてください、金田さん! 報酬なんて要りません。この仕事自体が、わたしにとっては何ものにも代え難い報酬になるんです!」


「えっ?」

 わたしは思わず声を出してしまった。


 それに気づいて、輝子先生はいつもの、ほにゃ、とした笑顔をわたしに向けた。

「あはぁ。だぁいじょうぶよぉ。輪兎ちゃんにはちゃんとお金払うからぁ。うちのダンナも稼いでるしぃ。」


 いや・・・・それ、いいのか?



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