王都三日目・お茶会怖い
少し長め。6,000字↑
天使が笑った。
その瞬間、止め処なく脳内に押し寄せていた奔流が、ぴたりと止まった。
自然ときょろきょろと揺れる眼球も、ぶつぶつと口から流れる思考のかけらも、いらいらと小刻みに開閉させていた手のひらも、全てが止まる。
時間すら、止まった気がした。
ふわりとした柔らかな薄桃色のシンプルなドレス。
さらさらと流れる亜麻色の髪に、子女達で頭に飾りあっていた花の冠。
白い肌に薔薇色の頰、その美しい紫水晶の瞳ーー
思わず立ち上がった。
あれを手に入れなければと強く焦がれる。
王太子位も、父の愛情も、数多の友も要らない。
僕が欲しいのは、あの子だ。
✳︎✳︎✳︎
こんにちは。リーリエラ・ブルーム十歳です。元気です。
今日は、王家主催のお茶会にやってきました。特に来たかったわけではないですが、招待されたものは仕方ありません。
あちこちの領地で暮らす高位貴族の子供達が、明日のお披露目会ついでに集まる、派閥入りのきっかけともなるお茶会なのだそうです。やだめんどい。
うちは辺境伯なので中立です。だから帰りたい。
王城の広いお庭でいくつものティーテーブルを並べた、ガーデンパーティー。ずっと座っているのがしんどい、子供にも優しい仕様です。さすがの気遣いです。
まぁ、マナーとかは厳しくチェックされていそうだけど。
とは言え、さすが高位貴族……伯爵位以上の子供達です。お行儀よくにこやかに会話を弾ませ、社交をこなしていらっしゃいます。
確かこの国の領地持ちの高位貴族の内訳は、公爵家が四家、侯爵家が八家、伯爵家が十二家。辺境伯家が二家。これは北東のブルーム領と南のエディンバラ領。
功績が数代続いての叙爵が多い子爵は増えたり減ったりで、土地を持つ家は一握り。男爵と騎士爵も同じく増えたり減ったりで、こちらは基本的に領地を持たない貴族です。実力派というのかな。
今年お披露目の子供達は、王子含めて十五人。王子二人、男子が五人、女子が八人。
高位貴族二十四家の半分以上が同級生なのは、正室様と側室様の懐妊が重なって、子供を側近や妃にするために皆様が励んだからだそうですよ。
侯爵家以上は側室様がいるのが当たり前なんだって。家を受け継ぐって大変。
私はといえば、ベビーブームで両親も四人目が欲しくなったけど、むしろ王子と同い年だとなにかと面倒だから一年ずらそうとしたところ、予定よりひと月以上も早く生まれてしまったらしい。お陰で同級生に滑り込み。
小さくは生まれたけど大事はなく、ただし不安の反動で溺愛が始まったそうだよ。生まれながらの溺愛。
もしかしたら早産には、琴音の転生の影響があったのかもと思うけど、正解が分かる日は来ないだろう。
指定された席でお茶を飲みながら、行儀が悪くならない程度にあたりを見回すと、庭を見渡せる室内に付き添いの保護者達の姿が見えた。
そういえばヴィオラ嬢が同行すると喚いていたけど、却下。当たり前ですね。
ルートヴィヒ兄様は、若いお父様方と社交に勤しんでおられます。ちゃんと笑うのね、兄様。
しかし、名簿で名前とかは覚えたとはいえ、知り合いがいないからつまんないなー。あの令息とか結構鍛えてるぽいけど騎士の家系なのかな。確か騎士団長の息子がいたはず。
てか、一番やばいなーと思うのは、男子の派閥抗争の結果があからさまなことだよね。
第一王子と第二王子が離れて座ってるのもなんか作為的だけど、そこに公爵令息含む五名の男子が全員第二王子を囲んでいる。
第一王子はぽつんだ。後ろに付き人らしいご婦人はいるけれど。
国王が推している第一王子は、虚弱で知恵遅れだと言われているそうだ。特に問題視されているのが知恵の方。あんまり頭良くない者としては、身につまされる話だなぁ。そうでなくても感じ悪いけど。
上に立つものにはそれなりの能力が求められるっていうのは仕方ない。正室の子とはいえ正妃様は亡くなられているし、生まれ順だけで全て決まってしまうのも虚しい話だ。
だけと、第一王子がきちんと努力をしているというのなら、それは能力以上に評価されても……
「リーリエラ様、よろしければこちらをいかが?」
可愛らしい声に振り返ると、可愛らしいご令嬢がが赤とピンクを組み合わせた花冠を差し出していた。
「飾りのお花がたくさん余ったんだそうですの」
ご令嬢の頭にも同じく花冠。ドレスに飾られたリボンの紋章は、コールドゥル侯爵家。本日の最高位のご令嬢だ。
「わぁ、可愛い!シャーロット様、お花の組み合わせがとてもお上手ですね」
「リーリエラ様に似合うようにと、みんなで考えましたのよ!」
数人の花冠をのせたご令嬢が集まって、恥ずかしそうに頰を染めている。
やだみんなほんとに可愛い。さすが貴族令嬢。
少し身をかがめて花冠をのせてもらう。
シャーロット様が真剣な眼差しで角度の微調整をしている。あれ、なんだこの感じ。仕事人?
「リーリエラ様、素敵!」
「まるでお花の妖精みたい」
「お召しのドレスも可愛らしいですね!見たことのない生地ですが、もしかして他国からの……?」
おお、目敏い。そしてさすがの社交性だわ。
なるほど、こうして情報をゲットするんだな。
「お目が高い皆様にだけ、こっそりお教えしますわね?」
人差し指を唇に当てながら声を潜めると、みんなが目をきらきらさせて顔を寄せ合う。
「この生地は、ブルーム領で生産を始めたコットンという布ですの。もう間もなく流通を始める予定になっていますわ」
「まぁ素敵!」
「しぃ。ユーリア様、お声を」
「あ、申し訳ございません。つい、素晴らしくて」
「ふふ、大丈夫ですわ。よろしければお手を触れてご覧になって?」
「まぁ……クトゥンとは柔らかいのですね。手触りがとてもいいわ」
やっぱりクトゥンになったか。コットンが発音しにくいらしくて、口伝でクトゥンになってしまったのだけど、クトゥンの方が言いにくいと思うの。
とりあえず、コットンを宣伝してこいという母様からの指令は達成できそうでよかった。気づいてくれたお嬢様方に感謝だわ。
みんな興味津々だし、なんだったらそこ此処に立ってる女官さん達もさり気なく聞き耳を立てている。
まぁドレスにするより下着にする方がいいと思うんだよね。コルセットの下に優しさが欲しいもん。
しばらく女の子達ときゃっきゃうふふと楽しくお喋りし、各領地のオススメとかも教えてもらった。香辛料はまだ見つからないが、なかなか良さげな作物には取引のために、後で保護者を紹介してもらう約束を取り付けた。
ちらりと保護者の待機部屋を見ると、ルートヴィヒ兄様と目が合ったので、笑顔で小さく手を振る。微笑ましげに見る周りの保護者の中、真顔で頷く兄様。
どうやらアルコールの提供はないようだ。
一度手洗いに立ち、欠伸を噛み殺す。
午前中に仮眠をとりはしたものの、昼下がりはやはり眠たい。いい天気で麗かなのもよろしくない。
「楽しそうでしたね、エラ様」
「うん。みんなすごく可愛らしかったの」
ついて来てくれたカテラに話しかけられて、思わず両手で頬を押さえる。つい、にまにましてしまう。
「ドレスの流行りとかも詳しくてね?あ、ブルームだと母様に教えてもらうばかりだけど、社交界の花と呼ばれる貴婦人方は、自分で流行を作り出すこともあるのですって!コットンもそういう方に気に入ってもらえればがっぽ」
「ええ、お目が高い方には気に入っていただけると思いますよ」
カテラが被せ気味に言ってにこりと笑う。
あ、がっぽりはNGワードでしたか。
「エラ様がドレスの話題で喜ぶなんておかしいと思いました。商売目線なんですね……」
「失礼ね。可愛い子を着飾るのは正義だと理解しているわ。
……美容にもちょっと興味出てきたなぁ。皆さまふわふわして柔らかい……そして宇宙人じゃない……」
「お優しいお嬢様方ばかりでようございました」
うっとりと呟くと、カテラが苦笑を浮かべてお手洗いの扉を開けてくれた。
「失礼いたします。ブルーム辺境伯家ご令嬢様」
「はい」
危なかった。扉開いたところで待ち伏せされてたから、うっかり関節外して無力化してしまうところだったよ。
落ち着いた素振りで返事をして、声の主を確かめると……第一王子の後ろについていた人じゃん!
よかった、飛び掛からなくて。
「ブルーム辺境伯家二女、リーリエラにございます」
第一王子の側近は確か爵位は低いはず。
とはいえ王族の側近なので、嫡子でない貴族としてはきちんと礼をするのが正解。ただし膝丈デイドレスだから、子供は前傾しないで膝を曲げるだけの礼で良い。後ろの裾が上がってドロワーズが見えないようにだ。
「わたくしは、第一王子の家庭教師を務めております、カジェンデラ前子爵夫人でございます。どうぞマダムと」
満足そうに頷くご婦人は、お腹の前で両手を揃えて美しい角度でお辞儀をする。
「ご挨拶いただきありがとうございます。マダム・カジェンデラ」
にこりと貴族の笑みを浮かべると、マダムは眼鏡を指で押し上げながら身をかがめた。
「マーシャル第一王子殿下がお話し相手を御所望です。どうぞこちらへ」
あ、拒否できないやつ来ちゃった。
「マーシャル第一王子殿下。ブルーム辺境伯ご令嬢様をお連れ致しました」
「う、うううん」
第一王子殿下はプラチナブロンドにエメラルドグリーンの瞳の、大変美しい少年でした。
小柄で痩せているのは体質なのかな。王族だから食べるのに困ってたりはしないよね。
あと、気になったのが今の唸り声みたいな返事。
「リーリエラでございます。殿下」
「リーリエラ」
挨拶の言葉に食い気味に名前を繰り返される。おっと、いきなり呼び捨てですかい。
目を瞬くと、マダムが眼鏡の奥の瞳を少し細くする。指摘しちゃダメそうですね、了解です。
「リ、リリ、リーリエら」
うんうんと頷きながら繰り返される名前。吃音なのかな?ストレスとか多そうだもんな。
「フッ」
隣のテーブルから第二王子のものらしい、馬鹿にするような笑いが聞こえた。うわ、感じ悪ーい。無視無視。
「今日はとてもいいお天気で気持ちいいですね。ご招待いただきうれしいです」
「てて、天気。今日の天気は快晴。雲の流れは西から東。朝が少し肌寒くてじいやが足が痛いと言っていたから暖炉に火を入れたけどこんな日は太陽が頂点に昇れば暖かくなることが多い」
「殿下」
おう。早口で聞き取れないぞ。
マダムがさりげなく止めたけど、さては殿下、天気オタクですね?吃音ももしかして語りたい事が多すぎて言葉に詰まるタイプのあれかな。
マダムの顔を見ると、再びシュッとした顔で澄ましている。突っ込んじゃいけないんですね、了解です。
「それは放射冷却ですねぇ。夜の間、空に雲がかからないと宇宙からの冷気を遮れないため、朝は冷え込むそうですよ」
「放射冷却」
殿下が目を丸くする。あ、これは昔の世界の話かもしれない。けど、宇宙の概念はあるから大丈夫かな?
マダムを見ると、マダムの目も瞠られている。
よし、なかったことにしよう。
「宇宙からの冷気。ううう宇宙は冷たい?……雪?雪は氷、冷たい宇宙から降ってくるから凍る?」
「第一王子殿下が詳しく聞きたいと仰せです」
……なかったことにしたいなぁ。
「宇宙と空は少し違うかと。青く見えるところが空で、その向こうが」
「そそ、その向こうがが、うう宇宙。う宇宙はとと、どどのくらいと、遠くにある?」
「うーん、それは(誤魔化し方が)わかりかねますねぇ」
その後もしばらく殿下と似非科学知識についてお話しして、気づいた。
殿下の喋り方は、琴音の時の理系の知り合いに似ている。IQ高い鉄道オタクで、知識が豊富すぎて情報のアウトプットが不適切。ひたすら語ってしまうのでコミュニケーションが取りづらい。
しかも相手の理解速度に対して非常に短気だから、イライラして相手を見下すし、しゃべりたがらない時がある。
だから、ある程度同じ速度で理解できる琴音に対しては、ものすごくしゃべりかけてきたんだ。
「殿下は知能が高すぎるのですね」
しゃべりすぎて疲れたと殿下が自室に下がってから、マダムに殿下の印象を聞かれたのでそう答えた。
「そう思われますか!?足りないのではなく、溢れているのだと!」
マダムが目を輝かせる。第一王子殿下の評判は惨憺たるものだから、家庭教師としては肩身が狭いのだろうな。
第一王子の家庭教師に前子爵夫人が就いているのも、高位貴族になり手がなかったか、たらい回しにされた結果なのかも。
「非常に知識が豊富ですね。かなり書物を好まれるのでは?早口と吃音は、自分の好きなことを語りたいという意欲が、前のめりになりすぎている結果だと思います。
次に、一度聞いた私の話を、寸分違わず繰り返されました。非常に優れた記憶力と理解力だと思います」
付け足すなら、琴音が映像で覚えるタイプだったのとは違って、音や言葉で覚えるタイプなのかな。
「そうなのです!マーシャル殿下は基本の文字を一度書いて見せただけで、全て覚え簡単な単語の成り立ちを解かれました!」
マダムが目を潤ませて私の手を握る。
「虚弱だというのも、脳がエネルギーを使いすぎている結果なのかもしれません。蜂蜜飴などで糖分摂取の頻度を上げた方が良いかも」
「なんてこと!すぐに買いに行かせますわ!」
うーん、やっぱ砂糖作りたい。そして飴を王家御用達とかって売り出してがっぽり……
「美しく聡明で謙虚。そして何より殿下を理解してくださる……リーリエラ様のような方が殿下のお側に」
おっと。思考を飛ばしていたら、とんでもないこと言われてるぞ。
趣味の合わないお友達とはあんまり仲良くしたくはないかなぁ。てか、身分的に断れないのが嫌だし、王都に呼び出されるとかも嫌だし。あ、そうだ酔い止め探さなきゃ。……じゃなくて断らねば。
「いえ、私など不出来に過ぎます。優秀な方に気付くことはできても、対等なところには立てません」
「まぁ!王族と対等というのは不敬でありましょう」
「身分の話ではなく、思想であったり討論の場であったりの対等です。上に立つものこそ、ひとりよがりではいけないと父が申しておりました」
魔物の討伐でも国境の守備でも、父様だけでは守りきれないし、その場合の被害は人命だからね。
「成る程……独裁者であってはいけないということですね。ですが、だからこそリーリエラ様のような」
マダム、落ち着いて、マダム。
大事な殿下を認めてもらって嬉しいのかもだけどね?
「私は凡人です。今は少し持っていた知識で、殿下と対等のようにお話しさせていただきましたが、思考速度も理解度も雲泥の差です。これからあの方は、更なる高みに到達されるでしょう」
「……無理を言いました。辺境伯家でらっしゃいますものね」
マダムがはっとして頭を下げてくる。
そうだった。辺境伯のご機嫌はそれなりに尊重してもらえるんだった。
その調子で綿製品の関税下げてもらえないかな……と考えたところで、ふと思い出した。
「そういえば、昨日、市場でも脳の負荷で倒れた子が」
「市場ですって?」
「平民の少女でした。同じくらいか少し下の。その子も情報が脳に一気に流れてくることがあるようで」
王都ともなればそれなりの数、天才児はいるだろう。だから大丈夫さーくらいのつもりで話したのだけど、急にマダムが真剣な眼差しで詰め寄ってきた。おう。
「その娘はどこに住んでいるのです?」
「詳しくは……そうだ、レイド伯爵家のマルクという護衛兵に、家まで連れて行ってもらいました。マルクに聞けば」
あれ、これって個人情報じゃね?困ったな、でも王族の側近だから仕方ないのかな?
「リーリエラ!」
呼び声に振り返ると、足早に近づいてくるルートヴィヒ兄様の姿があった。後ろからはカテラの姿も見える。呼びに行ってくれていたのか。
マダムがこほんと咳払いをして、居住まいを正す。
「……迎えが来たようですね。リーリエラ様、有意義なお話をありがとうございました。今のお話は他言無用でお願いいたします」
「あ、はい。かしこまりました」
「それでは」
早口にそう言ってから私と兄様に向けて一礼し、マダムがスタスタと去っていく。
なんだったんだ。
「リーリエラ」
「兄様」
心配そうな兄様のお腹に抱きつく。
「……っ、なにがあった?」
「うっかり王子様の友達になるところでした」
めそめそと泣きつくと、ルートヴィヒ兄様が固まった。
触らない宣言とか無視なんだから、もう。
やっぱ権力怖い。
細かいとこはなんとなくで。




