幕間・未来は生者のもの
◆ side リーリエラ
お披露目会のための王都行きを終え、ゴタゴタに巻き込まれ倒し、逃げるように王都を出て五日。
「帰ってきたぁあ!!愛しのブルーム領っッ!!」
領境を越え、休憩すると停まった馬車から飛び降りるなり両手を上げて叫ぶと、迎えに来てくれたリュークが目を丸くした。
「え、なん、どうしたんですかエラ様?」
「ストレス吹き飛ばしました。はー、スッキリ」
「あれ、エラ様、なんか変わりました?」
髪切ったとか?と首を傾げるリュークに、にこっと笑ってみせる。
「旅は子供を成長させるのです」
私を馬車を降ろすのに手を差し出したままだった、ルートヴィヒ兄様がため息をついて言った。
「淑女としては退行している」
「……気を付けます」
しまった。子供の無邪気出過ぎたわ。
「リューク」
「領主様には一通りご報告致しました」
王都から早く帰るために馬で強行軍の予定だったが、帰る直前に私が倒れたために結局は馬車になってしまった。
そこで、一刻も早く父様たちに詳細を報告する為に、リュークが先に馬で戻っていたのだ。
「なにより、エラ様を案じておられましたよ」
リュークの言葉にこくりと頷く。
婚約とか王家との契約とか、複雑で面倒でややこしいことがたくさんある。ブルーム家としてはこれからが大変なのだけど、その中で家族は私を一番に思いやってくれるだろうと疑いなく思える。
ああ、早く家に帰りたいな。
ルートヴィヒ兄様の腕にしがみつくと、優しく頭を撫でられた。さっきは辛辣な注意を受けたけど、優しいルー兄様継続中なのだ。嬉しい。
「体はもう、なんともないです。多分、ブルーム領に帰れることになって気が抜けたんだと思う。リュークも心配してくれてありがとう」
「本当に大変でしたからね。ゆっくりなさってください」
「うん」
リュークの労いに頷き、兄様の腕にくっついて兄様の香りを吸い込む。森林のような静謐な香りに、ようやく呼吸ができた気がした。
私が倒れた理由は、ずっと一緒にいてくれた琴音が消えてしまったからだ。
私の体が二人分の意識を持つのも大変だったんだろうけど、それを一人に戻すのも大変だったみたいで、意識が完全に落ちた。
七日間の帰り道の内、薄く意識が戻る程度で半分は寝たきりで過ごしていたので、馬車酔いする暇もなかったのは幸い。
ーーもう、私の中に琴音はいない。
困ったときに助けてくれた、お姉さんみたいな存在。賢くて物知りで、いろんなことを考えて、教えてくれた人。
最後の夜、ルー兄様は琴音と話したそうだ。なんと私が寝ている間に、琴音の意識で会いに来てくれたらしい。
これ以上一緒にいることは、体の負担も大きくなるし、私のためにはならないから消えると、琴音が決めたのだと。
……お礼くらい言いたかったし、お別れくらい言って欲しかった。
しょんぼりしていると、リュークと話していたルー兄様が私の方に向き直った。
「エラ、私はこのまま視察に出る。お前は迎えの騎士達と帰って、領主夫妻に元気な姿を見せてやれ」
「視察、ですか?」
「ああ。この先に魔物の飼育に良さそうな土地があるようなのでな」
ひらりと馬に跨った兄様の言葉に目を瞠る。
そうだ、旅を終えて安心している場合じゃない。
「よろしくお願いします!ルー兄様」
「……ああ、任せろ」
「では、エラ様もお気を付けて」
リュークに合図をした兄様が馬の鎧を蹴った。兄様の馬を追うようにリュークも馬を走らせて、やがて道の向こうに消えていく。
これから第一王子主体で、魔物の浄化器官を使った農地改革が始まる。
だが、魔物はどこにでもいるわけではないらしいし、実績がある以上、必要な資源の提供はブルーム領に求められるだろう。
つまり、今までは需要がなかった魔物が、他領ーーそれも王家との取り合いになるということ。
とはいえ、ブルーム領では、二年前に浄化器官を何度も繰り返し使う技術が完成していて、今はそれを長期に使う場合の実地実験をしているところ。
ブルーム領と特殊な契約を交わしている領地にはその技術を広めるつもりでいるけど、それ以外のーーこの先、王家主導で農地改革をする領地にはついては、とある事情からそれを与えるわけにはいかない。
浄化器官の問題がないとしても、辺境領の主食が魔物のお肉なので、マリブなんかの美味しい魔物が足りなくなると困るのだ。
そこで取り組むのが魔物の養殖。完全に家畜化まではせず、なるべく自然な環境での個体管理が目標。
辺境領は広大な自然を有していて、万一魔物に襲われても一般の住民も自衛ができるからこそだ。
領内の綿製品の生産がどうなるかわからないし、職人さんを取り上げられないためにも、王都移住したくない人のためにも、領内の雇用を拡充したい。
王都で聞いた肉牛なんかの畜産については、エクレール伯爵が相談に乗ってくれることになったし、近い内に伯爵領を見学させてもらいたいなぁ。シャーロット嬢に手紙を出してみようかな。
やることがいっばいで、落ち込んでいる暇はない。
琴音は慎重だから、常に不安要素にとらわれていた。これは決して悪い意味ではなく、リスク管理というやつで、必要なこと。
でも私は難しく考えるのが苦手だから、これからは琴音のようにうまくできないことが増えるだろう。
それは確かに不安要素なのだけど、なんだか少しワクワクもしている。琴音の言う、脳筋というやつなのだろう。
琴音はもう、いない。
だけど、私は一人じゃない。
◆ side 琴音
目を開けると、いつか見た真っ白な世界が広がっていた。
自分を見下ろすと、あの時と同じ真っ白なワンピース。
と、いうことは。
「……じい様」
「琴音、お疲れ様さん」
後ろに立つじい様を振り返る。
相変わらずの作務衣姿にほっとした。
「このまま消えるのかと思った」
「お前は終えたのではなく、退いてきたのだろう」
「……うん。ごめんね。長生き頑張るって言ったのに」
「長生きではないかもしれないが、頑張っただろう」
ぽん、と頭を撫でられた。
記憶にあるより、少し薄くて、しわくちゃで、ずっと温かい手。
強張っていた心がふわっとほどける。
そうしたら、ぽろっと言葉が溢れてきた。
「……もっと自分なんだと思ってた」
「うん?」
「なんていうかさ、初め気が付いた時はリーリエラはいなくて。リーリエラの体で一人暮らししてたはずが、いつの間にかリーリエラもいて、一緒に住んでた。転生ってずっと一人暮らしなんだと思ってたのに」
このままリーリエラとして一生生きて行くのだと思ったら、リーリエラは私を受け入れながらも、リーリエラの人生を私に譲ることはなかった。
そうなったら、邪魔なのは、退くべきなのは私だ。どっちが役に立つとかは関係ない。私の人生ではないのだから。
「こうして魂が分かれるということは、転生ではなかったのかもしれないな」
「それは思った。憑依ってやつだったのかも」
「こんな現象を定義することはナンセンスだがな」
じい様の言葉に、そうだね、と笑う。
ただ私が、思いがけず死を迎えた私が、なにかの気まぐれのように時を与えられただけのこと。
リーリエラとして、彼女を慈しむ者として。
「リーリエラの自我が育って、お互いがお互いに影響を受けて、確実に出会わなかった自分とは違うものになった。だけど、私は私でいたくて、リーリエラも同じだった」
今こうして自分の姿が琴音のもこであることに、戸惑いを感じながらも安心してしまうみたいに。
「一番の原因はアレだな。旨味だな」
「旨味?」
じい様の訳知り顔にきょとんとする。
「塩味への反抗……というべきか。琴音もリーリエラも食い意地がはっていたから、美味しい物への渇望で目を覚ましたという仮説を立ててみた」
「……リーリエラ、あんなに綺麗な子なのに、しみじみ残念」
私の意識があるから残念なんだと思ってたけど、元人格の可能性もあるのかとため息をつくと、じい様が指を折りながらリーリエラの特徴を挙げていく。
「そうさな。綺麗で、王子の婚約者。謙虚な日本人たる琴音の影響がなければ、箱入りで、お姫様で、強気で、さぞかし自意識ライジング」
「…………え、それってつまり、アレじゃん」
「アレだな」
「え、やだすごい心配になってきた!」
「だったらここで見守ればいい。儂みたいにな」
「えっ、成仏とかしなくていいの?」
「心残りがなければそうしてもいい。ここは見守るための場所だから」
穏やかな声音でそう言って、じい様はどかりと地面に座り込む。いつもそうしているような、安定した仕草。
「……じい様は、まだいいの」
「儂は心残りがある。六年も琴音と同化してたんだから、リーリエラも儂の孫みたいなもんだ」
「……祖父の愛は寛容だね」
「当たり前だ。どんな孫でも可愛い」
思ってた以上に懐の深いじい様に笑って、その隣に腰を下ろす。
「じゃあ、もう少し」
「相変わらず琴音は付き合いがいい」
「じい様にはね」
「孫の愛だな」
ちょっと笑うと、ぼんやりと遠くに広がるブルーム領を眺めた。見守るってどんな感じだろう。
「ねぇ、じい様」
「うん?」
「あの世界は、じい様の知ってる世界?」
異世界転移とか転生とか、魂の移動についてラノベやマンガを読みまくってたじい様に、このが既存の世界なのかを尋ねると、顎を触りながら首を傾げられた。
「どうだろうなぁ」
『知ってる』とも『知らない』とも違う、微妙な答え。抱えた膝に頭を乗せ、じい様の言葉を待った。
「どんな世界でも未来は未来だ。全く同じように進むわけがない」
「……そう」
未来は未知。
撤退すると決めたのは私。
混ざらなかった私とリーリエラ。
リーリエラの運命をリーリエラに返すと決めたのは私。
「そうだね」
未来は生者のものなのだ。
この、胸の奥を疼かせる焦燥が、失ったものへの憧憬というものだろうか。
「……少し、休んでいいかな」
「琴音の好きにするといい」
「うん」
隣にいるじい様の温もりを感じながら、目を閉じる。
この、どうしようもないやるせなさを、受け入れるために。




