エメエーラの坑道
「その仕事、混ぜてもらって構わないか? 分け前は十ぶんの一でいい」
とおれの背後から突然声が聞こえた。
振り向くと、今にも死にそうな青白い顔をした背の小さい少女がどこか偉そうな面持ちで立っていた。
「誰だあんた?」
「エメエーラの坑道に行くんだろ?」
困惑するおれを尻目に、少女はカウンターに置いてあった依頼書をひったくって矢継ぎ早に言った。
その依頼書は今しがた冒険者ギルドの受付係からおれが受け取ったものだ。
確かに依頼は【エメエーラの坑道】で大量発生している【ミドリグモ】を討伐するというものだった。
「いや、あの……お嬢ちゃん、これは遊びじゃないんだよ。おれたちは職業冒険者でね、この依頼はとりわけ危険なんだ」
おれは依頼書を少女の手から取り戻そうとしたが、固く握られていて叶わなかった。
「問題ない。わたしも冒険者ギルドに属しているし、ミドリグモなぞ蝿とさして変わらん」
少女は薄汚れた鼠色のマントの下に手を突っ込むと、冒険者の証であるしずく型の翡翠の紋章を取り出して見せた。
「マジかよ……。お嬢ちゃんいくつなの?」
「お嬢ちゃんと呼ばれるのはいささか癪に障るな。ここではリーと呼べ。あと、おまえよりは遥かに年上だ」
リーは紋章をマントの中に隠すと、受付カウンターに設置された羽根ペンを取って依頼書に自分の名前を書き足した。
「わかった、リー。非礼を詫びる。だけど、今回は断らせてくれ。討伐チームのメンバーはもう決まってるし、あんたの入る余地はないよ」
「おまえに決定権はない。わたしが入ると決めたら入る。殺されたくなければ大人しく従え」
「ちょっと横暴が過ぎるんじゃないか?」
「知るか」
リーは依頼書を勝手に受付係に提出した。
すぐに踵を返してカウンターを後にしようとする彼女に、おれは唖然とするばかりでなにも言えなかった。
それがおれとリーの出会いだった。
二日後、おれはエメエーラの坑道に向かって旅立った。今回のチームは剣の得意なミルキルと、弓が達者なナウィルと、鎖鎌を扱うジャワと、それからファルシオンを愛刀としているおれの四人だ。
エメエーラの坑道まではどんなに早く馬を飛ばしても十日間かかる。
あそこまで自信満々に言ったのだ、リーも当然同行するのかと思っていたが、彼女は期日になっても顔を見せなかった。
「怖気付いたんだろうさ。だって見た目はほんの子供だったんだろ?」
ミルキルが馬に荷を積みながら言った。
「そうかなあ……そんな玉じゃなさそうだったんだけど」
「子供のお遊びだよ。冒険者の証だって偽モンが流通してんだ。誰が持ってたっておかしくないよ。さ、さっさと出発しよう。エメエーラの採掘をこれ以上遅れさせないでくれって冒険者ギルドからケツ叩かれてんだから」
ミルキルはすばしっこく馬に跨ると、両足で馬の脇腹を蹴った。馬はひとつ高く嘶いて走り出した。
「相変わらずせっかちなやつよ。ミドリグモは逃げんどころかワシらを待ち構えとるというのに」
「その通り。今回の依頼は正直危険だ。変な子供のことは忘れて、気を引き締めて行きましょう」
ジャワとナウィルが交互に言った。
「そうだな、そうしよう」
おれも馬に跨り、ジャワとナウィルと共にミルキルを追った。
雨の少ない年だった。大地は乾燥していたがヒースやエニシダはしぶとく地面に根を張っていた。
おれたちは夜が来ると適当な場所を見つけて野営し、日の出とともに駆けた。
ちょうど十日目の正午に近い時間にエメエーラの坑道の入口が見える場所に着いた。
沢が流れる雑木林に馬を繋いで、なるべく身軽な服装に着替えてから武器を持った。
確かにナウィルの言う通り、今回の依頼は危険を孕んでいた。ミドリグモは群れを成す習性を持ち、その腹部尾端に毒針を持つ。無秩序に攻撃的で、縄張りに入ったもの全てを敵とみなして襲いかかってくる。
「誰一人欠けることのないようにな」
おれが言うと他の三人は笑って頷いた。
「これまでおれたちは最高のパーティだった。これからもそうさ」
ミルキルが力強く言った。
エメエーラの坑道に入る道はただひとつ、黒い両開きの入口の扉だけだ。
おれたちは慎重に進んで行った。
扉に手をかけ、内側に押そうとしたときだった。
「遅い遅い遅い。随分とまあ遅いご到着だったなあ! 待ちくたびれて木にでもなっちまうところだった」
と後ろから声がした。
そう、あのとき、冒険者ギルドで出会ったときと同じように。
おれは振り返って「リー!」と呼んだ。
リーは鼠色のマントのフードを脱いだ。相変わらず今にも死にそうな顔色だ。
「マジかよ」
とミルキルが小さく呟いた。
「あんた、どうやってここまできたんだ? おれたちと違う道を通ったのか?」
質問すると、リーは首を振った。答えるつもりはない、ということらしい。
「こんな子連れて坑道に入れませんよ」
ナウィルが呆れ返って言った。
「それを決めるのはおまえじゃない」
「じゃあ聞くが、きみはなにができるんだ? 弓? 剣? 鎌を扱えるのかい? いいかい、ぼくたちは危険を犯そうとしているんですよ」
「危険なのはおまえたちだ。わたしじゃない」
「どういう意味だ?」
ジャワが剣呑な声で問いかけた。
「自分の身は自分で守れるという意味だ。少なくともわたしはな」
一触即発の雰囲気だった。
おれは合間に入ってまあまあと二人を落ち着かせた。
「ここまで言うんだ、連れて行ってもいいじゃないか」
「足でまといになったらおぬしから切ってやるわい」
「それは面白い。そのときはお好きにどうぞ」
リーは少しも面白いと思ってなさそうな顔でそう言ってスタスタと歩き始めた。
「おい、リー、慎重に行動しろよ」
おれの呼び掛けも虚しく、彼女は黒扉に片手をかけると、鉄製の重い扉をたった一人、それも片手で押し開けた。
これにはおれたちも吃驚するほかなかった。
ジャワさえ感嘆したほどだ。
「少なくとも、ただの女の子ってわけじゃなさそうですね」
ナウィルが言った。
坑道の中はじめじめして暗かった。普段は炭鉱夫たちで賑わっているはずだが、ミドリグモが発生してからすべての作業が中断され、人々はとっくに避難してしまっている。
おれは松明に火を灯して先頭を行った。
しんがりはリーが勤めた。各々武器を構えて当たりを警戒するおれたちとは正反対に、彼女はまるで遠足に来た子供のように呑気な足取りだった。
「リーさんはなんの武器をお使いになるんですか」
ナウィルが尋ねた。
「その時々によるがもっぱら剣だな」
「それじゃ、ミルキルと一緒ですね」
「おいおい、馬鹿にしないでくれよ。おれのはロングソードだ。とても子供に扱える代物じゃないさ」
「デカくてもなまくらじゃあ意味が無い」
「なんだと?」
「おい! こんなとこで喧嘩している場合か! 静かにしてくれよ!」
坑道は複雑に入り組んでいた。ミドリグモの貼った蜘蛛の糸が松明の光にちらちらと反射して煌めいた。
「おらぬな」
ジャワが言った。
「いや、いる。上だ」
と言うなりリーは剣を真上に向かって突き立てた。ギュア、だかギエ、だか変な音がした。
リーの剣にミドリグモが一匹突き刺さっていた。
「おまえのうなじを毒針で狙っていたぞ、なまくら使いよ」
リーが剣を引き抜くとクモが音を立てて地面に落ちた。刺傷からぬらついた緑色の血を流し、足はまだぴくぴくと蠢いている。
少しの沈黙の後でミルキルは苦々しげに「すまない」と言ったが、リーは特別気にする様子もなかった。
それからずっと敵の襲撃はなかった。薄気味悪い巣がどこもかしこも張り巡らされているだけだ。おれたちはついに坑道の最深部まで降りた。
「うじゃうじゃいやがる。恐らくここがねぐらだ。正直いって多勢に無勢だ」
とリーが言った。
「戻るか?」
ジャワが問う。おれは振り返った。
巨大な、三メートル程ありそうなミドリグモがリーに噛み付こうとしていた。
「いや……もう遅い! リー!」
おれは叫んだ。
リーは振り向かなかった。まるで頭の後ろに目でも着いているかのように的確にクモの頭に剣を突き刺していた。
「武器を取れぇッ!」
ミルキルが怒鳴り上げた。
「言われるまでもないわ!」
ジャワは鎖をクモに引っ掛けて地面に引きずり下ろすと、腹を引き裂いた。ミルキルはロングソードを振り回して何匹も一緒くたに切った。おれは蜘蛛の糸に松明の火をくべた。火達磨になって逃げ出てきた一団をナウィルが打ち抜いた。
リーはひらひらと軽い小鳥のように舞っては次々と蜘蛛を殺していた。
「負けてられるか!」
おれは自分に喝を入れ、ファルシオンを容赦なく振るった。
しかし、リーの言ったことは正しかった。どんなに切っても次から次へとクモたちは湧き出して来た。
「おい、どうする。退路は絶たれたぞ!」
ジャワが攻撃の手を止めることなく言った。
「なら進むしかない!」
おれたちはクモたちを切り裂きながら坑道を駆け抜けた。相変わらずしんがりはリーだったが、彼女に関してはもう心配無用だった。
おれたちは疲れ、息も上がっているというのに、彼女はひとつも呼吸を乱すことなく機械的にクモを殺していた。
「このまま出口まで向かう! 今回の依頼は失敗かもしれんが命を大切にしよう!」
「いや、成功させる」
リーは強い口調で言った。
「おまえたちはそのまま走れ」
「どうするつもりなんだ! なにかいい案でもあるのか!?」
リーは立ち止まっておれたちに背を向けた。
「いいから走れ。わたしには構わず行け」
「でも……ッ! 死ぬぞ!」
「ひとつ秘密を教えてやろう」
リーは顔だけをおれたちのほうへ向けて不気味に笑った。
「わたしは死なないんだ」
「なに言って……」
おれは思わず足を止めた。
「おいなにしてるんだ! 行くぞ!」
ミルキルがおれを引きずるようにして走った。
「あんな風に言うんだ、なにか案があるのさ! 今は気にしてちゃ駄目だ! てめえの命のことを考えろ!」
おれたちはそのまま坑道の入口の反対側に抜けた。もう日暮れだった。薄雲がかかった西の空が赤く染っていた。
「見捨てた……女の子を、小さな女の子を生贄にした」
おれはその場に膝を折って倒れた。
「……生きてますよ、きっと。悔しいけど彼女はおれたちの誰よりも強かった」
ナウィルが掠れた声で言った。
「そうさ。あれに比べちゃおれの剣も確かになまくらだ」
ミルキルはどこか切なげだった。
「ああ、どうかリーにテラミカリア様の恩恵がありますように」
ジャワは彼の信じる神の名を口にした。
その瞬間だった。
強烈な爆風と爆音が坑道の出口から響いた。
大量の蜘蛛の死骸が火山が噴火したときの噴石のように噴き出した。
その後で小さな女の子が出てきた。
彼女は少しも傷ついていなかったし、少しも疲労していなかった。
「リー!」
おれは名前を呼んで駆け寄り、彼女を抱きしめた。リーはおれをひっぺがしながら「なんだ。気持ちが悪いぞ」と淡々と言った。
「生きてたんだな! ああ、良かった!」
「わたしは死なんと言ったろう」
「でも、どうやってあれだけのクモを一度に……」
「それは企業秘密だ」
「まるで魔法だな!」
リーは妙な顔をしたが、それは一瞬だけのことでいつも通りのつまらなさそうな顔に戻った。
「あんたのおかげで依頼は達成だよ! 分け前はちゃんと五分の一にしよう!」
「それはありがたいな。素直に受け取るとしよう」
ミルキルとジャワとナウィルも近寄ってきて、彼女の背を叩いた。良かったと口々に言いながら彼女の生還を喜びあった。
「なあ、おれたちのチームに正式に入らないか。あんたがいれば百人力だよ!」
「それは遠慮する。ひとり好きな性分なんでね」
「どうしてもか?」
「どうしてもだ。さあ、とっとと帰るぞ。わたしは早く金が欲しい」
「帰りはどうするんですか? 行きは一緒に来なかった。おれたちは馬ですよ。反面、あなたは徒歩だ」
リーは答えなかった。
「それもまた企業秘密ってやつかい。あんたには秘密が多いな」
ミルキルが言う。
「女は歳を重ねるごとに秘密が多くなる」
「おぬしは普通の人にあらぬのだな」
「人さ。少し変わっているだけのな」
それからおれたちはみんなで火を囲んで夕食を食べた。リーは酒が大好きらしく、ガブガブ飲んでいたが食事にはあまり手をつけなかった。
リーは酒のお返しに小さな小瓶を二つずつくれた。ひとつはその場で飲むように言われたので、言う通りにすると、クモから受けた傷がみるみるうちに治った。なんでもこの小瓶は遠い国の魔法使いから譲り受けたものなのだという。
もうひとつは大切に取っておけ、と彼女は忠告した。傷は直せても命を甦らせることはできないから、と。
次の日の朝、おれたちはリーに見送られながらエメエーラの坑道を立った。
また十日馬を走らせ、街に戻って冒険者ギルドに入り、依頼の達成を告げると、既にそれは報告済みだと受付係に言われた。
そして、きちんと五分の一の分け前金が無くなっていた。
それからずっと、リーには会っていない。
だが、おれは彼女を生涯忘れないだろうし、あの小瓶を大切に取っておいている。
いつか再開したときには、また酒を飲み交わすつもりだ。