王都四日目・権力と策略
※三話ほど胸糞展開になる予定です
マダムがあたふたと第一王子を引きずるようにして退出し、しばらく待たされた後で二人が戻れなくなったと告げられ、お披露目会用の待合室へと案内される。
リュークはブルーム領へと求婚の件の連絡を飛ばしに行った。伝書鳩みたいな、番のところに飛んでいく本能のある鳥を使った連絡方法が主流。
「王位継承権など、そんなに簡単に放棄などできるはずがない。継承権のある王子は二人しかいないんだ。まだこれからもできる可能性もあるが……」
兄様が不機嫌に言いかけ、私を見て口を閉じる。
大丈夫ですよ兄様。雄しべと雌しべの話でしょ?
もう一人いればなんとかなりそうと思わないでもないけど、正妃の子供という立場は重いし、当たり前にある魔素が毒になる世界だ。
いや、いずれは婿をとって分家になるか、親戚あたりで見繕って嫁に行く予定だったとはいえ、こんな急に求婚されるとは思わなくて驚いた。
え、第一感想はめんどいだった?うん咄嗟のアレだからね、悪気はなかったんだよ?
だって、昨日今日会っただけの人間に入れ込んで継承権放棄とか言っちゃうあたり、面倒極まりないじゃん。断っても簡単に引き下がる気がしなくない?
「賢いお婿さんは歓迎しますけど、諸々厄介ですね」
「……歓迎なのか?」
「え、ブルーム家の不足成分をよそから補うのは理に適ってますよね?」
「確かに噂で聞くより随分と聡明な印象は受けたが、そんな考え方でいいのか?理想くらいあるだろう」
「ありますけど、兄様とは結婚できませんから」
そう言うと、兄様が目を見開いて固まった。首を傾げながら見守っていると、しばらくして回復した後も頭を抱えている。
「…………エラ、それはどういう意味だろうか」
「ルー兄様は強いし賢いし優しいし……あ、近年の態度はアレですけど、世界一素敵ですし。
そんな人が二人といるわけがないんですから、結婚相手に夢なんてみられるわけないでしょう」
なんせ目が肥えすぎたし、溺愛にも慣れすぎた。
さらに言えば琴音も恋愛には縁遠かったし、リーリエラとしては初恋もまだ。ただでさえ出会いの少ないブルーム領にいては、誰かに恋をするのはすごく難しい。
ガオ兄様なんてお見合い相手をちゃんと愛してみせるとか、出会い?なにそれどこに落ちてるのと言わんばかりの決意を固めているし。(ちなみに既に見合いは三回失敗している)
……あ。もしかして父様達がルー兄様に付き添いをさせたのは、王都で兄様の出会いがあればと思ったのかもしれないな。
そう思うとなんだか気が重くなった。
当たり前だけど、家族だからってずっと一緒にはいられないんだよね。
「つ、まり、エラは……ルー兄様のお嫁さんになりたい、ということか?」
兄様がやたらと早口で言いながら、ポットから紅茶のおかわりを注ぐ。
「それはとても幸せですね」
兄妹じゃなかったらお願いしたい。
家族としてずっと一緒にいたいけど、よくよく考えれば、ルー兄様は21歳。貴族男性の平均婚姻年齢に片足を突っ込みかけている。25くらいまでに結婚するのが一般的。
四年後の私は……14歳。ギリギリ婚姻年齢に届かない。王都学校は前世でいう中学生……あ、兄妹じゃなくてもマズかった。
「……エラ」
「はい?」
「エラの口から、ちゃんと言ってみてくれないか」
きりっとした顔の兄様が、なんだかやたら圧をかけながら頼んできた。
あれ、なんだこの人。なんの話だっけ。そんな深刻な話してたっけ?
あ、現実をちゃんと声出し確認しろってことかな?
「兄妹じゃなくても歳の差がマズイって話です?」
「…………そう、だな」
あ、兄様の眉間にものすごい皺が寄った。
やだな、夢なんてみないって言ったじゃないか。
ああ、でも確かに、夢でくらいは理想をみたくはなるよね。現実逃避かもしれないけどさ。
「それでも、ルー兄様のお嫁さんになるのが、私の一番の幸せだと思います」
ぽふ、と兄様の肩に頭を預けて、怒った顔を見ないようにしながら言う。
避けられなかったことに甘えて、しばらくそのまま兄様の温もりを堪能していると、安定の眠気がやってきた。
精神的にすごい疲れたからなぁ。お披露目会で寝ちゃうよりはマシだよね。うん、許される。
「連絡飛ばしましたー……あ、二人とも仲良く昼寝ですかーーってルートヴィヒ様失神!?」
リュークの慌てた声を遠くに聞きながら、私はそのまま兄様と微睡に身を委ねた。
✳︎✳︎✳︎
「ふわぁ……」
入場の時間だと起こされ、うたた寝と欠伸で崩れたメイクはリュークが直してくれる。器用だなと感心してたら、いつどこで寝るかわからないからとカテラに仕込まれていたらしい。ありがとうカテラ。
いつも通り無表情に戻った兄様のエスコートで入場し、シャーロット侯爵令嬢を含め、昨日知り合ったご令嬢達と再会。着飾ったお花ちゃん達と、きゃっきゃしながらお話しさせていただいた。
作物の買い付けの話をお願いしていたエクレール伯爵家のシンシア様とは、互いに保護者を交えて。王都にいる間にお宅に伺って、契約書を交わすことになった。
仕事半分だけど、初めてお友達の家に遊びに行く約束だ!とへらへらしていたら、顔を赤くしたシャーロット様からもお誘いをいただいた。みんなでお茶会のお約束ですってよ!
ふわりとした優しい笑みを浮かべる兄様には、やはりみんながぽーっとなってしまい、皆様の未来の結婚相手に申し訳ないなと思っていたのだけど、よく考えたら皆様は私と違って可能性はゼロじゃない。
「いいなぁ」
思わず口をついた言葉に自分でびっくりして、慌てて辺りを見回す。兄様に聞こえたかとそっと窺うと、保護者同士で話をしている。大丈夫そうだ。
代わりにリュークと目が合って、なんだかよくわからないけど反射的に目を逸らしてしまう。
うわ、なんだろうこれ。
なんていうか、悪いことをしてる気分なんですが。
さっきまでの楽しい気分が吹き飛んで、混乱しながら数歩だけ後ずさると、気配でそれに気付いた兄様が私の方を向きながら小さく手招きしてくる。
戻らなければと思うのに、なぜか心臓がばくばくして足が動かない。
まってほんとになにこれ。
ほんの少し眉を寄せた兄様と、こちらに来ようとするリュークを視界に映しながら、こんな時は落ち着くための呼吸法だと息を吐く。
「ブルーム辺境伯令嬢様、ご挨拶させていただけますか?」
背後からの声に、思わずびくりと体が揺れる。
やだな、昨日からストレスばっかり与えられてるせいで、嫌悪感が恐怖感に近いものになっている。
「……カジェンデラ前子爵夫人」
「お披露目おめでとうございます。素敵なドレスですこと」
「ありがとうございます」
無視するわけにもいかず振り返ると、さっきの呼び出しはなかったことにされているようで、本日二度目の挨拶をそっくりそのまま交わした。
先ほどとは違う、落ち着いた色味のアフタヌーンドレスに身を包んだマダム。これでは付き添いの保護者のようだ。怪訝に思って見上げる先で、マダムはにこりと作りものの笑みを浮かべた。
「娘と孫を紹介させて下さいませ。ディアナ、サフィア、こちらへ」
マダムが振り返ったのは、マダムに似た風貌の女性とご令嬢。お披露目の歳の孫がいたんだ。
昨日いなかったところをみると、娘さんの嫁ぎ先も子爵以下ってことか。
だから王子殿下の家庭教師になっても問題ないのかな。普通なら年頃の近い女の子がいる人は避けるだろうけど、王子の評価の問題もあるだろうし。
「は、はい、おばあさま」
母親だろう女性の側から、慌ててマダムのところに駆け寄ってくるご令嬢に違和感を覚える。
「……無作法を。申し訳ございません、緊張しているのです」
詫びるマダムの能面が孫娘嬢を見下ろす。小さな肩がぴくりと震えた。
爵位が低くても王家の家庭教師を務める人の孫だ。作法が未熟なんてことがあるだろうか?
それに……ドレスのサイズが、ほんの少し大きい。代々受け継がれるものなのかデザインも少し古い。サイズ直しが甘いまま着せる理由はなんだろう。
可哀想なくらい緊張しているのは間違いなくて、大きな飾りの付いた焦げ茶色の髪も、体の震えと共に不安げに揺れている。
「ブルーム辺境伯令嬢様にご挨拶を申し上げます。わたくしはディアナ・エラーダ子爵夫人、こちらは娘のサフィアでございます。どうぞお見知り置き下さいませ」
エラーダ子爵夫人がお手本のような挨拶とカーテシーをしたので、ますます違和感が強くなる。
すると、母の動作に慌てて倣ったサフィア嬢が、ちらりと私を見上げて目を丸くした。
「天使様……!」
覚えのある呼びかけに目を瞠る。
「……あなた、もしかして」
別人のように綺麗に化粧をされているけど、紺碧の瞳には覚えがあった。市場で会ったあの子だ。
なぜここに、と疑問に思う間もなくマダムと夫人が会話を遮るように立て続けに口を開く。
「まあ、リーリエラ様とご縁があったとは驚きました。……ああ、もしや昨日お話いただいた市井で会った娘というのはサフィアのことだったのかしら?」
「嫌だわ、お恥ずかしい。この子ったらお忍びで街に行くのが好きなの。誤解させてしまって申し訳ありませんわ」
…………ん な わ け、 あ る か!!
さすがに笑顔が強張るのを止められず、頰に手を当てて顔を伏せた。
道理で昨日、彼女の話にマダムが食いついたはずだ。
合ってないドレスや所作、大きな飾りでごまかした手入れの悪い髪を見る限り、目をつけて取り込んだ彼女が10歳で、慌ててお披露目に参加させたとしか思えない。
けど今見せつけられているのは、そう言い切ればそうなるということだ。
養子であることは大声で公表する必要なんてないし、優秀な平民の子供を取り立てるのも、子爵ならあってもおかしくはないことらしい。
気の毒なほどに不安げなサフィア嬢を見る。
そりゃあそうだ、賢い子とはいえ昨日まで普通の平民の子供だった。それが突然貴族になって、なにもわからないまま王城に引っ張り出されて。
……私が余計なことを言ったせいだ。
策略を巡らせることが当然な貴族社会で、後のことも考えず、余計な発言をするべきではなかった。
「そうでしたのね。サフィア嬢、リーリエラ・ブルーム辺境伯令嬢と申します。またお会いできて嬉しいわ」
あくまでも貴族らしい顔で、にこりと微笑む。
あまりマダムに友好的な態度は取りたくないが、サフィア嬢に冷たく当たるのは筋違いだし、匙加減が難しくて頭が忙しい。
振り返ると頼りの兄様は元の場所で、リュークが護衛の距離で付いていてくれる。
兄様が助けに来てくれないのは、第一王子の家庭教師と、保護者込みで付き合いがあると思われると余計に困るからだ。
逃げ出したい。きっとまだ、これだけじゃない。
本能的な予感に柔らかなコットンの下で肌が粟立った刹那、声変わり前の高い少年の声で呼びかけられた。
「リーリエラ嬢!会えてよかった」
無邪気な響きはそれでも、さっきの呼び出しを素知らぬ顔でなかったことにして。
途端、辺りがざわめく。
なにせ王族の入場は別枠だ。なぜここに第一子王子殿下がいるのかと言いたげな顔を隠して、気付いた者が慌てて頭を下げた。
「ああ、皆、気にすることはない。まだ王族としてここにいるわけではないのだ。少し用があって顔を出しただけだから気付かないフリをしてくれると嬉しい」
そう言って第一王子殿下が屈託なく笑ったことに、周りから声にならない驚きの気配がさざめく。
昨日のお茶会でも、殿下は無表情で口も開かずただ座っていただけだった。派閥争いで気を許す相手もなく許すつもりもなかったのかもしれない。
それに、殿下には能力を疑問視する声が大きい。なのに今ここにいる殿下はそうは見えない。
内心を隠すことに長けた貴族達が、言葉には出さなくても態度に動揺を感じさせるほどには。
「……マーシャル殿下。そういうわけにはいきませんわ。すぐに控え室にお戻りくださいな」
「そう厳しい顔をするな、マダム・カジェンデラ。すぐに戻る」
家庭教師の顔になったマダムが何食わぬ顔で促すが、こめかみがぴくりとしたのがわかる。かなり怒っていらっしゃる。
そりゃそうだ。顔を出すなんて簡単な言い方をしたけど、この方は王族。軽はずみに慣例を無視する行動をとっていいはずがない。
いいと言ったのに礼をとったまま顔を伏せる貴族達を見て苦笑した殿下が、同じように正式なカーテシーな姿勢をとる私の耳元に顔を寄せた。
思わずぎくりとする私の耳に、驚くほど甘い囁きが吹き込まれた。
「柔らかな風合いのドレスが、あなたにとても似合っているな。とても美しいと、伝えそびれていた」
反射神経には自信があったはずなのに、私が反応を返す前に殿下は身を離して踵を返す。
「会の前の歓談を邪魔して悪かった。楽にしてくれ」
笑みを含んだ声と共に、小さな足音が去っていく。
「エラ」
兄様が重さを感じさせない素早い歩みで、動けないままの私の姿を隠すように傍に立った。
「にいさま」
動揺を隠しきれずになんとか見上げた兄様の顔は、無表情の奥に怒りを湛えている。
それほどに、今の殿下の行動は非常識で独りよがりだ。きっと会場内の大人達にはそう否定的に思われる。
だけど、あのどこか愛嬌のある無邪気な素振りは、個人としては好感を持てるものではなかっただろうか。
私は兄様にしがみつきたくなるのを堪えて、大したことではないと首を横に振った。
王族に声をかけられたのだ。顔を曇らせたままでいられるはずもない。
周りにいる大人達は、今の一連の出来事をどう捉えただろうか。
「……カジェンデラ前子爵夫人」
兄様の怒りを含んだ呼びかけに、マダムが能面のような笑顔を浮かべる。
「そちらの事情に我が家を巻き込まないでいただきたい」
はっきりと抗議する兄様に、辺りが再びざわめく。
「ええ、私からお詫び申し上げます」
マダムは洗練された美しい所作で頭を下げ、周りの視線を十分に集めてから、くいと口角を上げてほんの僅かに声を潜めた。
「マーシャル殿下は、リーリエラ様と『仲良く』なれたのがよほど嬉しかったのですね」
ボリュームだけを潜めた声は、皆が聞き耳を立ててしんと静まる会場に静かに響いた。
茶番だ。そう笑いたくなったけど、平静を装うのが精一杯で。
昨日までなんでもなかったはずの人達が、心に積もる澱のように心を重くする。
ああ、本当に面倒くさい。




