お披露目会の後・護りたいもの
リーリエラ視点
「まったく、困ったご令嬢ですこと。レイド伯爵家には相応の罰が与えないと」
当たり前のように長椅子に座り、メイドにお茶の用意をするように指示をしながら、マダムーーカジェンデラ夫人は淡々と言った。
「……ヴィオラ嬢は、どなたに招かれたのでしょう」
座るように促されたけど、他人事のような言葉で私の反応を伺う様に、立ったまま問いかけた。
ヴィオラ様がメイドの格好であの場所にいたことに触れようとしないのは、触れられたくないからでしょう。
睨み付けるような私の目に、夫人の能面のような微笑みが返ってくる。
「夕刻からは舞踏会の入場がありましたからね。ご令嬢であれば、紛れ込むのは容易かったのではないかしら。メイドの衣装が何処にあったのか、わたくしは存じませんけれど」
そんなわけない。ここは王城なのだ。
不審者が紛れ込まないように、夜会の入場時間はお披露目会の解散の後にしてある。子供たちをちゃんと送り届けてから戻って来ても余裕のある時間。
叔父様は王城でも名が通った人だし、その令嬢だけが先に来たとしたら絶対不審に思われるだろう。
「王城の警備に問題があったとは」
「ねぇ、リーリエラ様」
夫人が私を遮って、ゆっくりと首を傾げた。
「本当はルートヴィヒ様が、レイド伯爵令嬢に命じて、マーシャル殿下の飲み物に惚れ薬を入れたのではなくて?」
「っ、なにを……!」
夫人の口から出た兄様を疑う言葉に、かっと頭の奥が熱くなる。
よくもいけしゃあしゃあと!
「殿下のお持ちになったグラス、あれも調べてみたら薬が入っていたのではないかしら。……だとすれば、ルートヴィヒ様は」
「あのグラスは殿下が!」
男性が他の人に渡すグラスを取る時は、必ず右手で取って差し出す。そうでなければ向かい合って受け取る人の手と重なってしまうから。
ハブパトラが入っていたのは殿下の右手に握られたグラス。左手のグラスには入っていなかった。
「そう。殿下がリーリエラ様と二人で飲もうと用意した飲み物です。あの中に薬が入っていれば、殿下は貴女の目の前で惚れ薬を飲んでいたでしょう。そして」
「っ、殿下は私に」
反論しようとして言葉に詰まる。
どのグラスに入っていたかは、私が鑑定を使って確認しただけだ。私の分のグラスに入っていたとは証明できない。
「殿下のお心を量ることはできませんからね。念には念をと思われたのでしょうが」
「……薬が入っていたのは兄様のグラスです。わたしがぶつかってこぼしたのは偶々です。ヴィオラ嬢にわざと薬を盛られたとでも」
「さあ。わたくしにはわかりかねます。ですが、策士策に溺れると言いますでしょう?ご令嬢が恋い慕う心と薬を前になにを考えるかは、誰でもわかりますわ」
「殿下と婚約して、ブルーム領になんの得があると言うの!?兄様を侮辱するのは許さないわ!!」
今度こそ本気で睨みつけると、夫人が驚いたように目を瞠り、不愉快そうに顔を顰めた。
王家を蔑ろにする発言は、不敬ととられてもおかしくはない。だけど先に侮辱したのはそちらだ。
「……所詮、田舎育ちの野蛮な猿か」
小声で呟かれた言葉も、鍛錬している私の耳にははっきり聞こえる。私のことはいい。
「……王家にリーリエラ様を嫁がせることで、ご自身も王都で名を挙げようとなさったのでしょう。あの方は嫡子でありながら、ブルーム辺境伯の跡取りを外されたそうではありませんか」
夫人の嘲りが浮かぶ眼差しに、怒りのあまり血の気が引く。
この人は、兄様を跡取りにならないという一点だけで貶めるのか。
「自分に愛を捧げた女性を利用するなんて」
「兄様はそんなことしないわ!そもそも、婚約を求めたのはそちらでしょう!!」
信じられないと声を上げると、夫人は心底愉しげに唇の両端を吊り上げた。能面ではない、だけどそれ以上に嫌な笑み。
「あら、そんな話、誰がしていたのかしら?」
さすがに言葉を失う。
人払いのされた部屋。入場の際に対応してくれたのも、そこまで案内してくれたのも、王城の人だ。
私達の言葉だけでは証明にならないというの。
唇を噛む私を見て、夫人はその目を糸のように細め、にっと笑って扇を口元に当てた。
「ルートヴィヒ様には色恋沙汰で披露目を騒がせた責任を取って、レイド家に婿入りして跡を継ぎ、王家の忠実な騎士となってもらいましょうか。ブルームの者を取り込めば、マーシャル様の立太子も進んで陛下もお喜びでしょう」
ひゅ、と喉が詰まった。
兄様がヴィオラ嬢に婿入り?それも、ブルーム領を出る?
そんなこと、誰も望まない。
「まさか、そんな濡れ衣で……っ」
「ええ。もうグラスの痕跡も調べられませんからね。それでも、この状況だけでも王子殿下に毒を盛った犯人として処罰することはできますのよ」
本当に?琴音の記憶のある私には、そんなのは王家の横暴としか思えない。
だけどこの国は王政で、絶対的な権力を持つ人がいて。
グラスも、証拠は消されていて、証明もできなくて。
頭の芯が熱くてぐらぐらする。
なんの証明もできないことに、向けられるのに慣れていない感情に、張り巡らされた作為に、苛立ちがお腹の底から積もっていく。
まるで泥濘から泥沼に、少しずつ絡め取られていく気分だ。
「いい加減弁えなさい」
夫人が、呆れたようなため息とともに言った。
「わたくし達がそう言えばそうなるのです」
まるで、間違っているのは私であるかのように。
「さあ、リーリエラ様。聡明でお兄様思いのあなたなら、より良い未来を選び取れるはずですよ。
きちんと、ご自分の口で仰いなさいな」
細められた目と吊り上がった口元が、気持ち悪い。
私は拳を握りしめたまま、そろそろと目を瞑って息を吐く。
落ち着こう。頭の奥で声がする。
ーー大切なものを間違えては駄目だと。
毒キノコを食べて生死の境を彷徨い、目覚めた時のことが脳裏に浮かぶ。
寄り添ってくれていた母様と兄様。目が覚めてすぐ駆けつけてくれた父様。
マナーはいざ知らず、含みのないやりとりと触れ合いは貴族らしくはないかもしれない。だけど、決して失いたくない温もり。
私の一番大切なものは、私を護ってくれる家族だ。
「……王子殿下と婚約し、王家に嫁ぎます」
手のひらに食い込んだ爪が皮膚を破る。
夫人を睨み付けながら答えると、満足げな笑みを向けられた。
「感情を隠せないのはみっともないけれど、お答えは満点ね。婿入りなどと言い出したらどうしようかと」
「その代わり、今回の事件を蒸し返すことも、ブルーム辺境伯家への婚姻や後継の口出しも二度としないと書面にしていただきます」
お望み通りに感情を隠して付け加える。
もう二度と、この人達の思い通りにはなりたくない。
「……そうね。お約束いたしますわ」
夫人は上機嫌に頷く。そりゃそうだ、この人達は何一つ傷付かないし、失わないのだから。
「そういえば、こちらはブルーム領の新しい特産品なのですってね。リーリエラ様が生産方法を確立なされたと」
「っ、それ……!?」
「レイド家からの献上物です。素晴らしい品ですこと」
夫人が取り出したのは、ブルーム野菜とコットンタオル。確かに、レイド家への土産に持参したものだ。
献上?叔父様が母様の不利益になることをするわけはない。またヴィオラ嬢の仕業なのか。辟易する。
「辺境領には国防費に貢献していただいていることですし、金銭の代わりにこちらの品の権利を持参金に頂こうかしら」
自分の思い通りに運んだことに満足したのか、目新しい商品がお気に召したのか、夫人は尚も厚顔に言い放つ。
「……こちらが支度金を頂くのが筋では」
「まぁ、意地汚い事。わたくしが王子妃教育もみっちり躾けて差し上げてよ」
「っ、開発にも生産にも、私だけでなく辺境伯領の総力を注いでいます。それを横取りしようなんて、意地汚いのはどちらかしら!」
ーー怒っちゃ駄目、冷静に。
「貴女はマーシャル殿下の婚約者なのです。殿下の立太子への助力は当たり前でしょう。こちらとしては、レイド家とルートヴィヒ様の処刑でも良いのですよ」
まだ書面にサインはしておりませんからね、と夫人は嫌な笑みを浮かべた。
「……一体、貴女になんの権利があるの」
前子爵夫人で家庭教師なだけの貴女に、と言外に匂わせると、夫人は眦を吊り上げた。
「わたくしは亡くなられた正妃様に、マーシャル殿下を委ねられたのです!殿下は我が子も同じ。子のために尽くすは親の権利ですわ」
「王族の母を名乗るなど、不敬だわ」
「事実です。それに、マーシャル殿下の立太子は陛下のお望み。わたくしは陛下のお心に従っているのですよ」
私には理解できない。
正気の沙汰ではない。もしくは、王家の権威の元には信頼関係など不要だとしか思えない。
政略結婚だとはわかっているけど、こんなに踏みにじられるものなのかとうんざりする。
相手が王子だからだろうか。だとしたら、そんな相手と婚約した先が思いやられる。
「……決めるのは当主です。王家との婚約に、ブルーム領の意志はないことは確とご承知おきください」
「……田舎貴族が傲慢なこと」
「高慢な王都貴族よりはおおらかですわ」
互いに皮肉って睨み合う。
向けられた敵意に安心するなんて、どれだけ自分が腹の探り合いと言った大人の関係に疎いかを思い知らされる。
もっと、強くならなきゃ。
一番大切なものだけでいいから、護りたい。
広い心で……




