入学式・始まりの時
王都ロダール学園。
その名の通り王城と目と鼻の先に建つ。
12歳から16才の貴族子女が通い、基礎学問とマナーを学ぶという建前の元、社交の実践場としての側面が重視される。
要するに貴族同士の出会いと交流の場なのだ。
婚約者や側近を見つけたり、領地経営や家業に益のある相手を見出したり、またその相手と信頼関係を築いたり。
教育としては、二年間共通のカリキュラムで学んだ後、残りの三年は専門分野に分かれて学ぶ。
文官業務や領主経営の文系コース、騎士コース、家政や教養に茶会などの取り仕切りを学ぶ家政コースと大まかに分けられる中、少しずつ細分化した内容になっていく。
騎士コースは騎士団と手合わせ三昧らしい。滾る。
この二年で頭角を現し、立太子確実となっているマーシャル第一王子殿下の婚約者は、家政コース一択らしく選ぶ余地なかったけど。
他にも、学園の寮は特別仕様の一人部屋で、王城から専任のメイドさんが派遣されている。
そのため、カテラを連れてくることはできなかった。王都の叔父様のところに仕えてもらっている。
貴族のための学園だけど、全員もれなく家のメイドは連れて来られないのだ。
制服に普段用、式典用、私用の三種類があって、すべて一人で着れるので着替えは問題なし。
お茶は寮の各階にティールームがあって、常時お湯だとか茶葉だとかカップだとかの用意がある。美味しい紅茶を淹れるのは貴族子女の嗜みだから問題なし。
洗濯とか掃除は、週に三度専門のスタッフさんにお願いできるので問題なし。パンツくらいは手洗いすればいいしね。
思ってたより甘ったれたシステムじゃなくて、なにより。
「リーリエラ様。マーシャル第一王子殿下がお迎えにいらっしゃいました」
扉の前で控えたメイドさんの声に振り向くと、制服姿のサフィア嬢がいらしていた。
殿下といえど女子寮には入れないから、側近である彼女が呼びに来てくれたのだろう。
「サフィア嬢。お手数をおかけします。まあ、制服がお似合いですね」
焦げ茶の長い髪をポニーテールにして、色白に映える紺碧の瞳。清楚な風貌に伝統的な制服はよく似合う。同系色だからぴったりだ。
女子の制服は襟が学年色のリボンになった紺のワンピースに同色のボレロ。襟や裾に白のライン、胸に国の紋章が入っている。
男子は紺のジャケットにグレーのトラウザーズ。アスコットタイは学年色。
今年の学年色は赤。琴音の記憶で見た色んな制服の中でも定番に近い。
「ありがとうございます!リーリエラ様も素敵です!はぁ、相変わらず天使……」
胸の前で祈るように手を組むサフィア嬢とは、この二年間、辺境領と王都で手紙のやり取りをしていたので少し仲良し。お互いに貴族っぽいやり取りを学ぶための実技課題だ。
私は他にもコールドゥル侯爵令嬢のシャーロット様や、エクレール伯爵令嬢のシンシア様をはじめ、お披露目会の後のお茶会で仲良くなった同年代のお花ちゃん達と、あとはマーシャル殿下とも。
サフィア嬢は平民時代も、優秀すぎる頭脳がオーバーヒートすることの他には苦労はなかったそうで、素直にまっすぐ育ってらっしゃる。
義祖母であるカジェンデラ夫人の指導の下、貴族社会に馴染むのには苦労なさっていたけど、所作も随分と美しくなられた。
寧ろ母様のスパルタ指導があったとはいえ、辺境育ちの私の方が、脳筋で中身野生児なのがバレないかヒヤヒヤである。
「では、参りましょうか。……ああ、そうだわ」
個人的には殿下なんて待たせときゃいいと思ってはいるが、そうするとサフィア嬢やメイドさんに迷惑がかかると促したところでふと思い付く。
「入学の記念に、わたくしから」
ブルーム領の新作である、光沢のある白いブルームシルクで作ったリボンをサフィア嬢に渡す。
平民出身の子爵令嬢で、王子の側近。彼女にはそれなりの悪意が向けられるだろうことは予測に難くない。婚約者である私が認めた存在であれば、彼女の風当たりもマシになるだろう。
その証、ブルーム伝統の護りの刺繍の入ったそれを彼女のポニーテールの根元に結び、戦勝の祝詞を唱えた。
「サフィア嬢の学園生活に、春の風が巡りますように」
きょとんとしたサフィア嬢の頰がみるみる赤くなり、貴族らしくなく破顔する。可愛らしく好ましいその笑みに、思わず同じような笑みを返し、慌てて口を手で覆った。
「……お祖母様には秘密ですよ?」
「ええ、もちろん」
苦笑を浮かべて肩をすくめ、くすくすと笑い合う。
私のせいで巻き込んでしまったサフィア様だけど、彼女に責められたことは一度もない。優しく真っ直ぐな人柄の好ましい人が、これ以上カジェンデラ夫人に悩まされることがないようにと願った。
「マーシャル殿下!ご入学おめでとうございます!」
「殿下と一緒に学舎に通えるなんて光栄ですわ!」
女子寮のエントランスを出て俄かに騒々しくなったと思ったら、十数人の女子が殿下にご挨拶中だった。
体型やリボンの色を見ると先輩方だ。
まだ成長期の殿下は平均より少し背が小さいので、周りを年上のお姉様方に囲まれて埋もれてしまっている。
「いつもこうなの?」
眉を下げたサフィア嬢に尋ねると、首肯と小声の返事が返ってくる。
「同い年でリーリエラ様をご存知のご令嬢は、あのような勢いでは来られないのですけれど……」
その気まずそうな表情に、なるほどと頷く。
子爵家のサフィア嬢が側近として侍ることができ、王都貴族には縁の薄い私が婚約者なので、遠慮がないと言うことだろう。
モテモテで結構だ。
とは言え、看過してると遅刻するので事態の収束に向かう。
「失礼致します、お姉様方」
あえて先輩ではなく砕けた呼びかけをしたのは、12歳児の愛嬌で訴えるためです。
次々と振り返ったお姉様方は、私とサフィア嬢を見て口を閉ざす。サフィア嬢を伴っていることで、私が誰かを悟ったのだろう。さすが王都貴族のご令嬢。
「ブルーム辺境伯が二女、リーリエラと申します。学園では、ご指導のほどどうぞよろしくお願い致しますわ」
難なく美しい礼を披露すると、人の輪が崩れて渋面の殿下が現れる。
「リーリエラ嬢。私の婚約者たる者が先に名乗り出るような真似をするな」
「学園では身分より優先される上下関係がございます、殿下。それより、制服がとてもお似合いですね」
声変わり前の子どもの叱責をスルーして微笑むと、金髪翠眼の柔らかな風貌の美少年が頬を赤くする。可愛らしいことだ。
王都に来てすぐに城に呼び出された際、殿下と夫人から、この二年間の呼び出しに応じなかったことにネチネチ文句を言われた。
だって往復二週間だし、馬車苦手なんだもの。
学園卒業と同時に結婚で、入学は言わば王都にお引越しなのだから、準備とかいろいろあるに決まってんじゃん。しかもそちらが産業乗っ取ろうとするからその折衝とかさぁ。
みたいなことを貴族らしく遠回しに伝えたけど、内容が文句なのは隠す気なかったからまた怒られた。
会わなかった二年の間に、痩せぎすだった殿下はそれなりに肉をつけていた。糖分摂取のおかげで剣術の訓練をする余裕ができたそう。とはいえ、嗜む程度なのだろうと推測される。
やはり学問がお好きなようで、興味を持つと寝食を忘れてしまうそうで、体が小さめなのは睡眠が足りないせいじゃないかと思っている。
睡眠といえば、私は一日十二時間睡眠を卒業して、八時間とお昼寝十分で足りるようになりました。成長した、私。
それに、以前に会った時ほど夫人も殿下も怖くなかった。成長した、私。
「っ、リーリエラ嬢も、よく似合っている。やはりあなたは美しい」
「恐れ入ります」
頰に手を当ててはにかむような笑みを浮かべると、殿下がむう、と唇を引き結ぶ。チョロい。
こちとら伊達に溺愛されてないし、美形に囲まれて育っているので免疫はバッチリなのだ。故にときめくこともない。
それに、王都貴族からの口説かれ対策として、ルー兄様やリューク、ガオ兄様までが頑張って甘い言葉を囁いてくれたからね。
ただ、ガオ兄様は歯が浮くようなセリフより、時たま出る無自覚にたらしてくるセリフの方が効果的だと思った……ってそれは今はどうでもいいか。
「お姉様方。殿下は新入生代表の挨拶をなさいますので、先に向かわねばなりませんの。失礼しても?」
「まぁ、もちろんですわ、気がつかず申し訳ございません」
「楽しみにしていますわ」
「ブルーム辺境伯令嬢様も、ご入学おめでとうございます」
小首を傾げて申し訳なさそうな表情を作ると、お姉様方は笑顔で送り出してくださる。
ありがとうございますと一礼して、殿下についてその場を離れる。
「リーリエラ嬢、優先される上下関係とは、先輩後輩ということか?」
「はい。あ、でも殿下はへりくだる必要はありませんよ。不遜でもいけませんが」
そこはうまくやってくださいと付け加えると、眉間に皺を寄せた難しい顔でなにやら考え込んだ。
「お祖母様が、王太子は皆の上に立たねばならないと」
こそりと囁いてくるサフィア様の言葉に頷く。
フォローが抜群ですね、サフィア嬢。
「上に立つという言葉の捉え方を間違えてはいけませんね。足元を支えてくれる人たちを踏みつけていいという意味ではありませんよ」
「……肝に銘じよう」
そして、殿下も結構素直だ。育て方って影響大きいよね。流されやすいだけじゃなきゃいいけど。
女子寮から学舎までは歩いても五分ほど。
角を曲がると煉瓦造りの大きな建物が見えてくる。
どーん、って感じ。その向こうには更にどーん、と王城がそびえているけれど。
「やはり、リーリエラ嬢も王城に住むべきではないか」
「そのお話は何度もお断りしてるじゃないですか。しつこいな」
「しつこ……」
「妃教育には便利ですけど、ひと時も気が抜けないじゃないですか。それに、たかが婚約者です。王族とは一線も二線も画してますよ」
ずけずけとものを言いながら殿下のエスコートで歩いていると、後ろの気配が消えた。
「サフィア嬢?」
振り返って確認すると、少し離れた場所で目を見開いたサフィア嬢が立ち尽くしている。
「サフィア嬢、どうかしたのか?」
殿下も怪訝な顔で立ち止まったので、私はひと言断ってからサフィア嬢の元へ戻る。
「具合でも……」
血の気の引いたサフィア嬢に手を差し伸べるけど、気付いた様子もなくただ前を見据えている。
資産を辿ると、それは学園の学舎。春を象徴する桃色の花びらがひらひらと風に舞って美しい。
「……王都、学園」
ぽつり、とサフィア嬢が震える唇で呟いた。
「……大丈夫?」
どう見ても様子がおかしいサフィア嬢に、救護室に連れて行った方がいいかと辺りを見回す。
校舎の入り口に、教師らしい数人の人影が見えるのは、殿下のお出迎えだろうか。
「サフィア嬢、少し休みましょう」
「サフィア!?」
声をかけると、大きな声で叫んだサフィア嬢がこちらを振り向いて、ぱちりと目が合った。
「どうした、リーリエラ嬢」
慌てたように近付いてくる殿下に、わかりませんと首を振ってみせる。
「とりあえず、救護室で休ませた方がいいかと。マーシャル殿下、お手を貸していただいても……」
「マーシャル!?王子!?」
またサフィア嬢が叫び、今度は殿下と目を合わせてびくりとした。
「……どうした、サフィア嬢。様子がおかしいぞ」
「まって、でもこども?王都ロダール……しらない?」
ぶつぶつと呟くサフィア嬢。
意識を落として運んだ方が早いかなと考えていると、時間を確認した殿下が慌てる。
「よくわからないが、僕はもう行かないと。リーリエラ嬢、任せる」
「かしこまりました」
挨拶の打ち合わせがある殿下を見送り、まだぶつぶつ言ってるサフィア嬢を振り返る。顔色は戻っている。
「……大丈夫?サフィア嬢」
声をかけると、紺碧の瞳がはっとしたように私を映す。
「……はい、大丈夫です。すみません」
「そう。良かった」
目が合わないサフィア嬢を訝しみながらも、とりあえず学舎へと促して歩き出すと、後ろの方、正門から声がかかった。
「リーリエラ様!」
「シャーロット様」
侯爵令嬢のシャーロット様だ。二年ぶりで大きくなったけど相変わらず可愛い。
「あの、私は先に行きます」
久しぶりの再会にテンションの上がる私をよそに、サフィア嬢はそう言うなり、ぺこりと頭を下げて走り出した。
貴族令嬢らしからぬその仕草に目を瞬き、見送る。
「サフィア嬢、どうなさったの」
シャーロット様も首を傾げてサフィア嬢を目で追っている。やはり他人から見ても様子がおかしいらしい。
「いえ……殿下を追いかけて行ったのだと思うけど」
「それで慌ててらっしゃるのかしら?彼女、この二年、しっかり学んでらっしゃったから……きゃあっ」
ぴゅうと強い風が吹き、シャーロット様が可愛らしい声をあげた。桃色の花びらが舞い上がる。
美しいはずの光景に、なんだか不穏な予感がして眉を寄せた。
そしてその予感は、間もなく的中することになる。




