月面さんぽ
月の上を歩いているのだと、思う。たぶん。
しゃく しゃく しゃく
なんか見渡すかぎりゴツゴツしているし。白っぽいし。空は真っ暗だし。
しゃく しゃく しゃく
自分の足音だけが、ずっと規則的に聞こえている。
どこに向かって歩いているのだろう。行き先がはっきり思い出せない。だけど、なんとなくこっちの方に行けば良い気がする。
しゃく しゃく しゃく
ずっとおなじような風景。
しゃく しゃく しゃく
しゃく しゃく しゃく
鼻がかゆい。
しゃく しゃく しゃく
しゃく しゃく しゃく
しゃく しゃく しゃく
しゃく しゃく しゃく……
ふと考える。
そもそもここは本当に月なのかな。
しゃく しゃく しゃ
だって、月に来ているなら、ロケットとか宇宙船とかに乗って来たんじゃない?でもそんな記憶が全然無い。ここまでどうやって、何をしに来たんだっけ。
しゃく しゃく しゃく
何も思い出せない。
しゃく しゃく しゃく…
まあ月じゃないとして、じゃあどこなんだと言われてもわからないけど。
しゃ しゃ ししし
しゃ しゃ しゃしゃ
少し歩きにくくなってきた。気がする。
しゃ しゃ ざざっ
気のせいかと思っていたけど違うかも。やっぱり、変だ。
さっきからずっとかゆい鼻を掻きながら考える。鼻を掻く…?
ざっ ざっ ざっ
月にいるなら宇宙服を着ているはずでは。それならヘルメットをかぶっているんだから、鼻なんて掻けないはずではないか。
思い立って自分の手元を見る。生白い自分の肌が見える。素手だ。今度は意識して、ゆっくり顔のあたりに触れてみる。さわれる。
なるほど。
今なら確信を持って言える。
ざっ ざっ ざっ……ざ
ここは月じゃない。
ず ず ぞしゃ
ずぞ ずぞ ずずずずずず
急にこれまでと感触が変わった。特に足の裏の感触が。
下を見る。あきらかに足が、白っぽい地面の中に沈み始めている。あっこれはダメかもしれない。
ずぶずぶ ずぞぞ
だって仮にも月だと思っていたし。月ってなんか硬そうだし、沈むとは思わないじゃん?
思わないでしょう。
ずずずずずずずずず
沈むスピードが速くなった気がする。膝上まで地面が近づいている。両腕を全力で伸ばして何か掴もうとしたけれど、何も、掴めない。白い砂しか無い。
ずずずずず
あああ。「ここは月じゃない」などと考えたから月が月ではなくなり始めているんだ。きっとそう。でもここが月であっても、月でなかったとしても、結局どうするのが最善だったのだろう。
もう遅いことだけはわかった。
目の前に白い砂の渦が迫り来ている。そのうち上げっぱなしの両腕も沈んで、終わる。思ったより人生って呆気ない。
さようなら。
ずぶ ずぶ ず
無音。
腕に何かの感触。掴まれているような。
ずずずずずずずずずずずず
いっきに引っ張られる。痛い。痛いいたい。
背中に硬い感触。真っ暗な視界。視界の隅には白い岩っぽい地面。そして、白いふわふわした毛のような、なにか。かたまり。
助かった。のだろうか。
呼吸を整える。ゆっくり、顔の向きを少しずらす。
うさぎがいた。3匹いた。手前に1匹、奥に2匹。
こちらを見つめている、と思う。表情があまり無いのでよくわからないけど。たぶん。うさぎの口元だけが、ふがふが絶え間無く動き続けている。
そうやってしばらく見つめ合っていた。
納得した。うさぎがいるという事は、ここは本当に月だったのだ。ここが月だったからこそ、うさぎに助けてもらえたのではないか。
うさぎは表情の乏しい顔で、こちらを見つめ続けている。
思わず笑みがこぼれてしまった。
あ〜ここが月で良かった。
あ〜ここが月で、本当に良かった!