昨日
「有賀さんを見込んで、ひとつ頼みたいのですが」
昨日のことだ。
有賀葉桜は、なんの気まぐれか、普段ならめったに出ない電話をうっかり取ってしまった。
「では、詳しい話は会ってからということで」
電話の男は、神崎かをる。
仕事は私立探偵だが、浮気調査や結婚前の身辺調査などは片っ端から断っているので、まったく儲かっていない。
指定された喫茶店に葉桜が着いた頃には、すでに陽が傾いていた。
遅刻したからだ。
「ああ、有賀さん。こちらです」
別に怒るでも咎めるでもなく、スーツ姿の神崎は涼しい顔で葉桜を迎えた。
まだ三十代のはずだが、落ち着き過ぎていて、枯れたおじさん通り越しておじいさんのような雰囲気さえある。
前に置いてあるコーヒーカップからは湯気が立っていた。
待っている間、何度お代わりしたのだろうか。
「あー。どーも、どーも」
神崎の待つ奥の席へ向かうと、悪びれもせずに正面に座った。
他に客はいない。
店内に流れるボリュームを落としたビートルズが次の曲に変わる。
注文を取りに来たヒゲで小太りのマスターに葉桜は告げた。
「ブレンドとケーキセットで。あと、お代はあっち持ちでお願い」
苦笑混じりで神崎が目配せすると、マスターは頷いてカウンターへと戻った。
「それで、さっそく調査依頼の件なんですが」
「あ。ちょっと待って」
ちょうどマスターがコーヒーと苺のショートケーキを運んできたところだった。
葉桜はコーヒーカップに砂糖を二杯入れてスプーンでかき回す。
そして、おもむろにフォークを掴むとケーキを食べ出した。
「うん。続き、いいよ」
有賀葉桜のこんなマイペースぶりにも、もう慣れてしまった神崎であった。
「ある公園にあった桜の木を探して欲しいんです。いえ、正確にいえば、その木が生えていた場所を」
二十年ほど前に造成されたその市民公園は、地域でも結構な規模を誇る。
柵の内側、外周を針葉樹が囲み、その内側には広葉樹を配置。
舗装された遊歩道は、日中、散歩する人と犬、ジョギングする人の姿が絶えない。
駐車場の近くには、フェンスで囲まれたテニスコートが二面。
トイレを挟んで、バスケットコートもある。
中央には人工の小高い丘があり、その手前に子供用の遊具が一通り揃っていた。
遊ぶ子供たちを親が見守るためだろう、近くには東屋とベンチがある。
「桜並木があったよね、たしか」
「それは東側の遊歩道ですね。あと中央の東屋近くの芝生にも何本か」
「でも、そこの桜には興味がないと」
「いえ、そういうわけではなくてですね」
桜を植樹する際、市は市民から寄付金を募った。
それほど高額でなかったせいもあって、応募多数で抽選になり、当選者はそれなりのお金を払って、桜にプレートを付ける権利を得た。
日付、名前、○○記念。
大体は親か祖父母が購入し、入学や出生などの記念に、子供や孫の名前が付けられている。
「市民が記念植樹した桜が、何の断りもなく伐採されていたんですよ」
帰郷したかつての応募者が、思い出の桜がないことに気付いた。
急いで市に確認してみると、意外な答えが返ってくる。
害虫が発生して病気になり、腐れて死んだので切った。
日中は管理人が小屋に常駐し、ときどき見回っている公園の話である。
百歩譲って切るのは仕方ないとしても、せめてその前に植樹した人に連絡すべきではないだろうか。
その質問には木で鼻をくくったような回答が返された。
個人情報保護の観点から、既定の期間を過ぎた書類は破棄されることになっています。
「やらずぼったくりだね」
「典型的なお役所仕事にしても、手口が荒すぎますけどね。切られた桜は他にもあったようなんですが、供託金を払った人たちは皆遠くに引っ越していたり、あるいは入院、あるいは物故して気付かなかったようです」
「偶然にしては誰かに都合の良すぎる話」
「さすがは有賀さん。偶然には一家言ありますね」
有賀葉桜は「さがしもの屋」と呼ばれている。
どれだけ探してもみつからなかったものを、碌に探しもせずに偶然みつけるという冗談みたいな才能の持ち主だ。
長年、調査業に従事してきた神崎だったが、その場を目の当たりにしたときはあまりのことに噴き出してしまった。
依頼された事故物件現場をぶらつく葉桜。
うっかりタンスの角に足の小指をぶつけてしまった。
するとその拍子にタンスと壁の間から、大きめの茶封筒が滑り出してきた。
中には、かつての住人の預金通帳と印鑑。そして、別れた家族の写真が一枚。
もっとも当の本人は、小指の痛みでそれどころではなかったようだったが。
ただし、この現象は意図せず起こるので、あまり当てには出来ないらしい。
現に、葉桜が私的な理由から失せ物を探そうとするとまず出てこないという。
「秘訣は気にしないことかな」
仮に偶然を呼び寄せられるとしても、起こる偶然そのものに意思はない。
人が勝手に理由付けをすることはあっても。
葉桜のフォークを逃れて、ケーキの苺が皿に落ちた。
さらに刺そうと試みると、今度は皿から飛び出した。
テーブルの上に生クリームの跡を残して、苺のささやかな逃走劇は終わる。
「あんな広い公園、ぶらぶらするだけで疲れるよ」
「場所は絞り込みました。丘の裏側、遊具のあるちょうど真裏に当たります」
「ええと、たしかそっちには」
「新しく東屋と噴水が作られてますね。桜を伐採したすぐ後に」
「忖度。汚職か癒着かワイロか接待」
「可能性はありますが、その辺りは市民オンブズマンの方たちにお任せましょう」
そう応えると神崎は目を伏せてコーヒーを一口啜った。
その隙を逃さず、葉桜が苺を拾って素早く口に放り込む。
「僕の方ではここまでが限界でした。桜があったと思われる大まかな場所まで依頼人を案内しましたが、ひどくがっかりされましてね。こちらの調査はそれで完了という形になりましたが、ここから先はアフターサービスみたいなものです。僕が個人的に有賀さんに依頼します」
「よっ、太っ腹。人がいいね」
「ははは。元の依頼人は事情があって、それほど長くはこちらに滞在出来ないそうですので、なるべく急ぎでお願いします」
「そう急かされると、やる気なくなっちゃうなあ」
「有賀さんはその方が捗るんじゃないですか? では、何かありましたら、また連絡してください」
注文票を手にすると、神崎は静かに席を立った。
「ちょっと待って」
通り過ぎざまに呼び止められて振り向いた。
目と目が合うと、葉桜は残ったケーキを一口で頬張る。
そして、ごくりと飲み込むと、口の周りにクリームを付けたまま言った。
「ケーキお代わり。チョコレートのやつ」
また苦笑いすると神崎はマスターに太っ腹なところを見せた。