王都・偽りの功績
契約破棄を盾にブルームシルクの献上を命じ、目の前の腹立たしいまでの美貌を見上げる。
「…………魔物素材譲渡の契約破棄、ですか」
「そうよ!こちらを蔑ろにしておいて、償いもせずに今までのように温情を得られるとで」
「承知いたしました」
「……なんですって?」
「どうぞこちらを」
私の言葉を遮っての了承と、目の前に掲げられた書類の文面に目を見開く。
「ブルーム辺境伯との契約書!?」
なぜ王国政府の公的証書の金庫にしまわれているはずのその書類がここにあるのかと、慌てて手に取って確かめるが、辺境伯と自身、更には王のサインのあるそれは間違いなく本物。
「王家との契約にブルーム辺境伯家が継続を希望するものはありませんので、王都での代理人たる私の名でいつでも破棄できるように整えてあったのですよ。ああ、公証人はこちらのエムズ・テパード氏に」
「この侍従が公証人ですって!?」
気にも留めていなかった下位貴族の正体に目を瞠る。なんていうタイミングなのだろう。公的証書を取り扱うのにはなんの疑問もない役職だ。
「職務のために伯爵と共に歩いていただけで、侍従ではありませんよ。カジェンデラ前子爵夫人」
公証人は表情の読めない真面目な顔で、紳士の礼をしつつエリスの勘違いを訂正し、法を司る身分を示す襟章を指し示しながらよく通る声で宣誓する。
「王国の叡智を司る天使エルスラの名の下に、王国府公証人エムズ・テパードが、両者の合意による契約破棄を行います」
すらすらと澱みなく紡がれる契約破棄の宣誓に、エリスは慌てて異議を唱えた。
「お、お待ちなさい!わたくしは合意など……!」
テパードはつぶらな瞳をぱちばちと瞬かせ、ヴィートとエリスの間に視線を彷徨わせた。
「先程間違いなく通達されたのを確認しておりますよ?確かにあの仰り様では、通達と言うよりまるで脅迫のようにも聞こえましたが」
「はは、まさか。脅迫などと。王子殿下の側近である方が、そのような愚かなことをなさるはずがありませんよ。ねぇ?マダム」
「……っ、当然、ですわ」
愚かなことと言われて思わずレイド伯爵を睨みつけたが、取り繕うこともできずに頷くしかできない。
公証人の耳に入っていたなら、ここで揉めるのはまずい。見聞きした経緯までが全て書面で提出されては、格上の貴族……それも王国政府の役人であり、辺境伯の代理でもあるレイド伯爵に品物を強要したことが明るみに出る。
血の気が引いたエリスの目の前に書類が差し出された。破棄の申請と大きく書かれたそれをとりあえず受け取り、動揺でとても読めたものではないのを隠して視線を滑らせた。
「……ですが、あのようなもの、他に使いようなどないでしょう?廃棄するしかないのなら、有意義に利用する方がブルーム領のためなのでは」
なんとか思い直させようと口を開くが、それもまたすぐに遮られる。
「王都までの運搬の手間や経費が如何程だと?自領で廃棄できるのなら寧ろお釣りがきますがね。なんせ王都に商品を持ち込む際にも多額の税がかかるのだから」
そんなこともご存じない?と言外に滲ませた、考えもしなかった言葉の内容に、思考が停止する。
事業の流通に関してはそれぞれの子爵家に任せているので、詳しくは知らない。女である自分が、家業でもない商売に関わるような下品な真似をするわけがないのだ。
「そもそも」
呆れたような男の声が近付き、反射的に顔を上げる。
「真に使い途を見出したブルーム家の代理人に、使いようがないだろうなどとは正気とは思えんな。都合の良い辻褄合わせを声高に叫びすぎて真実を見失ったか」
ひやりと凍りつくほどに冷たく見下ろす青い目に、エリスの喉が強張る。
「わたくしは……っ」
なんとか反論しようとした声は情けなく掠れる。
口を閉じて視線を揺らしたエリスに、テパードの事務的な声がかかった。
「読み終わられましたらこちらにサインを」
咄嗟に震える手で差し出されたペンをとって、促されるままに書類にサインする。そして、らしくなく歪んだ字を見直す余裕もなく後退った。
「……夫人?」
怪訝そうに顰められた柳眉に、体が勝手に慄く。額にじわりと脂汗が滲むのを感じ、震える手を握り込んだ。
わたくしは、間違ってはいないわ。
魔物素材を使った土地の浄化方法、浄化量の検証、上質な野菜の栽培、新素材クトゥンの発見ーーそれらの功績は全てマーシャル第一王子のものだ。
権利も、名目も、名声も全て。
本来発見した者や成功した者が誰であれ、正式な契約を交わしてマーシャル殿下のものにした。だから、それが否定されていいはずがない。
間違っているのはわたくしではない。
「っ……なんでもありませんわ!失礼いたします!」
だというのに、なぜだか漠然とした不安に駆られたエリスは、性急にこの場を去るために淑女の礼をとり、返礼を待たずに踵を返した。
様子のおかしなエリスを見送り、ヴィートは隣で書類を確認する公証人に向けて首を傾げる。
「……脅かしすぎたか?」
「怯えてましたよ。美形が怒ると迫力がありますからねぇ」
「あのマダムにそんな可愛げがあるとは思えないが」
第一、長らく王城勤めをしていれば、美形など見慣れているだろう、とヴィートは肩をすくめて歩き出す。
「しかしこんな突発的な形での契約破棄なんてぜんだいみもんですよ。どうしてブルーム家は、前子爵夫人が契約破棄を申し出てくることがわかっていたのですか?」
テパードが眉を寄せながら後に続き、手元の書類をちらりと見る。
ブルーム辺境伯の王都における代理人であるこの男に、王家との契約の確認したいと連絡があったのは、今日の朝一番のこと。
予定が空いていたためにすぐに対応することになったテパードが、書類を持ち出していたのはそのためだったが、こうもタイミングよく事が進むとは。
「まさか。タイミングが良かったのは確かだが、あんな風にマダムに絡んで来られるとは想定外だし、ただの幸運ーーと言うにもさすがにできすぎなぐらいだが、それだけブルーム家を見下しているということだ。あちらの下手を見逃す道理もない」
「はぁ!?まさか、この契約破棄はブルーム家の依頼ではないと!?」
いくら代理人の申請であるとはいえ、正式な契約者の意志に反する契約破棄をしたのかと慌てる公証人に、有能な宰相補佐は悪戯っぽく片目を瞑って、落ち着けと言わんばかりに胸の前に手を掲げる。中年男にはそぐわぬ仕草だというのに違和感がない。
「真の契約者たる姪は美味しい野菜の普及を願っているし、他のルートで魔物素材を確保した場合、今後の安全性は保証できないだろうに、関わる権利を失うことは望まないだろう」
「破棄しちゃ、まずいじゃないですか!!」
「おいおい、第一王子殿下派があれだけ自分達の功績だと豪語しているんだぞ?ブルーム家から権利を取り上げておいて『王家への貢献できる栄誉』などとのたまってまるで意に解さない。なにがあろうと同情もしないな」
「いや、しかし!安全性に関わるとなると国民が」
「心配せずとも、ブルーム領では研究も実績も既に何歩も先を進んでいるし、万一の健康被害の対策も万全だよ。いざとなれば王子の婚約者たる姪の主導で対処することになるだろうが……ああも権利を主張するのなら、そこに伴う責任もしっかり果たすべきだとは思わないか?」
うっそりと嗤う美丈夫に、思わず頰が引き攣る。
え、この人怖い。
「勿論、今回の契約破棄についてテパード氏に咎が及ぶことなどないと誓う。リーリエラは清濁合わせ飲める良い子だからこのぐらいで怒りはしないよ。あの子に任せれば万事解決だ」
公証人の怯えに気付いたのか、ヴィートはにこりと朗らかな笑みを浮かべてこともなげに言い放った。
え、姪御様ってまだ学園に入学したばかりの12歳だよな?丸投げ?
「意志に反してはいるが、ブルーム辺境伯家からクレームがついたりはしないから、君の仕事に問題はないよ。……安心したかな?」
「でしたら良いのですが……」
戸惑いながらも、テパードは必死に公証人として自制を保つ。色々突っ込みたいところはあるが、詳しく知るのはまずい気がする。要するに怖い。
機密事項や婚約の宣誓書は代理人の権限でもさすがに持ち出せないが、それでもここにある書類が認める既得権益だけでも需要機密。それが第一王子にもたらす栄誉と称賛、なにより金銭があのマダム・カジェンデラの傲慢とも言える態度の礎となるもののはず。
第一王子派とブルーム辺境伯家の確執めいた何かに身震いしながら、鍵のかかる書類鞄にそれらを厳重にしまい込む。
「また何かあれば君を指名しよう。よろしく頼む」
「…………か、しこまりました」
そんな自分の対応は、切れ物の宰相補佐のお気に召したらしい。
勘弁してくれと言いかけた言葉を慌てて飲み込んで、作り笑いを浮かべる公証人だった。
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